第四章 小説家 银月暁(インユエ シャオ)
アストリアは先ほどの芝居を見て、女神が一時的に人間に生まれ変わりひとりの青年と恋をする物語なのだと解釈した。
そして人間でいられる時間は限られていた。
ふたりが別れるのは必然だったという悲しい物語である。
途中からだったがとても印象に残る演技だった。
「なあクレリア、いまのどう思う。ん?」
クレリアを見ると号泣していた。
顔は真っ赤で眼は瞬きの度に涙をこぼす。
軽くしゃくりあげている。
「どうしたんだ、クレリア?」
クレリアは左腕の袖で涙を拭う。
「か…、か…、かわ……、ひっく」
「なんだって?」
「かわいそう、えく、ひっく」
両手を使って涙を拭っても止まらない。
あまりの号泣に周囲の注目を集めた。
アストリアは彼女を連れて、芝居の関係者らしい女性に話しかけた。
「すみません、この子をどこかに座らせてあげられませんか」
「どうしたんですか?」
劇団員が受け答えした。
「演技がすばらしくて……」
クレリアはそういうとまた泣き出した。
アストリアと同い年くらいのその女性はクレリアを見るとすぐに案内してくれた。
「ここに座って。演技がすばらしくて泣いてもらえるなんてみんな喜ぶわ」
小部屋に案内され女性はどこかへ行ってしまった。
「クレリア、なにがそんなに良かったんだ」
泣きつづけるクレリアにアストリアが問う。
「いまの見て泣かない人は人間じゃない」
クレリアはハンカチで目元を拭った。
「悪かったな、人間じゃなくて」面白くなさげに答えた。
「悪いわ。とてつもなく悪いわ。傭兵さんはカインの爪のあかを煎じて飲むべき」
クレリアが本気なのか冗談なのかわからない。
「クソガキ……」
ようやくクレリアの涙は収まってきたが鼻の頭は赤くなってしまった。
そこにさっきの女性が人をたくさん連れてやって来た。
この部屋は役者たちの控室だったのだ。
「こんにちは。わたしが脚本を書いたフェイ・ラナリオです」
その女性は眼鏡をかけた10代にも20代にも見える女性で肌の色は陶器のようだった。
女性だが動きやすいズボンを履いている。
顔全体の印象は温和で好感がもてる。
栗色の長い髪をシュシュでまとめ首から胸に垂らしている。
そして小柄なわりに服の上からわかるほど豊満な胸をしている。
「わ、わたしはクレリア・リンリクスです。
この人は連れのアストリア・ウォルシュです」
クレリアは上がり気味で答えた。
「フルネームで呼ぶな」
アストリアはつぶやいた。
フェイは笑った。
「リンリクスって月の名前ですね。奇遇だわ。
わたしの本名は
意味は銀の月の夜明け。劇団の名前も
「綺麗な名前ですね! あ、あの、マーシャとカインは結ばれるんですか?」
「うーん、それは答えを出すつもりはないの。
受け手の解釈に任せるっていうか、そういう余地があったほうが作品に深みが出るでしょ?」
「ふたりには幸せになってほしいです!」
「嬉しいです」
ひとりの女性がクレリアの前に出た。
それはマーシャを演じた女性だった。
「本物のマーシャだ! カインもいる! サインしてください!
あ、色紙……、この日記帳にお願いします!」
「わたしの名前はエステルっていうのよ」
マーシャ役の女性が名乗った。
「おれはアルベール」
カイン役の男性も名乗る。
エステルもアルベールも快くサインをしてくれ、クレリアに握手してくれた。
「おふたりは恋人同士なんですか?」
クレリアの質問にふたりは苦笑した。
「それは、違うわね。この人彼女いるし」エステルが答えた。
「来月結婚するんだ」アルベールは頭をかいた。
「おめでとうございます。ところでこのお芝居は明日もやってるんですか?」
「ごめんなさい。祭りは今日で終わりだから明日片づけが終わったらこの村をでて新しい公演地を探します」
フェイの返しにクレリアはしゅんとした。
「このお話はね、わたしが14歳のときに書いた物語がもとになってるの」
「14歳⁉ わたしと同い年だ」
「この地方には昔から天女と人間の男が恋に落ちる昔話がたくさんあって、それを原型に女神と人間が恋に落ちるお話をつくったの」
「ロマンティック……。わたし、あそこ好きです。
『もし願いが叶うなら、人間に生まれ変わってひとりの女としてもう一度あなたに初恋したい』ってところ。
もうジーンときちゃって、思い出したら泣けてきた」
「よく覚えてますね。そこまでいってもらえるのは脚本家冥利に尽きます」
フェイは微笑みを返す。
「わたしにもお話しかけるかなぁ」
クレリアが憧れを口にする。
「書けると思うわ。でも、それはわたしみたいな物語じゃなくて、クレリアちゃんだけに書ける物語になると思う」フェイは眼鏡のつるに触れた。
「どういう意味? フェイさん」
「んー、つまりね、自分のオリジナリティを出すことが作家にとって大切なの。
わたしの持論よ」
「そうなんですね」
「あとは、最初から大作を書こうとしないことかな、それと……」
「おいフェイ、熱くなるなよ。困ってるぞ」
熱弁を語りだそうとしたフェイに劇団員が注意した。
「あ、ごめんねクレリアちゃん。わたし小説のことになると熱くなっちゃって。
脚本もやるけど、小説が本業なの。わたしオーガタのわりに神経質なのよね」
フェイは照れ笑いした。
「いえ、参考になります。フェイさんは凄いですね。若いのに」
(オーガタって体形のことかな、全然小柄に見えるけど)
「わたし、
「ええ⁉ いや失礼。てっきりオレより年下だと思ってた」
声をあげたのは後ろにいたアストリアのほうだった。
「わたしは売れない小説家だけど、小説を生活の手段にはしたくない。
同じストーリーを繰りかえして書きつづける大作家より、一瞬の煌めきを放って、見た人が一生忘れられない閃光を残す流れ星になりたい」
そう語るフェイの瞳の中にクレリアは確かな煌めきを見た。
それは夢や志を語る若者の輝きだった。
※フェイは中華系をイメージしたキャラクターですが厳密に中国人というわけではありません。本名も簡体字と繁体字が混在しています。
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