第十四章 過去からの復讐者 後編

 アストリアは今生の別れのつもりでクレリアに語りかけた。

「オレの過去の真実を知ったクレリアがオレを拒絶するなら……。オレはおまえの前から消える。

 そのまえに、こいつだけはオレがる。あとですべてを話すからいまはどこか遠くへ……」


「いやっ、ここにいる!」

「クレリアおまえどれだけ危険だかわかってるのか」


「傭兵さん、決闘するんでしょ。これでお別れかもしれないんでしょ。誰がなんといおうとここにいる! だから死なないで!」

「クレリア……」


「もういいか」キースは青筋をたてた。「殺す。普通の殺し方はしない。死にさらせやアストリア……

 おまえの仲間も当然殺すぞ。皆殺しだ。女は奴隷小屋に売り飛ばしてやる。仲間を裏切ったつけは必ず払わせてやる」


 アストリアはその言葉に激高するでもなく灰色の瞳でキースに視線を返した。冷静で、冷気を帯びているかと錯覚しそうなほど冷たい視線だった。彼の冷酷のスイッチが入ったのだ。


「一言だけいっておく。オレはおまえらを仲間だと思ったことは一度もない。不死鬼はゴミクズの掃きだめだったぜ」


 アストリアの言葉にキースの殺気は頂点に達した。キースは言葉にもならない叫びをあげた。

「KISYAAAAAHLL!」

 宿からついてきたギャラリーたちもふたりのあまりの迫力に口を開くものはいない。それもそのはず、元不死鬼隊長格のふたりの殺気に気圧されない者はいなかった。


 フランクでさえも手の内に汗をかいている。どちらが勝利するのかフランクの洞察力をもってしてもわからなかった。


 怖い……クレリアはアストリアの灰色の瞳がなにを考えているのかわからなくなった。


 さっきまでわたしにあんなにやさしくしてくれた男性ひとがいまこれから人を殺そうとしている……。

 深夜、月明かりもない街はずれで決闘がはじまった。

 勝負はあっけなかった。


 剣がかち合う音と火花が3回、悲鳴が1回聞こえただけだった。


 あまりに一瞬だったのでどちらが勝ったのかわかるものがいないくらいである。

 クレリアはアストリアのくれた手袋を抱きしめながら胸をおさえた。苦しい……!


 敗れたのはキースだった。仰向けに倒れ後頭部にひびがはいる。

 皆が注目すると腹部の傷口から、絶対に見えてはいけないもの・・・・・・・・・・が見えている。癒しの魔法が存在しない以上、絶対に助からない傷だった。


 クレリアは目の前で人が死ぬ残酷さにまた凍りついた。よく見ると健在だった方の眼も潰れている。それを見てフランクは戦慄した。アストリアがいつキースの眼をついたかまったく見えなかったからである。ウォー・マスターの片鱗を感じた。


 キースは絶命するまえにアストリアに呪いをかけようと口を開いた。

「おれとおまえでなにが違う。同じくらいクズで、同じくらい殺した……」

 その言葉はアストリアを凍りつかせた。キースを凝視してしまう。


 潰れた眼から呪いの視線をアストリアに送る。

 するとクレリアはキースの視線を遮るようにアストリアに駆け寄った。


「見ちゃダメ‼ あなたは人殺しじゃないよ!」

 いま目の前で人を殺した男にクレリアは〝人殺しじゃない〟と云ったのだ。彼を呪いから護るために。


「おまえまで地獄に堕ちるぞ」その声は嗚咽にさえぎられ、しぼりだすようだった。

 クレリアの魂をゆさぶる言霊が、凍てついた心を、彼の涙の永久凍土を熱で溶解させる。アストリアは目を細め涙が滲みかけた瞳でクレリアを見た。二筋のしずくが彼の頬を伝った。


「かまわない」クレリアも彼にからだを寄せる。アストリアも彼女の背中を抱くのだった。クレリアも泣いていた。


(このふたりは……)アルフレッドはサンドラの言葉を思い出した。


〝片方がいなくなったらもう片方もいなくなってしまいそう〟


 このふたりは恋愛すら超越した絆でつながっているのではないか……?

 そのときは意味がわからなかったサンドラの言葉が、いまとなってはあまりにも不吉な予言に思えたのだ。


 キースは最期の言葉を遮られ吐血して絶命した。自らが好むと好まざるとにかかわらず闘争に明け暮れた人生の最期である。


 フランクは冷笑を浮かべていた。


――これならこれで利用価値がある。いずれ最高の死に方をしてもらうぞ、アストリア。


「おまえに告白したいことがある」

 アストリアはひざまずいて自分より幼い少女を見上げた。

「えっ、告白」クレリアは愛の告白かと思った。


 壊れそうな瞳でクレリアに語りかける。

「オレから憎しみを取ったらなにも残らない。

 だから、いままで捨てられなかったんだ。

 生きるために憎しみ以外は全部捨ててしまったよ。

 そうしなければけっして生き残れなかった。

 さっきの男は鏡写しのオレだ。オレの代わりに死んだんだ。

 オレの心の鏡は割れている。

 それをどうすることもできないんだ」


 なんて哀しい告白……。

 この男性ひとの過去になにがあったの?

