第1章 -7『VS〈グラディエイター〉①』
時の刻みが夕方に差し掛かり、青空を逃れた太陽がうっすらと赤みを帯びる。
ジャミング・ミストの中を、〈グラディエイター〉は泰然と遊泳していた。
いかに視界や嗅覚を妨害されていようと、培われてきた経験、優れた設計の本能が告げている。あの獲物は、群れた。群れれば向かってくる。
晴れていく霧の中、何かが砕ける音。同時に、ふたつの影が霧を破って飛び出した。一方は上へ。もう一方は、横・・・〈グラディエイター〉の視界の中へ。
「―――手筈通りに!」
「ああ!」
ロケットスタートを切った織火は、先ほど霧の中でチャナから受けたレクチャーと、作戦会議を思い出していた。
(―――さっきは、教えたら逃げなくなると思って黙ってたんだけど。
上位巨魚は、全身のどこからでもパルスを出せるワケじゃないんよ)
一定の距離を保ったまま円を描くように走行する。〈ヘッドスピアー〉にやられた封じ込めの再現。
それを〈グラディエイター〉が黙って受け入れるはずもない。目が速度に慣れるや否や、体をしならせ反転、猛然と織火の進路上へ突撃しようとする。
が、その眼前に小型のアンカーが落ちてきたかと思えば、進路の水は筒のように削られ、行く手を阻む。
「行かせませんよ、〈グラディエイター〉」
(巨魚は、パルスを発し、そして操るための器官を持ってる。
位置や形態は種類によって様々だけど、波を操る巨魚には必ずそれがある)
織火はブラスターを構える。噴射を保ったまま上体を起こし、やや中腰の姿勢でスライド移動。速度を軽く落とし、目線を均等に保つ。
スプリントのダッシュにはない動き。隠れながら口頭で教わっただけの、急ごしらえの射撃姿勢。
立て続けに二度、発砲。一発はとっさの身じろぎで回避されたが、もう一発が尾の付け根のあたりに命中した。爆発はしない。セットされていたのは炸裂弾ではなく、信号を発する特殊弾。
「よし、当たった・・・!リネットさん、マーカーを入れた!」
「了解」
リネットは空中で足と頭の位置を天地入れ替え、推進を開始する。急降下しながら数発の狙撃。背びれを軽くかすめる。
先ほどからの妨害行為に苛立つ〈グラディエイター〉はリネットに狙いを変えた。海を持ち上げ、下りてくるリネットに向けて“水の縄”を飛ばす。
「させるかよ!」
織火はアンカーを振り回しながら、リネットに迫る水の縄にパルスを流す。パルス同士の衝突により青い火花が舞い散り、やがて縄の何本かが硬化して砕けた。
残る縄を回避したリネットは、水面に辿り着くと、背中を付けるようにスレスレを飛行する。
「『フィッシャーマンズ・ゴースト』、スタンバイ」
背中のパックが展開し、漆黒の魚雷が三つ出現した。
リネットの体が青い電流を発し、それは次第に弾頭へと流れ込む。青いライトラインが、荒々しく、どこかコミカルなノーズ・アートを映し出す。三叉の銛を掲げる、屈強なドクロの漁師。
「・・・投下!」
マウントが解かれた魚雷が水中に入ると同時に急上昇。
放たれたそれは、燃料のかわりにパルスの青い光を尾に引いて、蛇行しながら確実に〈グラディエイター〉を目指す。
(ウチらが狙うのは、そのパルス制御器官だけでいい。
それを失った巨魚は、制御できないパルスが肉体に逆流して・・・自滅する!)
放たれた攻撃に危機を察知した〈グラディエイター〉が、初めて逃げに転じる。
全速で逆方向へと泳ごうとするが、リネットのトンネルや、織火の水面硬化による妨害で思うように遠ざかることができない。
一発目が迫り、青く輝く爆発を起こす。かろうじて深い位置に潜ることでこれを回避するが、鱗の一部が削られた。くすんだ灰色の肌があらわになる。
(だが、簡単なことじゃない。そもそも向こうは潜水できる。
深い位置を渡さないのが最低条件)
「うまく潜りましたね、では・・・」
リネットはヘッドギアを起動し、アンカーを水面へ放つ。
「こちらもそうさせてもらいます」
パルスが伝導する。二発の魚雷は、ほぼ直角と言っていい角度で急激に水深を下げ、〈グラディエイター〉の進路へと回り込む。
リネットが魚雷を直接すべて操作して行う超軌道殺法。それが『フィッシャーマンズ・ゴースト』の正体だった。
光。爆発。水柱。
〈グラディエイター〉が水上へ飛び出す。右半身の鱗が大部分剥がれ落ちているが、それでも常軌を逸した運動能力により、致命傷を免れていた。
(あとは、耐久力と攻撃力だ。
間違いなくあれは硬い。そして、もちろん凶悪な威力だ。
で、それを回避したとして、やつはサメなんだよねえ。
ご立派な歯牙がちゃんと生えそろってる。
生半可な破壊力では壊れない。直接打撃も望み薄。
取るべき手段はひとつだけ)
「出てくるのを待ってたぜ、刃物野郎―――!!」
織火はその瞬間を狙って全開の走行を行う。
今度はさっきまでのような円運動はしない。スロープ加速によるほんのわずかなカーブこそあれど、真っ直ぐに〈グラディエイター〉へと突撃していく。
(オルカの加速力による一撃離脱。すれ違いざまに炸裂弾で―――)
「―――その刃角をブッ飛ばす!!」
〈グラディエイター〉は今、ダメージが大きい。そうすぐには運動を開始できないだろう―――残り距離、300メートル。
加速が最大に乗る。念のため、あらかじめセットした炸裂弾を確認する。ちゃんとあの、引けば出る状態だ―――残り距離、200メートル。
〈グラディエイター〉がこちらを向くが、リネットの支援射撃が肌に突き刺さる。そこを動くな―――残り距離、100メートル。
「これで―――!!!」
ブラスターを構える。
―――残り距離、10メートル。
そこにあるはずのないあの剣が、織火の持つブラスターを貫いた。
「な―――」
いや、それは違う。織火の視界には今まさに、その剣が見えている。
では、これは?
これは―――水。水だ。水が、刃になっている。
『ここに来て―――硬化を学んだってのか!?』
チャナが驚愕する。
〈グラディエイター〉はこの窮地に、外敵の攻撃を真似た。
自身の刃角を水の硬化によって生み出し、真下から織火のブラスターを破壊してみせたのだ。
「オルカさんッ!!!!!」
「ッ!!」
呼ばれて、わずかに顔を上げる。
〈グラディエイター〉が飛びかかり、その刃を振りかざしていた。
とっさに、刃の届かない根本へ逃れる。左腕のアンカーをスタンバイし、
その腕が、開かれた大顎の中へと消えた。
「が、ッ―――」
―――残り距離、0メートル。
鮮血。
≪続≫
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