第十八章 不穏

「おかえりなさい」

 アストリアがアランの屋敷に帰宅するとクレリアが眼鏡を外し、ぱたんと読んでいた本を閉じた。屋敷にはアランもフランクも在宅だが、とても静かだった。

 テーブルの上に彼女の帽子が置いてある。


 彼女は個室で本を読んでいたらしい。

 テーブルに本が積み重なっている。

 アストリアのトラウマケアのための本を集中して読んでいたのだ。


「ただいま」

「どうでした? 一回戦の相手は?」

「ええと、……忘れた」

「呆れた人ですね」

「たしかなんとかアゴーヴだ」


 そこで、アストリアはあることに気が付いた。

 四天王のひとりもアゴーヴではなかったか?

 まぁいいか、誰でも。


「クレリアはなにをしていたんだ」

「本を読んでいました。もう借りた本はすべて読みました」


「官能小説をいっぺんに10冊も……。なんてエロガキだ、絶倫だな」

「いまの言葉、取り消してください!」

 クレリアはがたっと立ち上がった。


「本当のことだろ」

「このーっ!」


 クレリアは逆上してアストリアの二の腕をつねくった。

「イテー! なにすんだよ!」


「わたしを侮辱する人間は許さない」

 クレリアは気のたったネコのようだった。

 髪の毛も怒りの脳内静電気で逆立っている。


「暴力で世界はかわらない」

 彼は腕をさすった。

「どの口がいうか!

 ふしぎなんちゃら隊の構成員としてブイブイいわせてたくせに」

「人生の汚点だ」

 クレリアは唇をかんだ。


 ほとんどあなたの心の傷を癒すために借りたんだよ。

 本当のことはいえないけどひどい。


 そう思うと悔し涙があふれてくる。

 クレリアは唐突に泣き出してしまった。


「あ、あなたはひどいひと。

 ――いつもわたしを泣かして、……女の子をいじめて楽しいの?」

 抗議の涙目で視線を合わされた彼はたじろいだ。


 アストリアはその涙に驚いた。

「そんなに泣くことないだろ、クーちゃん。

 オレが悪かったから、泣き止んでくれよ」


「本当に悪い男だわ、あなたは」

 彼女が瞬きをするとため込んだ涙がまたあふれ出した。


「そんなにひどいこといったか? オレ」

「試合で負けちゃえばいい、だいっきらい」

 クレリアは涙を拭いた。

 悔しさからの言葉を吐いた。


 アストリアはばつが悪かった。

「なんでもするから許してくれ」

「なんでもするって言葉の意味わかってるの?」


「わかってるつもりだ。

 でもクレリアは死ねとかひどいこといわない優しい子だって信じてる」


 その言葉にクレリアの涙が静まっていった。

 アストリアはなにが彼女の気に障ったのかわからなかった。


 絶倫は言い過ぎたのかな……。

「……オレたちってケンカばっかりだよな」

 アストリアが床に視線を落とす。


「なにっ⁉ 別れ話⁉」

 クレリアは目を丸くした。

「いや、だからつきあってないんだって。

 クレリアとつきあったらオレは捕まるんだって」


「真実の愛にそんなこと関係ないわ。

 ねぇ、あの夜がどの夜かわからないってウソでしょ……?

 ウソだといってよ! アストリア!」


『わからない』そう答えたら彼女は体が原子崩壊して消滅してしまいそうな顔で問い詰めた。


「オレにとっては星空を見た夜も、オレが死にかけたとき看病してくれた夜も、キースと決闘したときクレリアがオレのことを人殺しじゃないといってくれた夜も、そしておまえを慰めたあの夜も、みんな大切だからわからなかった」


「そう、その日。

 アゼルを失ったわたしを慰めるためにいちばんつらい過去を話してくれた夜、わたしたちは魂の契りを結んだ。


 あなたはそう思わない?

 わたしのこと恋人にしたい存在ってマスターにいったのはウソだったの……?」


「クレリアは14歳だから」

 クレリアはつらそうな、泣きそうな顔をしてスカートを掴んだ。


 アストリアは頭をかいた。

「じゃあ、あと2年してクレリアが同じ気持ちだったら付き合ってもいい」


「それじゃダメなの」

「どうして?」


「理由は……訊かないで。

 〝どうして〟とわたしを問い詰めないで」


「?」

 このときアストリアははじめて不吉な予感がした。


「もしわたしになにかあったときはわたしの日記を読んで。

 でもわたしが生きているうちはけっして読まないで欲しい。

 この約束をあなたが破ったとき、わたしはあなたの前から消える」


「おいクレリア……」

「あなたはちょっとエッチだけど誠実な男性だと思ってる。

 だから約束だよ。

 わたし、本をアランさんに返してもらってくるね」


 クレリアは会話を遮るように隣の部屋に行ってしまった。

 アストリアはひとり、部屋に取り残された。


 テーブルに残された彼女の帽子も寂しげである。

 まだ日も明るいのに室内がやけに暗かった。


 不穏すぎるクレリアの言葉に不安になったが、不意に強烈な睡魔が襲ってきた。


 二日間ほとんど寝ていないのだ。

 横になったほうがいい。


 さっきクレリアを泣かせるようなことをいったのも徹夜明けのテンションがいけないのかもしれない。

 アストリアはソファーに横になると、寝てしまった。


つづく

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