第3章 -3『つまらない』
フィンがラボに戻ると、レオンは出ていくところだった。
「おや、フィンじゃないか。水槽に入る時間かい?」
「うん。お昼前くらいまでは質問攻めかも・・・」
技術チームは日夜、この史上初の存在を解き明かすべく、フィンを調べている。
フィン自身も、別に調べられることが嫌なわけではない。研究施設では水槽にいる間はやることがなく、寝てばかりだったからだ。
ただ・・・使命感や善意に交じって、好奇心が伝わってくることは苦手だった。
もちろん人類のためになる研究ではあるのだろうが、自分が学術的興味の捌け口にされていると思うと、少し複雑な気持ちになる。
その微妙な表情を察してなのか、レオンはうーんと唸ってから答えた。
「今日はどうだろう。別のことで忙しいんじゃないかな?」
「別のこと?」
「そう。何を隠そう、ぼくも質問の嵐を抜けたところでね」
「えっ、レオンも?」
「そうなんだ!仲間だな、フィンとぼくは!」
たくましい胸板をドンと叩き、満面の笑みを浮かべる。
フィンは、タンクトップからのぞくレオンの肌に傷があることに気付いた。
そのほとんどは、戦いや訓練によるものだろう、不規則な傷。
しかしその中に、不自然に真っ直ぐな、一筋の傷跡があるのを見つけた。
「これ・・・手術の痕?」
「ん?・・・・・・・・・あぁ、これか・・・」
傷跡は縫合されている。明らかに、メスが入った跡だった。
レオンは・・・しばらく逡巡したあと、意を決したように説明した。
「・・・これはね、フィン。
手術ではなくて―――実験の跡だよ。
胸をあけて、心臓を調べたんだ」
フィンは、胸元のあたりが冷たく痺れるような感覚を覚え、半歩あとじさる。
レオンはそれを見て、少し悲しそうな・・・しかし誇らしげな顔で語る。
「怖がる必要はない。これは、ぼくが自分から志願した。
だから、ぼくの身体を調べて、誰でも使えるようにしてもらうんだ。
機械や装置でも、薬でも・・・ああ、訓練で使えるようになるのが一番いいな!
ぼくが教えられるからね!」
腕に力こぶを浮かべて笑うレオン。
対するフィンは・・・うつむいて、自分の胸元を見る。
「それは・・・私みたいな巨魚が、いっぱいいて・・・みんなが苦しむから?
だから、みんなが戦えるようになればいいと思うんだよね?」
「え、別に?」
「へっ?」
あっけらかんと否定するレオン。
フィンは思わず気の抜けた返事が出てしまう。
「動機のひとつとして否定はしないよ。ぼくは軍人だからね。
でも、本当の理由はね―――あくまで、ぼくが、つまらないからなのさ」
「・・・つまらない?」
「そう。つまらないし、さみしいんだよ。
だって、自分しかいないんだぞ?
愚痴や相談もできないし、面白くもなんともない!
―――こんなに便利なパワーなのに!」
便利、という言葉は、フィンが考えたこともない響きを帯びていた。
フィンは巨魚を呼び、それが倒されるところを多く見てきた。
その中には、波使いの姿もいなかったわけではない。
むしろ、それ以外を見たことがなかった。
「それでいくとぼくは、君の半巨魚の姿も、正直なかなかイイと思う。
泳ぎやすいだろう、あれ」
「・・・まぁ、そうだけど・・・ほしいの?」
「欲しいね!!!」
ここにきて最大の音量だった。
フィンは軽く耳を塞ぐ。ラボからなんだなんだと数人が顔を出した。
「無神経だと思うかもしれないが、死にたい人間に遠慮はしないよ。
実のところ・・・・・・・・・ぼくは本当は、泳ぎが苦手なんだ。
波を使えるようになってからは、それでごまかしてる」
「ず、ずるっこじゃないの?」
「うん、ずるっこだよ」
またしても、あっけらかんと断言する。
「ずるっこができるのは大事なんだぞ?
人間の技術というものは、『ずるっこがしたい』で発展してきたからね。
全員がぼくと同じずるっこを覚えれば、この世界はより進化する。
ぼくや、オルカなんかも、ずいぶん生きやすくなるだろうね。
良いことずくめだなあ!!!ハッハッハッハ!!!」
そう言って、レオンは高らかに笑う。
笑っている間にも、厳しい訓練で鍛えられた胸板に、傷跡がおどる。
痛みの歴史。戦いの時間。それを、レオンは笑ってみせている。
ひとしきり笑ったあと・・・レオンは、フィンの頭をポンとなでる。
「きみも、少しずるっこを覚えたほうがいいな。
後で耐水性の端末でも探してこよう。
インタビュー中、電子書籍でマンガでも読むといい!
そのくらいでちょうどいいさ!」
そう言って、また笑いながら、レオンは去っていった。
それを見送ってラボに入り、水槽に身を浸す。
肌を鱗が覆い・・・いや、置き換わり、背中から翼のようなひれが生える。
足があった場所には、魚の尾びれが生じる。
レオンの言った通り今日はラボ全体が慌ただしく、フィンに対するインタビューや調査はない様子だった。
することもないので、眠ろうと目を閉じる。
暗闇の視界に、気泡の音。
その音よりも大きく・・・フィンの脳裏には、レオンの言葉が反響していた。
―――つまらない。
―――さみしい。
―――面白くもなんともない。
(ああ・・・私とおなじだ。
私も、ずっとつまらなくて、さみしくて・・・)
意識が、優しい眠りに逃避していく。
ぬるい水の感触が、疑問を抱いて落ちていく。
(―――それなのに。
どうして、みんな・・・・・・・・・まだ生きたいと思えるんだろう?)
