第6章 -08『北極上陸戦⑥~あるいは喝、あるいは挑発~』
そして、戦場は真の地獄と化した。
「うわああ―――っ!!!」
「に、逃げるぞ!!逃げられる方へ!!」
「ちくしょう・・・ちくしょうっ!!」
あまりにもあっけなく、そして凄惨な仲間の死。
犠牲者を前にしたマーズ隊の大部分は置かれた状況を理解し、撤退を開始する。
「巨魚め・・・よくもダニエルを―——ッ!!」
「ば、バカ!!止まるな!!止まったらやばい!!」
「うるせえッ!!」
それでも激情にかられた数人の隊員は、〈ダイヤモンド・フューラー〉と戦おうと武器を構えて留まる。
直後、彼らの真下の水面から、霧吹きのような飛沫が上がる。
パルスの発光が、一瞬。
「な、」
声はそれだけ。
表面を濡らして付着した飛沫は瞬時に冷凍され、全てを完全に停止させた。
武器も、手足も、氷細工の飾りつけに等しい。
ほんのわずかな間も置かず、真下から浮上した氷塊が彼らを凍ったままバラバラに粉砕した。
「くぅ・・・ッ!!」
―——何が軽い命か!
この焼けるような無念はなんだ!この後悔と哀しみは!
リカルドは唇を噛みしめるが、仲間の死を悼む暇は与えられていない。
わずかでも行動と判断を誤った者に、この怪物は一切の慈悲を与えないのだから。
「———チャナっさん!
しっかりするッス!どうしたッスか!チャナっさん!!」
チャナは、通信装置の前にうずくまり、頭を抱えて震えていた。
「ひ・・・!ひぃ・・・!うぁ、あああ・・・はっ・・・!!」
「お、落ち着け・・・!とにかく、ゆっくり息をしろ・・・!」
「チャナっさん・・・!!」
ドクターが声をかけても、ノエミが抱き締めても、チャナには伝わらない。
呼吸が、意識がうまく定まらない。
ここではない場所の、いまではない時間に、心は飛んでいる。
(———また・・・また、しんじゃう・・・!
こんども、また、わたしのせいで、ぜんぶこおって、きえてしまう・・・!)
・・・それとも、チャナの心は、ずっとその場所にしかなかったのか。
もはや、現実を正しく見てはいない。
冷たい苦悶にあえぎ、凍える恐怖が胸をズブズブと浸していく。
鳴り響くアラート。
介抱しているノエミに代わり、ドクターが反応を確認する。
次々に生えてくる氷の槍を回避しながら飛行するリネット。
だが、その回避は次第にタイミングが遅れてきている。
パルス反応が危険域に入っている―――スタミナ切れだ。
「まずい、このままじゃもたん・・・!!」
「———ぃ・・・」
声にもならないうわずった呼吸を吐き、チャナが光なき目を見開く。
「で、でも回収はもう無理ッスよ!バリアでどうにか防いでるのに!」
「わ、私も、ギリギリです・・・!キ、ッツいぃ・・・!!」
「くそ、何かないか・・・!?何か・・・!!」
「いや・・・だめ・・・だめだよ・・・いやだ・・・」
もはや震えてすらいない。
絶望が、手足の先から熱を奪い、虚脱を引き起こす。
パチリと、電光が閃く。蛍光緑の髪が、うっすらと光を帯びていく。
その目が、ほの暗い緑色の光を宿そうとしていたとき、
『———チャァナァァァァァアアアアア―――――ッッッ!!!!!』
スピーカーを揺らして響き渡る怒号。
びくりと肩をふるわせ、弾かれるように顔を上げるチャナ。
モニターには、氷の槍を粉砕しながら真っすぐにリネットへ向かうオリヴァー。
鬼気迫る声色と―――何かを確信する表情。
「オリ、ヴァ、」
『指揮をしろッ!!俺はどこにどう動けばいいッ!!
お前が俺を行使しないでどうすンだッ!!』
オリヴァーの真下から、氷塊が迫る。
水上に出る瞬間、踏みつけひとつ。足一本で完全に破壊する。
檻のように囲い込む無数の氷柱を、一振り数本でなぎ倒す。
そのまま手近な氷柱をひっつかみ、目の前に作られていた氷の壁に穴を開ける。
チャナの呼吸が少しずつ落ち着く。
深呼吸。
『お前の届かねえところには俺がいるッ!!
俺だけじゃねえ!!全員がお前の指揮範囲だッ!!』
視界を取り戻した目が、レーダーの表示を認識した。
マーズ隊は、全滅はしていない。確実な進路確保で逃走を続けている。
レオンはマーズを放棄した人員と氷上を走っている。環境を強かに利用していた。
そして、オリヴァーはリネットに追いついた。肩に担いで走る。
まだ終わっていない。
逃走が続く限り、この作戦は瓦解でなく、変更に過ぎない―――!
『お前の役職を言えッ!!!』
わずかに残る手の震えを、握りしめて押し殺す。
胸の冷たさは、とっくに消えていた。
「———ウチはかわいいかわいいチャナ・アクトゥガ副隊長!
ごめん、ちょっち取り乱した!」
『全体状況どうだ!?』
「ノエミ、拾ってる!?」
「アイサー!
レオンがやや逆方向だけど、他はおおむね目標地点を大外しはしない進路ッス!」
それとオルカがちょっとひとり―――」
言いかけたとき。
ひとりで疾走する織火の横に、突如。新たな反応が出現した。
「え―――これって」
未知の反応ではない。
固有のパルス反応を登録された個体だ。
王位種を示す、王冠のシンボル。
黒いアイコン。
汚れた氷壁が、メキメキと音を立てて軋む。
「テメェにしちゃチンタラ走ってるじゃねぇか・・・!」
煙を上げて収縮する漆黒の泥。
やがてそれは轟音を放って爆発し、壁を排除した。
「・・・『どういうつもりだ』って聞く暇もないんだけどさ・・・!」
同時、二つのシルエットは走り出す。
やがて太陽の光が、その輪郭を白日のもとに照らす。
黒銀のスーツと、大型のジェットブーツ・・・の、擬態。
白い肌と、白い頭髪———十本の脚。
「並走してる、ってことはさ!
何だか知らないけど、手伝ってくれるってことでいいんだな!?
———
「ハ、逆だろうが・・・!!
テメェが俺を手伝えよ、御神織火!!」
予定の外からの敵と、想定の外からの味方。
地獄はいよいよもって混沌を極めるのだった。
≪続≫
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