第2章 -2『グランフリート公艇国』
―――その国の歴史は、一隻の船から始まった。
110年前、『
イギリスの大富豪ハロルド・マクミランは、自らの会社で建造していた豪華客船に家族や友人のみならず、近隣から逃げ延びた市民全てを収容し、生き延びた。
変わり果てた世界。物理の歪んだ海だけが広がる世界に、船内の誰しもが絶望し、生きる気力を失っていた。
しかし、その中にあってマクミランは高らかに声を上げる。
『諸君、私には怒りがある!
何も分からないまま、あの素晴らしかった世界が消えてなるものか。
消えたとて、素晴らしかった世界を懐かしむまま終えてなるものか。
生きることは今、戦いである。
知ろうとすること、作ること。
隣人たちと支え合い、健全に語らうことも、全ては戦いだ。
私はこの無尽の海と戦い、必ずや勝ってみせる!
・・・諸君らも、この船から初めてみないか。
この矮小な乗り物を、新たな世界の原初の灯火にしてみないか。
戦いを―――善き戦いを!』
後に国家的スローガンとして受け継がれていく『善き戦いを』という言葉のもと、マクミランと乗組員たちは動き出す。
はじめは船としての特徴を活かした各地への災害支援に始まり、海の性質の調査、海上に足場を築く手法の確立、そして人類の脅威・
もちろん、生き残った人間たちはそれぞれに個人単位・組織単位・国家単位で生きるための戦いをしてはいた。
それでも、名前すら付けられていなかった船で世界を巡ったマクミランたちの功績は計り知れない。
やがて、マクミランの活動を支援する船が一隻、また一隻と増えていく。
その数が百を超えたころ―――誰からともなく、世界は彼らをこう讃えた。
「―――そして、天寿を全うされたハロルド・マクミラン氏には死後、
本国イギリスより公爵の位が与えられ、その子孫が脈々と受け継いでいる。
・・・というのが、この国のあらましです」
「―――――――――・・・・・・・・・・・・・・・・・・なる、ほど」
―――御神織火には・・・今、噛み殺すあくびもなかった。
伊達メガネ(そんなものをどこに持っていたのか)で講義をするリネットの声が、耳から頭蓋へ通って脳しんとうを引き起こす。
依然として、織火は歴史に興味がない。
だが・・・目の前にあるそれは、もはや興味や好奇心といった範疇の話ではなかった。
これを見て退屈だと思える人間とは、あとでも友達にはなりたくない。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・今の話は、分かった。
だが―――その話から、こうなっちまう過程が全く分からない・・・」
喉でプレス機にでもかけたような声を出しながら、茫然と織火は見上げた。
自らの目的地―――巨大船上国家・グランフリート公艇国を。
さて、通常―――『国に到着する』というのは、どういうことだろうか?
よほど特殊な事情がない限り、港というのは普通、平らな地形に造られる。
船で目的地が近付けば、港に面した街並みや、国によってはまだ残っている山など自然の姿が見えてくるだろう。
それを見ながら、その国の文化やこれからの出来事に思いを馳せ、はやる気持ちを旅行カバンのジッパーで抑えて下船の準備をする・・・というのが、普通だ。
フォーカスを御神織火の時間に戻そう。
確かに、織火がグランフリートを訪れたのは深く壮絶な事情があり、決して余暇や行楽などではない。
それでも思春期の少年には違いなく、初の海外渡航には戦いへの決意以外の感慨も少なからず存在したのである。
そうして今、織火は―――丸い壁を見ている。
否。それが壁でないことは、織火にも分かっている。
最初、遠くにあるときは、壁に見えた。
近付くにつれて、それが船のいわゆる『球状船首』と呼ばれる部分であったことが判明し―――更に近付いた結果、それは壁にもどった。
港町の姿はおろか、港そのものがどこにも見えない。
どこにも、というより、もはや何も見えていない。
シルエットが大きすぎて太陽も完全に隠されてしまい、急激に周囲が冷え込んで、思わず上着を羽織ったほどだ。
「デカすぎると思わないか・・・」
・・・・・・・・・リネットは少し前に『乗艦の準備をする』と言ってどこかへ行った。
あたりには誰もいない。
誰に言ったのか織火も分からなかった。とにかく何にも分からなかった。
『分からないってなんだろう』の領域にまで思考が飛びそうになったとき、
『あー、こちらァー↑、
こちらはァー、グランフリートぉー、わくわくぅー↑、便ンー。
グランフリートぉー、わくわくぅー↑、便ンー、でぇー↑、
あ、ございィー↑、ますゥー』
この状況に更なる分からなさを供給する、分からない人物の声が聞こえてきた。
聞こえた方を見ると、見たことのないタイプの飛行機がこちらへ向かっている。
一見するといわゆる垂直離陸機のようだが、機体下部にはコネクタらしき装置と、何かを固定するアームのような装置がある。
何かをマウントするのだろうか?
「その声は・・・チャナさんか・・・・・・・・・・・・」
『おい何ひとの声聞いて死にそうになってんだ、泣いたり怒るぞ☆
それはそうと長旅ごくろう!腕ヤベェな、どうすんだそれ。
まぁとにかく元気そうでよかったよオルカ~!』
「・・・いや、こっちこそ。あの時はありがとう」
『アラ~素直なカワイイとこもあるじゃん、いいってことよ♪
・・・さて、リネット。ドッキング準備はいい?』
「はい、完了しています」
「ドッキング?」
『オッケー!
オルカ、揺れるから君も中に入ってシートベルト!
あ、座るのは窓側がいいよ絶対』
とにかく指示に従い、輸送船の中で座席に体を固定する。
少し間があり、いくらかの揺れと、ガチャガチャとした駆動音。
それが収まったあと―――窓の外の景色が、次第に上へと流れ始めた。
「う、浮いて・・・いや違う。
飛んでるのか・・・あの飛行機にくっついて・・・!」
『ご明察~♪』
船内のスピーカーからチャナの声がする。
通信を接続しているのだろう。
『グランフリートはデカい船だから、海面付近には施設が作れなくてね。
ここじゃ港ってのは、エアポートのことなんよ』
「どうりで壁にしか見えないわけだ・・・」
『・・・さぁて・・・それじゃあ、そろそろちょっとグイッといくよ。
気持ち悪いかもしれないけど、すぐ終わるからね』
垂直に上昇。
織火は言われた通り、一瞬の浮遊感に目を閉じる。
・・・すぐに、ピタリと止まった。
『えー、窓の外を御覧下さい。
あちらに見えますのがぁ―――』
―――導く声に目を開く。
その光景を、なんと表現すればいいだろうか。
鉄と土、コンクリートと緑、人工と自然の全てが混沌と交じり合う。
“最新鋭”という言葉が似つかわしいビル群が、我が物のように陽光を反射し。
立ち並ぶ巨大な風車は、海の力を借りて膨大なエネルギーを生んでいる。
外周の家々には、国の別も、文化の別も・・・もしかしたら、時代の別すら持たないように見える。それほどまでに、そこには人間の生活が根付いている。
それらの全てを、驚くべきことに、流れる川が結んでいた。
―――しかし忘れるなかれ、ここは神が作りし大地でなく、人工の鋼の船舶。
それを無言のうちに語り掛ける―――あまりにも巨大な、マスト。
「これが―――グランフリート公艇国」
この先、長く・・・本当に長く苦楽を共にする、新たなるホーム。
生涯忘れることのない、最初の光景だった。
≪続≫
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