第6章 -32『にじ』



 〈フューラー〉が倒れてすぐ、わたしとオルカは氷壁を出ることができた。


 予定ではもう30分はかかるはずの掘削作業は、オリヴァーとの戦闘から復帰したレックスの参加によって大幅に完了が早まったらしい。

 『いいとこ無しで終われるか』だの『いい八つ当たり対象』だの、色々と言ってたみたいだけど、それをドクターに言ってたあたり、装備提供の義理もあるんじゃないかなとは思う。わりと律儀な感じするよね、あいつ。


 セントラルフォースの面々とドクター、それとエッセは、明日の早朝を待って遂にGF-01の調査に乗り出す。最大の脅威が去った今、少しでも多くの情報を得ることに期待しよう。

 エッセは・・・やっぱり、オリヴァーと決着が付けられなかったことを悔やんでいるみたい。一方で、『後悔だけでも残ってくれた』とも言ってた。

 その気持ちは・・・今なら、なんとなく分かる気がする。


 


 私の話になる。

 すぐにでも風呂に入って、そして泥のように眠ろうと思っていた矢先、ドクターに声を掛けられた。

 ドクターは私に、座標の書かれたメモを渡してきた。


「オリヴァーから最後に頼まれた。

 『ここに行けば見られる』・・・と。それだけで伝わると言っていたぞ」


 私は、それだけ聞いて、すぐに準備を整えに走った。










 










 ―――そうして、再び。

 私ことチャナ・アクトゥガは、この山を登っているのだ。







 まぁ山と言っても、大地も草木もありはしない。

 そういう形の氷の塊。つまり氷山だ。

 足を乗せたって滑りもしないほど冷えて乾いた斜面に、一回一回ピックを刺して、ゆっくりと頂点を目指す。




 その道のりが、この小さな体にはあまりに長いから―――私は、ここに至るまでの経緯を思わずにいられなくなってしまうのだ。


 今はまだ、それは鮮明な光景としてまぶたに焼き付いている。

 だけど時間は偉大で残酷、そして殺意が湧くほどに、お構いなしの乱暴者だ。


 例えば来週には、それは経験になるだろうと思う。

 例えば来月には、それは記憶になるだろうと思う。

 例えば来年には・・・そのまた来年、さらに来年・・・いくつもの来年を重ねて、これは思い出になっていくのかもしれない。


 


 それほどまで先のことは・・・まだ、分かりたくもないし。

 その勇気がまだ私にはないけれど。




 思考に反して手足は動くし、肌は鋭敏に天候の変化を感じ取る。

 うっすらと服の下の肌をこわばらせていた吹雪は、もうじき止むようだ。


(この分なら、待ち時間は短くて済みそうかな)


 心配だったことが減って、ほんの少し気持ちが軽くなる。 

 ピックを刺した部分が少し崩れ、軽くなった気持ちと、もともと軽い体を重力にぽーんと投げ出す。


「おわっ、わわヤバッ!」


 滑り落ちる寸前の体をピックで支えて、どうにか怪我を免れた。

 いけない、わりと危ない登山―――登山?登氷?―――まぁ、どっちでもいいかそんなの別に・・・わりと危ないことをしているのを忘れそうになる。


 でも仕方がないのだ。

 一番よく見える場所はそこなのだ。

 一番がわかってるのに下位互換に甘んじるなんて全くおバカの所業、チャナさんはそういう半端はしないのである。


「はっはっは、褒めろ~」


 もちろんここには私しかいない。ひとりごとです。


 ・・・だけど実際、誰でもいいから私のことを褒めてほしいものだ。

 褒められるようなことをしたと思うし、してると思う。ずっと。

 ウワーン、ちょっとぐらいチヤホヤされねーとやってらんねーぜー!


