第3章 -4『彼女はなぜ死にたいのか』
―――水槽の中で眠っていたフィンは、その気配に目を覚ました。
絶望に目を見開く。
知っている気配。なにをしようと、どこまで逃げようと、必ず来る。
恐怖の記憶。体験。実感。
その絶望の一方・・・より根本の部分では、「またか」と感じている。
毎回、毎回、そうなのだ。
黙ってどこかで永遠に眠っていればいいのに、今度こそは、ひょっとしたらという希望を抱いて・・・そして、全てが終わってしまう。その必要のなかったものまで。
私のせいで。私がいるから。
(どうして私は、やめられないの?
どうして私は、くりかえすの?
どうして私は・・・・・・・・・それでもと、思ってしまうの?)
疑問に答えなどない。
それでも―――せめて、いつも通り。
彼らにそれを告げに行かなければ。
誰が、どのくらい消えてしまうとしても。
『 ■ ! ■ 緊急事態発生 ■ ! ■ 』
『 ■ ! ■ 緊急事態発生 ■ ! ■ 』
『 ■ ! ■ 直ちにセーフエリアへ避難して下さい ■ ! ■ 』
『 ■ ! ■ 対応役職各位は大至急指定配置 ■ ! ■ 』
漁港エリアで発生した異常事態は、すぐさま国内に知れ渡った。
あらゆるアラートと防衛装置が起動し、日曜の午前を真紅のランプで染め上げる。
住民は、局地的なパニックこそあったものの、驚くような速度で避難が完了した。
常日頃から海に接しているグランフリートの真価は、有事にこそ発揮される。
各分野が理路整然、一糸乱れず行動し、必要な情報と動作を届けていく。
「近海の様子は!?」
「ゾロゾロワラワラ、完全に囲む動きッス!!
東西南北どこ見たって巨魚!!大変バリエーション豊か!!
よくばりセットかっつー有様ッスよ!!」
「やはり『制御』されてるな・・・!!」
高速艦デア・ヴェントゥスのブリッジでは、先んじて乗り込んだドクターとノエミが状況の分析を開始していた。
「避難誘導は大丈夫か!!」
「そっちはブレイン・ボットがやってるッス!!
そう時間もかからず全土収容が完了するッスよ!!」
「よし、なら俺はあのデカブツに集中するぞ・・・!!」
「アイアイサー、ッス!!」
ブレイン・ボットとは、ノエミの開発した『頭脳領域分割AI』である。
出撃していないときのデアは、基地を通してグランフリート全土のネットワークとリンクしている。
ノエミはその人外の演算能力で、自らの脳の未使用部分を分割してネットワークに投影。それに疑似人格を持たせて、補助AIとして機能させた。
『個人での全土同時避難誘導』という行為は、ノエミ以外には成し得ない、まさに神域の技であると言える。
ドクターは、カメラ映像に移る『灰色の巨魚』を睨む。
細長くうねるシルエット。ぽっかりと開かれた口の中に、凶悪な牙が並ぶ。
一般的な魚でいえば、ウツボに近い。
灰色の電流―――パルスを迸らせながら、しかし微動だにしない。
何かを待っているかのようにも見える。
ドクターは送られてくる観測データをひとつひとつ、手元のデータと照合する。
そして結果が表示されると、苦々しく口元を抑える。
「・・・そうじゃねえかとは思ったが・・・!
ほとんど完全に、フィン・・・・・・・・・〈ガーディアン〉と一致する・・・!」
「それじゃあ、あれって・・・」
「間違いない―――同類だ。
それどころか、ずっと探してた『制御者』の正体がアレかもしれん」
「・・・・・・・・・だとすると、変ッスね?
なんで今までこういう襲撃をされなかったッスか・・・?
あと、フィンさんだってやろうと思ったらいつでもやれたってことッス」
ノエミの疑問を聞きながら、ドクターは黙考する。
(この際、フィンの意思はあまり考える必要がない。
現実に彼女は水槽にいて、あれがパルスを抑制していたことは事実だ。
だが、確かにあのデカブツが突如として襲撃した理由は・・・・・・・・・
理由・・・・・・・・・待てよ)
「・・・・・・・・・逆なのか?」
「逆?それってどういう」
『こちらリネット、デア・ヴェントゥス応答願います!』
会話に通信が割り込む。
スクランブルしたリネットだ。同じタイミングで、織火とレオンも通信回線に参加してくる。
「こちらデア!ノエミッス!そっちはどうッスか!?」
『私は南、オルカとレオンは東西それぞれを担当してます!
通常個体ばかりですので一匹一匹はさほどではありません!』
『ただ、数が多すぎるぜ・・・!
体力や弾薬がいつまで保つか分からねえ!』
『ダウソン戦闘員、現在交戦中!
近海に棲息する巨魚のほとんどの種類を確認!
呼び集められているものと推測されます!』
「了解ッス!
