第6章 -31『VS〈ダイヤモンド・フューラー〉②』
その男は、試行錯誤の末にそれを編み出した。
巨魚のスケール感は、まさしく底を知らない。
これ以上ないと思われた存在が、時を経ず、いとも簡単に更新されていく世界。
どれほど装備を整え、いくら経験を積んでも、充分などということはない。
彼は、北極圏で暴れまわるうち、そのことを肌で実感した。
故に。
巨魚を狩る全ての者は、それを持っていなければならないのだ。
例えば、鍛え抜かれた圧倒的なパワー。
例えば、極限まで磨かれた技術。
例えば、絶対の信頼を置ける道具。
そういうものに、魂を震わせる名を与える。
彼は、それを理屈ではなく、研鑽とセンスで生み出した。
他者に説明などできず、ただ、己の内に灯るのみ。
だがそれを、彼の横にいた者は見ていた。
ずっとずっと・・・彼女はそれを見ていたのだ。
(———まずは、加速だ。
限界ギリギリ、かつ限界ではない速度・・・それが前提条件)
走り出した織火は、自らが走るべきコースを見極める。
目を付けたのは、自分とチャナを閉じ込める、氷の壁だ。
全方位を囲んでいて、表面に打ち付ける水を反射し、光沢を帯びている。
(これだ・・・!)
織火は、あえて槍でひしめく〈ダイヤモンド・フューラー〉の足元を通るように、一直線に走り抜ける。通り掛けにブラスターを数発浴びせる。効果なし。
眼下に蠢く蚊に気付いた〈フューラー〉がそれを潰そうと首を下に向ける。
直後、ランチャーが着弾。ぎゅるりと身をよじりながら上に向き直った。
『お前の相手はウチでしょーが・・・!よそ見してんじゃねーわよ・・・!』
〈フューラー〉は本能に従い、より大きく堅牢な獲物を先に狙うことにした。
口からの水圧によって射出される氷塊を、デビルキャンサーは潰して砕く。
巨体と巨体が一歩も退かぬ競り合いを演じていた。
「ふッ!!」
織火は水でゆるやかな登り坂を作ると、そのままそれを氷壁に浴びせた。
足の裏に少量の水を定着。流れと勢いのまま、壁面に接地、そこを走る。
ドーム状に囲む壁を、加速しながら走る。
中心に座す〈フューラー〉を軸にするかのように、ぐるぐる、ぐるぐると周る。
さながらジェットコースターだ。
そうしておいてから、足裏の水の温度を上げる。
温められた水は、氷壁の表面を少しずつ溶かしていく。
当然、その程度で瓦解するほどの薄い壁ではない。今も外部で必死の掘削が続き、その音がドン、ドン、ドンと響いてきていた。
しかし、溶けた氷は水になり、織火はそれを拾って連れていく。
最初は足裏に薄く張るだけだった水量は、やがてブーツを包み込み、そして遂には脚全体を覆うに至った。
生ける波と化した織火は、ますます加速を得てトラックを疾駆する。
大きくなる飛沫の音が、ここでようやく〈フューラー〉にも届いた。
気付けば周囲を走り回る、耳障りな虫の音。
わずかにその意識が織火に向き始める。
「こっちを見たな!
『ラビットレイル・ライオット』!!」
織火はそれを確かめると、ふたつだけ中身を残していたパルス爆弾を手に取り、〈フューラー〉に投げつける。
着弾予測地点は、腹と首の中間・・・人間ならば胸元に相当する位置。
〈フューラー〉は歴戦の感覚で、爆弾にこれまでと異なる威力を察知した。
すぐさま氷の鎧を展開する。爆弾は氷に阻まれ、ダメージを与えるに至らない。
『ひゃっはァ!!
かかったな、カキ氷野郎―――ッ!!!』
爆弾によって氷の鎧が発動した直後、チャナは機体が軋むほどの限界駆動。
無理やり背後に滑り込む。
『チェーン・シザースッ!!』
デビルキャンサーのハサミが、根本から射出される。
本体とハサミを繋ぐチェーンが、〈フューラー〉の翼足にガッチリと巻き付く。
身じろぎするが、離れない。
『おらッ・・・しょぉおおお―――ッ!!』
背を壁に擦り付けながら、チャナは全力でチェーンを巻き取る。
大きく背を反る〈フューラー〉は、仰向けに氷の張る胸元を晒すことになった。
『オルカ―――ッ!!
今だァ――――――ッ!!!』
「OK」
合図を聞くと、織火は即座に行動。
水を引き連れて〈フューラー〉の真上まで跳躍した織火は、サマーソルトキックの要領でそれを真上に蹴り上げ、上空へ続く一本の水路を作り出す。
速度を保ったままそこを駆けあがり、最高地点で水を全て回収。
ひとつの大きな水の球体を作り出す。
「『アークライト・アンカー』ッ!!」
右腕のアークライトを、アンカーの形状に固定。
水球の底に足を当て、膝を限界まで屈めて、バネを溜める。
「こいつをぶつける・・・ッ!!」
———〈ダイヤモンド・フューラー〉。
北極圏の海の支配者。絶対零度の暴君。
パルスを得たかわり既存の餌が壊滅し、飢えるままに彷徨った一匹のクリオネ。
自然の機能に、弱き者への慈悲は搭載されていない。
やつれるか、引き裂かれるか、あるいは丸ごと吞まれるか。
内外から迫る確実な苦痛、終わり―――死。
飢えと恐怖が、生命力の奔流たるパルスを喰うという、突然変異を促した。
喰らえば強くなり、強くなれば安全に他者を虐げ、また喰らう。
権利を得るのだ。
では。今、その権利は?
