第二十四章 わたしの大好きなワンコロ
クレリアはたまらず飛び出した!
「待てっ! お嬢さん。死ぬぞ!」
クレリアは小さなからだで
「やめろ~!
傭兵さんを傷ものにするなぁ!
わたしの旦那様なんだぞ!」
その声はアストリアにとって絶望だった。
一瞬で斬りすてられてクレリアは死んでしまうだろう。
「やめろ! クレリア! やめてくれー‼」
アストリアは血にまみれて絶叫した。
「せめて一緒に死なせて。
愛してるぞ。傭兵さん。
わたしの大好きなワンコロ」
泣き顔でつくった精一杯の笑顔はもう彼に届かない。
だが『ワンコロ』という言葉に反応した享祗朧はなぜかクレリアに暴力を振るわなかった。
微動だにせずクレリアが離れるのを待っている。
そのときアストリアの光を失った瞳は見た!
享祗朧の禍々しい仮面の下の瞳が泣いているのを。
瘴気で滞っていたあの声が聞こえた。
〝
「おまえの名は
真の名を暴かれたシャフト卿=
その悲鳴は女性的なものだった。
再び景色が変化した。夜の闇が広がった。
慌ててはなれたクレリアを抱き寄せたアストリアは彼女に話しかけた。
「千年前、いじめと虐待を受けて魔王と契約したおまえは違法転生者となり、生まれ変わりながら人類を破滅に導こうとしたんだな。
シャフトは杏アリスの影の一部」
杏アリスは最後の執念で剣を振りかぶる。
アストリアは素早く彼女のからだから創竜刀を引き抜いた。
「シオン! ちからを貸してくれー‼」
力強く刀身が光り、闇を照らす。
シオンとアストリアの氣が融合した姿だった。
頭部に打ち込まれた神撃を
だがまだ不安定で赤黒い邪悪な気を帯びている。
そのとき守護天使が彼のからだに降臨した。
なにをいうべきか。頭の中に流れ込んでくる。
「
見るからに霊が苦しみだす。
「いまからでも間に合う」
『なにが間に合うというの。
わたしはいままでに77億人以上の人間を殺してる。手遅れだ』
「赦せばランスロットに会える」
『本当に? いやだめだ。ランスロットの悲しむ顔を見たくない』
「ランスロットはおまえを天国で待っている」
『天国だと? わたしが天国にいけるものか』
杏アリスはだいぶ動揺しているようだった。オーラの色が変化しはじめた。
「なぜクレリアを殺さなかった?」
『それは……似ていたからだ』
「誰に」
『
彼女の魂が涙を流しているのが見て取れた。
「アリスは優しいな」
オーラが穏やかになっていく。
「思い出せ。ランスロットと過ごした日々を。
ランスロットは復讐を望んでいるか。
オレも同じだ。
愛する人を失って、孤独を埋めるために闘った。
闘えば闘うほど孤独は深くなった。
アリスもそうだろう?
もうやめるんだ」
そのとき、一匹の大型犬の鳴き声が響いた。
『ランスロット? おまえなの?』
アストリアが〝彼女〟の声を聴いたように、天界の園で暮らしているランスロットの声が杏アリスに届いた。
心象風景は地平線まで澄み渡った湖に変化した。山陰に朝日が登りはじめる。
『ずっと呼びかけていたって? 千年も?
気づかなかった。わたしってばかだなあ。
いつまでたっても来ないから迎えに来た?
そうなの?
いつだって、いつだって。わたしがどこにいても迎えに来てくれたね』
急激に彼女の違法転生者としての記憶が失われていく。
殺戮の日々。戦争工作。魂を燃やし尽くす憎悪。
もう彼女には必要のない記憶だった。
すべての記憶を失って、彼女に残ったものは〝愛〟だった。
ランスロットと一緒に笑いあった日々。彼のからだを洗っている小さな
この世界の呪いが解けていく。
彼女は立ち上がり、そして一度だけ振りかえった。
アストリアの光を失った網膜には彼女の顔がはっきりと映った。
とても人を恨むような人間には見えない。
優しいけれど人見知りで、寂しがりの綺麗な顔の女の子だった。
――ありがとう。
千年以上苦しみぬいてきた彼女の魂は救済され昇天していった。ランスロットもつきしたがう。
気泡が水面に浮上するように。杏アリスの魂は光の泡となって天上へと昇っていった。
ゆっくりと時間をかけて螺旋を描きながら……。
一同それを見守った。神秘的な光景だった。
いつのまにか星空が広がっていた。
一生忘れられない記憶だった。
アストリアはどっと倒れた。
流血。失明。魂の損傷。もう助からない。
彼の心臓は静かに24年の役割を終えようとしていた。
今日は奇しくも彼の誕生日だった。
仲間たちの声はもう届かなかった。
駆け寄ったクレリアの涙滴が彼の顔の皮膚に垂れるのがわかった。
これでよかったんだ。
オレはたったひとりの
ごめんよ、クレリア。
オレは星になれなかった。
流星でもかまわない。
誰かの目に焼きつく閃光を残せるなら。
死んだあと行くところで自慢してやる。
オレの
悔いはない。
迎えに来てくれないか。
セレナ……
『はい。迎えに来ましたよ、アッシュ……』
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