砲門を開くッスから、その付近まで誘導お願いするッス!
ブレイン・ボットに援護射撃させるッスよ!」
『助かる!―――それで、ドクター』
「ん・・・」
織火が問いかける。
努めて平易な語り口が、『あくまで確認だ』と暗に念押ししていた。
『あのデカブツは・・・フィンが呼んだのか?』
「・・・・・・・・・恐らく違う。それは、順序が逆なんだ」
『逆とは?』
「よく考えてみろ。
アイツが本当に危険な存在で、それを隔離しておかなければならないとして。
どうしてそれを秘密にする必要がある?
隔離や封印なら、俺たちに助力を申し出たほうがよほど便利にできる」
『それは―――そうですね、確かにそうです』
「あくまで推測だが・・・フィンは、隔離されていたんじゃなくて―――」
〔・・・フィイインンンンン・・・!!!!〕
〔フィィィイイインンンンンンンンンンンンン!!!!!〕
〔いるのだろう、いるな、いるないるなァアアア!!!!
出てくるがいい、出ろッ出ろ、出ろッ!!!ここに来い!!!
フィィィィィィィィイイイイイイイイイイイインンンンンン!!!!!!!〕
突如、灰色の巨魚が、空気を震わせ叫び出した。
ぐねぐねとのたうち、歯牙を鳴らす。
そのたびに周囲の海に粘液が落ち、灰のパルスが充満する。
『きゃあっ・・・!?』
『ぐぅ、あ・・・!?』
「があ・・・!?なんっ、だ・・・こりゃあ・・・!?」
その叫びには、耳を切り裂くような不快な音が混じっていた。
直接聞いた織火たちのみならず、通信越しのドクターやノエミすら、頭を押さえてうずくまる。
なおも荒ぶる灰色の巨魚。
〔出てこないか、出ないのか、いつもと同じかァア!?!?
ならばだったら、それなら構わん、分かった分かった分かった!!!!
こちらもいつものように、同じにする同じ同じ同じィイイイイッ!!!!!〕
灰色の巨魚が首をもたげ、真っ直ぐグランフリートへと向ける。
がぱりと開いた口の奥底から、灰の光が湧き上がる。
空気を鳴らして充満するパワー。
「あれ絶対なんか撃とうとしてるッスよ!?」
「オリヴァー、チャナ!!どうだ!?」
『今向かってるとこだけどよ!!!』
『ただこっちもいきなり数が増えたよ!!
くそ、これじゃとてもじゃないけど・・・!!!』
北側で灰色の巨魚に接近しようとしていたオリヴァーとチャナだが、他の方面にも増して密集した群れに阻まれ、距離を詰めることができない。
船側からミサイルやキャノン、魚雷での砲撃を試みるが、その全ては本体に達する前にパルスの壁に止められた。
灰色の巨魚がチャージをやめる。
弓矢の弦か撃鉄か、首を後ろに大きく引く。喉元がぶくりと膨れる。
『ダメ、間に合わな―――』
そして巨木のように太い光線が、グランフリートへと放たれて―――
「どうしてよぉ――――――――――ッ!!!!!!!!」
―――宙を舞う金色の魚が、それを受け止め、かき消した。
金色の魚・・・〈ガーディアン〉は、今まで見たものと様子が違う。
はっきりと、認識できるほどの実体を持っている。
あえて既存の概念で説明するならば―――それはクジラだ。
翼の生えた、黄金のクジラだった。
〔おおお、おおおおおお!!!
アハハ、ハハ、アハアハアハハハハハアアアアアアアア!!!!!
来たな、来た来た出たなフィン、来たアアアアア!!!!!!〕
灰色の巨魚が、のたうちまわって狂喜する。
「はあっ・・・!!はあっ・・・!!はあっ・・・!!」
〈ガーディアン〉の上に、息を切らせて両手を突き出すフィンの姿がある。
カメラ越しにも分かるほど、泣きはらした目をしていた。
しかし、その目に映る感情は、悲しみではない。
絶望と、怒りだった。
〔さあフィン、フィン、フィンンン!!!
またはじめよう、ちゃんとやろう、やろうやろう沈めよう!!!
今度こそちゃんと全部全部、全て全部を沈めてやろう!!!!
あのときよりもっと!!!!!ずっと、ずっとォォォオオオ!!!!〕
「―――やだって、言ってるの・・・!!!
私はもういやなの!!!もう、全部いや!!!
おもしろくないの!!!つまらないの!!!
―――さみしくて、死にたい、死にたいのに―――」
そして―――フィンは、その願いの核を、ついに曝け出した。
「どうして、いつも―――110年前も!!!
あんたたちは、いつも・・・・・・・・・私だけ、殺してくれないの!!!」
それは、世界の謎だった。
それは、世界の真実だった。
そして、それは―――戻ることの許されない、この世界の、時間。
「―――この世界を沈めた、私を―――!!!!」
≪続≫
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