翼は鎖で繋がれ、身を横たえ、断頭台は用意された。
今、喰らう側にいるのは、どちらだ?
それがもし、自分にないのだとしたら。
どうなるというのだ?
―——ギィィィィィィィィオオオオオオオオオオッ!!!!!!!!!
「ぐ・・・!?」
『うああっ!?」
空気を震わす、今際の絶叫。
生存本能が、備わった生態の限界を引き出す。
既に張られている氷にヒビを入れ、隙間から新たな水を噴出。
体が端から萎れるほどの水量を一点に集め、急速に冷凍。
先ほどまで鎧だったものは、巨大な氷山となり、切っ先を織火へと向けていた。
『こい、つ・・・ッ!?この土壇場でッ!!
オルカッ!!』
ギュアアアアッ!!!ギュィィィィイイイイイイイッ!!!!
それは快哉か、はたまた分不相応な行いへの怒りか。
今や落ちて刺されるばかりの虫に、〈フューラー〉は声を上げた。
「—————————」
・・・織火の耳には・・・そんな声など、一切届いてはいなかった。
ただ、考えだけが脳を巡る。
(要は・・・やっぱり加速だ。
もう一段、瞬間的に加速しなきゃいけない。
そうしないと、知ってる規模に到達しない)
アドレナリンが血を急がせ、酸素を脳へと運び続ける。
思考が走る。理論の迷宮を最短距離で駆け巡る。
(加速に必要なものは何だ?
パワーか?燃料か?・・・・・・・・・いや)
織火は、顔を上げた。
天地逆さだった体を、背筋が持ち上げる。
ほんの少しだけジェットを噴射。
水球の表面を滑るように、球体の真下から真上へ立ち上がる。
膝を折り、バネを極限まで溜める。
それを一気に解放し―――
「つまりは・・・距離だ」
―——当初の想定と、真逆。
水球の破裂とバネによる加速で、織火はさらに上空へと跳躍する―――!
『んなッ!?
オルカ、その水球がなきゃ加速が!?』
「大丈夫。
本来の要領でやれればいいんだ?」
『ッ!?・・・やれるの!?』
「こういうとき、隊長だったらこう言うもんだろ」
織火が、再び最高点に到達する。
「『そこまで言うならやってこい、作戦を許可する』・・・ってさ」
織火は、足の裏に、ほんの少しだけ水を連れてきていた。
腰から、最後の爆弾を手に取る。
天地を返し、頭が下に来る前に、それを軽く放り投げる。
足を縮め、みたびバネを溜める。これが最後。
起爆。
爆風が足裏の水に、ほんの少し触れた瞬間。
自ら水を炸裂させる。
爆風と表面張力の反発が―――人外の領域へ、織火を押し出す。
その高度は、もう、ドームの遥か上。
外で掘削を行うレオンやフィン、リネットも、その青い爆発に顔を上げる。
「——————隊長・・・?」
それは、御神織火に違いないのに。
逆行に一瞬、黒く浮かんだシルエットが―――彼らには、別の人物に見えた。
———全ては一瞬だった。
〈ダイヤモンド・フューラー〉は・・・最期、声を上げる暇などなかった。
あれほど避け続けた恐怖や痛みは、感じることすらない。
理解したのは、氷山は触れることすらできず、風圧だけで形状を失ったこと。
そして光、青い光、落ちてくる、青い、青い、まばゆい輝き。
最後に・・・・・・・・・重さ。極限の重さ。
ただ、それだけ。
『技の頭文字を合わせる』。
織火にとってそれは、特に何か意味のある決まり事ではなかった。
ただ、最初の頃に考えた技が、偶然どちらもそうだっただけ。
何となく、ゲン担ぎというか、縁起のために続けてきたことでしかない。
だから、今回もまた、偶然の産物。
織火は・・・たった今、その偶然にこそ、胸を熱くしていた。
・・・激しい爆発もせず、静かに、蓄えた光の全てを吐き出しながら。
ゆっくりと水に溶けるように萎んでゆく〈ダイヤモンド・フューラー〉。
それはまるで、この巨魚もまた、こうなることで救われたかのようだ。
織火の手の中で、突き刺さったイカリもまた、ほどけて光に溶けてゆく。
全ては済んだのだと、残る者に告げるかのように。
流れる涙が、昇る光を乱反射する、その中で。
「———『グロース・グラヴィトン』」
織火は、受け継いだその名を、静かに口にした。
≪続≫
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