 ―――ああ、そんなこと思ってる間に吹雪が止んだ。

 荒れ始める前に青かった空には、黒が増え始めている。

 携行ライトの電源を入れる。より慎重に足場を選ぶとしよう・・・。




 ざく。ピックを刺す。

 どす。足を進める。

 ざく。ピックを刺す

 どす。足を進める。


 異なるふたつの音が規則的に鳴り続けると、それは足音の数を二つと誤認させる。


 しかし実際に足音が二つあれば、そもそも音など意識しない。

 絶対に会話があるし、音が鳴るテンポは一定じゃない。

 ひとりひとりが違うペースで歩き、止まり、違う声色で話す。

 そうして、その心地よいズレを楽しみながら、目指す場所だけが同じだ。


 人は、みな異なるのだ。

 異なっているのに、どうして寄り添ったりするんだろう?

 この質問に『のに』を返すか『から』を返すかも・・・やはり異なるのだろう。


 今は、その事実が愛おしい。




「―――ついた」


 頂点は尖っていて座れたものじゃないので、少し削って平らにする。

 ひとりぶんのスペースに、シートを引いて腰掛ける。


 持ってきたボトルの中身は、エッセが淹れてくれた紅茶だ。

 本当は酒をちょろまかしてこようと思ったけど・・・今日は、こっちで正解かも。


 冷えた肌と胸を温める紅茶は、とてもおいしい。

 最初はわからなかったこの味にも、ずいぶん馴染みができたものだ。




 ―――まだ、目的のものは姿を現さない。

 空が明るすぎるんだろう。もう少し、夜を待たなきゃいけないみたいだ。
















『ねえ、オリヴァー!にじ!』




『ああ?』

『これ!これって、にじでしょ!』

『あー、チャナ?それは、――――――』

『・・・・・・オリヴァー?どうしたの?』




『———いや。ああ、そうだな。

 それは、きっと虹だ。お前がそう思うなら、きっとそうだ』




『やっぱり!そうだよね!

 きれいだな・・・見てみたいな・・・』

『見に行ってみるか?』

『見れるの!?』

『運が良ければだけどな。

 となると場所は・・・あそこあたりは晴れてるな。

 氷山を登ることになるから、しっかり準備しろよ―――』
















「———―――オリヴァー」


 瞳に映る世界には、色彩だけが揺れている。


 あのときは・・・見られなかった。

 ちょうど登り切るあたりで、天気が荒れてきて。

 私は、後半ほとんどオリヴァーにおんぶされてただけのくせに、いやだいやだと、ずいぶん駄々をこねた覚えがある。


「ねえ、オリヴァー。

 私、またここにいるよ。今度は自分でここに来たよ」


 幼かった。

 小さかった。

 あなたがどれだけ私を想い、守って、愛してくれたのかなど。

 あの頃の私には、分かっているようで、ちっとも分かってはいなかったんだ。


 だけど―――私はもう、知っている。






「ねえ、ほら・・・にじが出たよ」






 私は―――もう、知っている。

 この、空に浮かぶ虹色の光が、本当は『オーロラ』と呼ぶのだということを。

 

 だけど、そんなことは関係ない。

 私が決めたんだから、これこそが、私にとっては虹なのだ。

 決めたことが大切で、他のことなんかどうだっていい。


「一緒に見たかったなぁ・・・」


 涙が、流れた。


 燃え尽きて枯れたと思っても、そんなことはない。

 あなたが胸を焼く限り、この涙はいつまでも、冷たい肌を温めてくれるだろう。


「さみしいよ、オリヴァー。

 でも・・・きっと大丈夫。だからさ」








 かたくなに避けてきた、その言葉で。


「さよなら、オリヴァー」


 私は、おとぎ話を終わらせた。








 空が、ゆらめく。

 涙が、ゆらめく。

 

 私はいつまでも、いつまでも、虹を眺めて泣いていた。

 

 私の全てを壊して。

 私の全てを創った。


 凍える虹を眺めて、泣いていた―――。





                  ≪第6章『凍える虹の悪魔』 終わり≫

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