第十章 クレリアのファーストキス

 水温は低かった。

 アストリアはクレリアを抱えて川岸まで泳いだ。

 20秒にも満たない時間である。


 だがふたりの体温を奪うには十分だった。

「クレリア、クレリア! 生きているか⁉」

 クレリアの返事はなかった。


「水を飲んだのか⁉」


 クレリアの口元に手を当てると息をしていない。

 アストリアは蒼白になった。


 心臓の位置に手を当てると鼓動はある。まだ間に合う。

 処置を間違えたらクレリアは死ぬ。


 仰向けに寝かせて気道を確保しながらお腹を押して水を吐き出させた。

 そのとき1匹の小魚が出てきた。

 こいつがクレリアの呼吸を止めていたのだ。


 続けて人工呼吸する。

 鼻をつまみながらクレリアの唇に息を吹き込んだ。

 クレリアの呼吸は戻ったが意識は戻らない。


 体温が下がりすぎたのだ。

 それはアストリアも同じである。


 アストリアは神に祈りながら自分の荷物から火口箱をまさぐった。

 もし火口箱が浸水していたら自分のいのちもクレリアのいのちも失われる。

 幸運の女神は彼を見捨ててはいなかった。


 幸いに森には枯れ葉・枯れ枝がたくさんあった。

 偶然近くにあった小さな洞窟に彼女を運び、焚火をおこした。


 やることはまだある。

 濡れている服を乾かさなければ。

 アストリアは自分の服を1枚脱いでは絞っていった。

 続いてクレリアの服を脱がし、自分の上着を着せた。


 クレリアの服を絞ったあと焚火に当て乾かす。

 そのあと自分の右腕の傷口の応急処置もした。

 もちろん、からだも火に当てる。

 

 クレリアを包み込むように背中から抱きしめながら。

 彼女の手足の指先をマッサージしてやる。


 凍傷なんてさせるか、オレの体温でおまえの指を守ってやる。

 オレの心臓が生きていることはあの男・・・に証明されていることだ。

 心臓が動く限りこいつを守る。


「んあ……」

 クレリアの意識が戻った。


「クレリア、気が付いたか?

 オレたちは川に飛び込んで、そのあとおまえは意識を失ったんだ」


「わっ、なんでわたしが傭兵さんの服着てるの、下半身(ショーツ以外)なにも穿いてないじゃない」


「濡れてる服を脱がしたんだ。

 いまふたりでからだを温めるためにこの姿勢をとってるんだ」


「はなせっ、わたしはあなたに触れられたくない」

「うっ」アストリアが顔をしかめた。


 アンダーシャツの上から染み出た血が広がった。

 右腕の傷口が開きかけている。

「あっ」クレリアは罪悪感を覚えた。でも謝れなかった。


「暴れないでくれ。

 いまオレたちは死にかけている。あの件についてはあとで説明する」


 クレリアは不満げに納得した。

「……この態勢でお〇んちんたてないでくださいね」

「ばかっ。オレたち死ぬかもしれないんだぞ」


「わたしの裸、見た?」

「見た。すまないと思っている。

 辱められたと思うのなら名誉を守るためにオレを刺せ」


「わたしはそんな人間じゃない。……どう思った?」

「え?」

「わたしの裸」


「どうって……、綺麗だと思ったよ。

 からだを張って守ったきた甲斐がある」


「ふふん、そうでしょう、そうでしょう。

 わたしのからだは完成された彫刻のような造形美を保っていますからね」


「いつも水の飲み過ぎでお腹がふくれてるくせに」

「いま、それいう⁉ ……どうしてわたしの居場所がわかったの」

 ふたりは小声で会話を続けた。洞窟の外は完全に深夜である。


「フランクが魔術探知した。

 クレリアの部屋に残っていた髪の毛から、砕けた鮮赤の紅晶クリムゾンクリスタルの粉を使ったんだ。

 この森に入ったことはわかったからあとは死に物狂いで探した。フランクも一緒にこの森にきてる。

 いまごろオレたちを探してるだろう」

「ふ~ん」


「食え、少ないが食料だ」

 アストリアが袋に包まれた乾燥レーズンをだす。

 クレリアのお腹がぐぅとなった。


「いらない」

「どうして? 腹減ってないのか?」


「施しは受けない。

 まして嫌いな人なんかに」


「オレはクレリアを裏切ってない、本当だ」

「あの状況で白を切るとか、許せない」


「あとでシオンから説明を聞けばわかるよ。シオンに謝れよ。

 あばずれはいい過ぎだぞ。

 オレだって、騎士学校中退のこととか、絶対いわれたくなかった。

 なんで知ってたんだ?」


 クレリアは面白くなさそうにほっぺたを膨らませた。

 彼女の顔が〝わたしは悪くない〟といっている。


「依然聞いた話からあなたが騎士学校を卒業していないことは明白です。

 事件を起こした人が休学になっているとは思えません。

 わたしの賢い脳細胞をつかって演繹的に推理しただけです。

 ほかにいうことはないの?」


「思わせぶりな態度がクレリアを苦しめていたなら謝罪する」

「言葉だけじゃ許さない」

 許してやるもんか……!

 クレリアの下瞼したまぶたに涙が溜まっていた。


「どうすればいい」

「償いとは自分で考えるものです」


「なんでもする」

「前にもなんでもするっていったよね⁉

 ウソツキ!

 なんでもするっていったら、どんなに恥ずかしいことでもしなくちゃいけないんだよ?」


「いってくれ」

「わたしとお馬さんごっこできる?」


「お馬さんごっこ?」

「わたし、お父さんいないから」


「できる」

「イヌのまねして、『クレリアちゃん、大好きだワン!』」


 アストリアは指でイヌを形作る。洞窟の壁にイヌが現れた。


「クレリアちゃん、大好きだワン! もう許してくれだワン!」

 ワントーン高い声をだした。


「まだダメ」

「怒ってもかわいいとか、反則だワン!」


「おだててもなにもでません」

「わたしとちんちんかもかもできる?」


「なんだそれ」

「男女の仲が極めて睦まじいこと」


「クレリアちゃんとちんちんかもかもするだワン!」

 クレリアに笑顔が戻った。

「笑っている顔が一番キュートだワン! 怒ったご主人様は超怖かったワン!」

「もうイヌはいいですから」

 やっとふたりの間のわだかまりが打ち解ける。


「クレリアに告白がある」アストリアは真顔になった。


「また、ヘンな告白じゃないでしょうね」

「クレリア。

 オレ、おまえに会うまで死ぬことばっかり考えてた。でもいまは……」


「………。」


 クレリアは憂いを込めた瞳でアストリアの次の言葉を待った。


「生きたいよ。きみに出逢ってから、死ぬのが怖くなったよ」


 クレリアはアストリアを見つめた。

「……チューして」



つづく

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