(―――ああ、本当に、本当に、つまらない。
面白くない。全部不満だ)
グランフリートの街並みを、その奇妙な男は歩いていた。
ボサボサに伸び切った、灰色の髪。
谷のように落ちくぼんだ目蓋の奥、灰色の瞳がギョロリと動く。
上着も、ズボンも、靴すらも、全てが灰色。
ほんのわずかに見える肌の色すら、体温を感じぬほどに蒼白。
2メートルはゆうに超えるだろう、痩せた体、細長い手足。
苛立ちを散らすように肩をいからせ・・・しかし、まるで歩くという行為そのものに慣れていないかのように、足取りはおぼつかない。靴の先がボロボロだ。
途中、段差につまずき、受け身も取らず顔面から転ぶ。
(なんだこれは―――必要ない、必要ないぞこんなのは。
どうしてわざわざ・・・ふざけてる、つまらない、嫌だ嫌だ嫌だ・・・)
目についた空き缶を蹴り飛ばす。
転がったそれをわざわざ追いかけ、完全に平らになるまで踏み潰した。
鼻息荒く周囲を睨みつけると、通行人が避けていく。
男は、不自然に光の宿らない瞳を、立ち並ぶビルに向けている。
(どうして、まだ、こんな街がある・・・?
おかしい。おかしい、おかしいぞ、気に入らない―――!)
そのまま、ズルズル、ズルズルと歩き続ける。
やがて男は、海の見える場所に出た。
漁船の行き来するエアポート。
船を持ち上げる垂直離陸機が、せわしなく上下している。
今日は日曜日とあって、併設された魚市場から新鮮な海産物を買おうと、一般客も多く詰めかけているようだった。
腹を抱えて腰を折り、前かがみになりながら、男は・・・もはや這うと表現するのが正しい姿勢で、市場を歩く。
ふと―――ひとつの店が目についた。
鮮魚を扱う店と比べれば、小さな店構え。並んでいる籠も小さい。
アサリやアケミ貝など、小さな食用貝を扱う店。
男は歩く、いや、這う。もはや這っているとしか言えない。
靴の先が完全に破け、青白い素足が露出する。
そこから、ぬめぬめとした水が滴り落ち、あとに残った。
店の前まで来ると、緩慢な動きで身を起こす。
「へい、いらっ・・・!?い、いらっしゃいませぇ?」
男の異常な風貌に、店の主人は思わずたじろいだ。
しかしすぐに思い直し、接客の調子を取り戻す。
「今日はアサリが大量でねェ!!何にでも合うよ!!
お兄さんいっぱい食べそうだから、オマケしちゃおうか!?」
―――男は反応しない。どこか、遠くを見ていた。
だらりと垂らした両腕が、わきわきと動く。
液にまみれた指が不快な音を立てる。
主人は、怪しむよりも怒りが勝った。
こんな男がずっとこうしていては、客足が遠のいてしまう!
「ちょっと、お兄さんアンタ!
買いもしないんだったらもう帰ってくんな!みなさんのお邪魔だろうが!」
「―――?・・・・・・・・・ああ、それは、そうだな」
怒鳴ってようやく、男は店主に気付いたようだ。
そして、腰を曲げ、店主と同じくらいの高さまで頭を下げる。
「確かに、邪魔だ。そう、邪魔だな」
「お、オウ・・・分かったらいいんだよ、分かっ」
男は、店主の首にかじりつき。
そのままそれを、ばきりとひねってへし折った。
「お前が邪魔で、邪魔で、邪魔で、仕方がなかった」
「ひ、ひいいいあああああああああ?!!?!?!?」
その瞬間を目撃した主婦らしき女が悲鳴を上げる。
状況が伝達し、混乱が伝播し、恐怖が伝染する。
逃げまどい、押し、押され、次々に声が広がる。
そんな光景を無視し、男は・・・店中の貝という貝を食っていた。
「かっ、がっ、がふ、がっがっが、かふっ、ずふふぅーっ、がっがっが」
地面に座り込み、両手で引っ掴んでは口へと運ぶ。
ばきばきと音を立て、ずるずると中身をすする。
ひたすら食う。食って、食って、食い続ける。
そのたびに―――男の体は、少しずつ濡れていく。
あのねばつく水が全身を包み、男の足元に不浄の池が生まれた。
やがて全てを食い尽くした男は、人間では考えられない柔軟さで立ち上がり、再びあのぎょろりと苛立つ瞳で海を睨んだ。
「ようやく、ようやく、やっとやっと見つけたと思えばァ・・・!
どうして、なぜ、この程度の陸、ぐしゃぐしゃぐしゃにできないのかァ・・・!」
足元のねばつく水が、不快な音を立ててうごめく。
―――灰色の電流。
それは球体状に固まったあと、ひとりでに海へ飛び込んでいき、
「お前がやらないなら、お前がやってくれないなら、俺がァアア・・・!!」
―――海が灰色に染まる。
やがてそれは―――禍々しい、巨大な魚影を象った。
「俺が俺が、この“
この陸を崩して潰して、沈めて沈めて、沈めてやるぞォオ・・!!!!」
シルエットが首をもたげて立ち上がり、立ち並ぶ文明を睥睨する。
「だから、だから出てくるがいいィイ・・・!!
出てこい、出てこい、出てくるのだァアアア・・・!!!
―――フィンよォオオオ!!!!
フィィィィイイイイインンンンンンンンアアアアアアア!!!!!!!」
男の咆哮。
灰の魚の咆哮。
男である、灰の魚でもある、異形の徒の咆哮。
長い日曜日が、はじまりを告げた。
≪続≫
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