第十一章 彼を死が追いかけてくる

 ふたりは気持ちを確かめあった。

「ばか。ふつうは舌を入れないんだよ」

 アストリアは彼女を引きはなした。

「そうなの? はじめてだから知らなかった」

 ふたりの会話は洞窟に反響して、外にいる虫たちが聞き耳をたてている。


「ネコとキスしてたから、初めてじゃない」

「はぁ⁉ ネコはノーカンだよ!

 ねえ、キスしても子どもできないよね?」


「うん、できない」

「本当に?」

「生物学的にできないかな」


「はーっ、よかったぁ……。あ、あなたは?」

(クレリアを人工呼吸したことを抜きにして)「この歳で正真正銘キスもまだだよ。笑ってくれ」


「よかったね、美少女とキス出来て」

「これ以上エッチなことは、大人になってからにしような」


「………。」

「ただひとつだけ、抱きしめてもいいか」

「?」


「抱きしめたい。ぎゅーって。いやらしいことはしない」

「それくらいならいつでもすればいいじゃないですか。

 大体この格好でいう?」


 アストリアはクレリアを抱きしめた。

 洞窟に映し出される影がひとつに重なった。焚火が静かにぜた。

 彼は彼女の髪のにおいを嗅いだ。

 

 それはいとおしい女性にする行為であり、そんな経験すらしていない彼の人生が表れていた。


 クレリアのことは好ましく思う。

 だが、自分の寂しさを少女で埋めようとしているだけではないか。

 だとしたら地獄に堕ちるぞ。

 まあいいか、これ以上堕ちる地獄がどこにある?


「おまえを抱くオレの手は、血生臭くないか?」

(くんくん)「イカ臭いですね!」


「あのな……。

 オレはまじめに……、もういいよ。

 バカバカしくなってきた」


「わたしのすきなところ100個あげて」

「なんだよ、唐突に。100個はない」


「なにィ?」クレリアは怒った顔をした。


「顔が好きだ。佇まいも好きだ。

 価値観や生き方が好きだ。

 口が悪いところも好きだ。

 声が綺麗なところが好きだ。

 ときどき変なことをいうのも好きだ。

 自分が女性であることに誇りを持っているところが好きだ。

 クモに話しかけちゃうところが好きだ。

 ネコと友達なところが好きだ。

 嫉妬深いところがかわいい。

 ときどきすねるのが好きだ。

 眉毛の角度が絶妙にかわいいと思ってた。

 瞳の色や眼差しが好きだ。

 鼻筋の描く曲線が美しい。

 鼻孔の形ですらどこか上品だ。

 髪の毛先がくせっ毛なところが好きだ」


「もうやめてー! もだえ死ぬー!」

 クレリアは手のひらで顔を覆い隠した。


「好きだよ、恋人になろう。オレも腹くくるよ」

「えっ?……本気?」

「本気だ」


「わたしの恋人になるってことはもうほかの女性にしっぽ振っちゃだめだよ。

 たとえかわいそうな女の人がいても、無視するの。それが恋人になるってことなの。

 あなたと街を歩くとき、可愛い女の子に目移りしてるの、気づいてないと思ってた?」


「わかった。オレたちが恋人になったことみんなにいうか?」


「ばか、いえるわけないでしょ。

 マスターにふたりとも殺されるよ。破壊呪文で」


「それもそうだな。オレのいいところは?」

「ん~、優しいところ」


「ほかには?」

「顔」

「顔って……」


「大事ですよ。見たくない顔の人とはつきあえませんからね」

「それは…そうだけど。ほかには?」


「それくらいかな」クレリアはあごに手をあてた。

「ひどいよ」


「考えておきます」

 ふたりはくすくすと笑った。

「さ、食べてくれ」アストリアは食料を差し出した。


「……あなたも食べて」

「オレはいい、男だから」


「女だから貴重な食料を独り占めしろといわれてもわたしはちっとも嬉しくない。    

 半分こじゃなきゃ食べない」


「いじっぱり! わかったよ」

 体温が減っていたので乾燥レーズンをすべて食べてしまった。

 本来なら、少し残す方が賢い。


「わたし、暗殺団から狙われてるんだよね。

 大丈夫かなぁ……。そんな女の子いる?」


「ちょっといないかもな。オレが必ず守る。もし、オレが死んでもオレのからだを盾にして生き残れ」


「なにそれ、わたしを侮辱するな!」

 クレリアの声は怒気を含んでいた。顔が赤くなっている。


「いままで生きてきた中で一番悲しい。

 どうして一緒に生きようっていえないの、あなたはいつもそう」


 彼女の紫の虹彩が涙でにじんでいる。

 アストリアは返答しなかった。


「わたし、眠たくなってきたよ。

 こういうとき眠ると死んじゃうんですかね」


「安心して眠れ。オレがクレリアの体温を守る」

「やさしい態度とっても、許さないんだから……」

 小声でいうとクレリアは寝てしまった。


 もうクレリアの服は乾いていた。

 アストリアはクレリアを横にすると乾いた服をからだにかけてやった。




 小一時間ほど眠って、クレリアが体力を回復して起きると、アストリアは倒れていた。いつのまにか焚火も消えている。

 

 腕から染み出た血で右半身が真っ赤に染まっていた。

 止血が完璧ではなかったのだ。


「傭兵さん!」からだを揺さぶっても反応がない。

「そんなのやだよ! アゼルもいなくなっちゃったのに傭兵さんまでいなくなったら、わたし寂しくて生きていられない」


 アストリアはもう答えなかった。

 クレリアは必死でアストリアの腕を抑えた。

 彼女の瞳から涙があふれ出す。

 アストリアの意識はかすかに残っていた。



 ああ、クレリアは約束を守ってくれた……

 死ぬとき傍にいてくれた

 それだけじゃなく、泣いてくれている

 オレのために

 良い女が自分のために泣くことは男にとって特別なことだ

 オレは人生の最期に報われた

 逝くよ、セレナ

 君が迎えに来てくれなくとも

 君を探す

 あのときいえなかった言葉を伝えられるかな



 アストリアは意識を失った。

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