 彼の眼は救いを求めている。

 孤独に怯える少年のように!

 わたしはなにをすればこの人を救えるの?

「わっ、わたしの胸で泣いていいよ」


 クレリアはアストリアを小さな胸で抱きしめた。

「………」アストリアの呼吸が胸に当たる。

「息が熱くて気持ち悪いっ! はなれろっ」


 クレリアはアストリアを突き放した。

「あっゴメンナサイ……」

「ふっふふふふ」アストリアは笑い出した。


「?」クレリアはアストリアの気が触れたのかと思った。

「ハハハハッ」

「傭兵さん大丈夫? 頭ケガしてないよね? いつか話して。あなたの過去になにがあったのか。でもいまじゃなくていい」


 その言葉にうなずくアストリアの瞳は母親に慰められる少年のようだった。

「……わたしね、あなたにいいたいことがあるの。あなたに剣の才能があってよかった」

「人殺しの才能だよ」

「剣の才能がなかったらいままで、わたしに会うまで生き延びられなかったでしょ。

 いつだってからだをはってわたしを守ってくれるあなたは優しい人。たとえどんな過去を持っていようとも」


 なんでこんなに優しいんだろう、この少女は。今日一四歳になったばかりの人間がこんなにひとに優しいことがいえるのだろうか。


「おまえはひとを励ます天才だな」

「えへへ、じゃあまたネタを考えておきます」

 アストリアは笑った。

「その代わりお願いがあります。わたしをおまえ呼ばわりするのをやめてください。実ははじめて会った時から反感を覚えていたのです」


「そういうことは早くいってくれ」

「わたしは守ってもらってる立場ですからね」

「オレが一度でも守ってやってるなんて口にしたことがあったか?

 オレとクレリアは対等だ。いつも、どんなときでもな」


「………。」

「ちょっといいやつかもって思ったろ?」

「ひとこと多いんだよ!」

「なんて呼べばいいんだ」


「かわゆくクーちゃんかいまみたいにクレリアと呼んでください」

「わかったよ、クーちゃん」アストリアはクレリアの頭を撫でた。

「あっ、女性の頭に軽々しく触っちゃダメです。もう、なんどいってもききわけがないんだから」



「ちょっといいですか」ようやく黒い服を着た街の自警団が現れ事情聴取が行われた。

 無責任な見物人たちは決闘が終わるとなんの興味もなくなって一人残らず退散した。


 キースは自警団所属であった。自警団が私闘を行うことは厳禁であり、またキースの素行の悪さは問題になっていたので責任は問われずに済むことになった。それが終わるころには空が白みはじめていた。


「クレリア、すまないな。誕生日にこんなことになって」

「最高の誕生日だったよ。わたし今日のこと忘れない。

 大切な人たちがわたしの誕生日をみんなでお祝いしてくれたこと。あなたは生きていたし、誕生日はいいことがあるんですね」

 クレリアは涙目で強がりをいった。そして小声で「一番驚いたのはエロ本だよ」




 朝日が昇ろうとしている。

 結局誰がアストリアの背中に傷をつけたのかはわからずじまいだった。

 キースの死体は片付けられた。残酷な死体となったのはキース自身だった。

「やれやれ、君のせいでどんどん予定が狂うな」とフランク。


「そういうことも予定に入れるのが頭の良いリーダーだろ」アストリアは皮肉で返した。

「確かに。スケジュールを組みなおすことにする。私の計算が甘かったようだ。

 これからも不死鬼の生き残りは現れるのか?」


「さぁね。広い世界で偶然出会うことなんてないんじゃないか」

「キースという男とは出会ったがね」

「出会ったら出会ったで、全員返り討ちにするさ」


「その言葉をいまは信じよう。気をつけることだ。腐った木の枝と割れた鏡を元に戻すすべはない」フランクは冷笑を浮かべた。

(なんでいまそんなことを……!)


 クレリアは精一杯の非難の視線をマスターへ向けた。気遣ってアストリアに視線を送ると彼は澄んだ瞳で彼女を見つめ返した。朝焼けが彼の瞳に輝きを与えている。


 その瞳のあまりの深さにクレリアは息をのんだ。そして急に悲しくなった。壮絶な経験が彼の魂を研ぎ澄ませ、瞳を深くしたのなら運命は残酷すぎるから。

 当のアストリアはまったく別のことを考えていた。


(それにしても、クレリアの胸はセレナより薄かったなぁ……。セレナのお胸はふかふかだったけど)


「真剣な顔でなにを考えているの傭兵さん」クレリアの視線は意外にも鋭かった。

「ナニも考えてないよ、本当に」(女の勘って恐ろしい)

「さっきからヘンですよ」クレリアが体を傾けてアストリアの眼をのぞき込む。

 

 ――アストリアは幼き日、セレナが彼と視線を合わせたあの瞬間ときを思い出した。とてもやさしい思い出。


 今また優しい思い出が増えたのだ。心の中の氷塊が溶けはじめていた。絶対に溶けないと思っていた氷塊が。


 いつからだろう。

クレリアが〝ぜひわたしのために死んでください〟といったときからそれははじまっていたのだ。この娘といればいつか完全に溶けてなくなるかもしれない。


 クレリアにとってもアストリアにとっても長い夜が明けた。

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