第6章 -10『グレイヴヤード』


 110年前。

 『北極圏』と『北極海』は、その日、言葉上の区別に意味を持たなくなった。


 水位上昇が他の地域に比べさほどでもなかった―――あくまで他と比して、という注釈は必要だが―――北極はしかし、海流と天候が致命的に狂うという、別の形での滅びを迎えようとしていた。


 カタストロフィの最中。流されてきた難破船、沈む船から出た脱出艇・・・それらの全てが、ひとつの場所に集まっていた。

 人類が新たな北極圏について第一に学んだことは、『海流の集合点がある』という法則だ。第二に、その集合地点だけは、海流や天候が安定していること。


 生き残った・・・否、人々は、北極圏からの脱出を試み、ある者たちは死に、ある者たちは長くかからず諦めた。奇跡的にそれを遂げた者たちも、地獄に戻ることを拒むか、帰り道で死んだ。

 生き残った者たちは、隔絶された絶望的な環境で生きていくことを強いられた。

 流れ着いたときに乗っていた一部の船には、食料や生活品の蓄えは多少あったが、所詮、有限の航海のためのもの。ここでいつ終わるとも知れぬ『暮らし』を営まんとするには、無きに等しい。




 それでも。

 この北極には・・・この北極、食いでのある生物はいた。

 ———巨魚ヒュージフィッシュだ。




 彼らはずいぶんと長い間、それが巨魚とそう呼ぶことすら知らなかった。

 ただ、獰猛だが巨大で、大量に生きている・・・情報などそれで充分だった。


 極限の環境は人を狂わせるが、育てもする。

 『そうしなければ死ぬ』というシンプルな行動原理は、急激に彼らの心身を鍛え、ノウハウを、経験を積み重ねていった。住むものはみな狩人になった。

 時折、自分たちと同じように流れ着く船から蓄えを拝借し、またそれが人であれば保護し、希望があれば鍛えた。

 彼らは一時、たった一時とはいえ完全に、捕食者の地位に躍り出たことすらある。しかし、狩られる側に回った巨魚もまた、その極限状態の中で成長した。狩る側と、狩られる側が目まぐるしく入れ替わる、生存競争の巷。皮肉なことに、そうして強く大きく育った巨魚は、美味だった。


 そうした日々が、実に30年あまり。


 新国連の調査団が踏み込んだ海流の集合点には、まだらの砦が築かれていた。

 流れ着く廃船から取れた素材を、あるいは船体そのものをつなぎ合わせて、縦とも横ともなく無秩序に膨らみ続けてきた、モザイク状の巨大建造物。

 

 そこに住むものは、ただ生きて喰らうことを一義とする、最強の狩人たち。

 恐れと、幾ばくかの畏敬の念を込めて、調査団たちはその砦に名を付けた。




 




『———人と魚、どちらも死ねばそこに流れ着く。

 ここは野生と本能が産んだ、荘厳な墓石群グレイヴヤードだ』・・・と。






 


 ・・・のように説明を受けたが、当然、織火は歴史に興味がなかった。

 

 それでも、グレイヴヤードの佇まいには、本能に訴えかけるものがあった。

 生存という目標を一丸となって掲げた者たちが、それだけのために建てた砦。

 無秩序に増築するその形状が、織火の目には黒く燃える炎のように思えた。


「床が段差だらけだから、転ばねえように気を付けろよ」

「はい、ところで私が鼻をさすっているのはかゆいからです」

「転んだンだな?」

「はー、かゆ。鼻かゆデーです今日、もう、制定。来年からカレンダーに記載」

「しかも記念日かよ」


 珍しく少し浸っていた織火を気の抜けた会話が許さなかった。

 前々から思ってはいたが、この部隊は戦闘が終わったからって途端に気を抜きすぎじゃないだろうか?


「・・・テメェら戦闘が終わったからって抜きすぎじゃねぇか・・・?」


 よりによって脚の王レッグスがそれを代弁する。

 コートのフードを深く被り、黒いマスクを着用している。

 

 織火と脚の王レッグスが一時協力して危機を回避するところを、他の隊員は事前にモニターして知っていた。

 どうして北極にいるのか、その目的に関しては黙秘されたが、〈ダイヤモンド・フューラー〉が明確に脚の王レッグスも攻撃対象としていたこと、何より姿を消されるよりは安心できるということで、こうして同行させることになった。


「いつもコレかテメェら」

「まぁ、だいたい常に」

「うぜぇ・・・イラつくやつらだ・・・」

「一緒にいる間は慣れてくれ」

「死ねクソが・・・」


 そう吐き捨てながら、しかし脚の王レッグスはマウナ・ケアで見せたような激情には発展しない。以前までの印象とは別人のように落ち着いていた。


「何かあったのかお前」

「あぁ?・・・・・・・・・あったよ、関係ねぇだろ」

「確かに関係ないか」

「殺し合うときまでそうやってポケっとしてろ。やりやすくなるぜ」

「なるほど、気を付けとく」

「チ・・・!」


 舌打ちひとつ、毒気を抜かれてガンガンと床を踏み歩く脚の王レッグス

 その背中を、織火は敵ながら不思議と好ましく感じていた。


 しばらく歩くと、『マスター室』と書かれた部屋に行き当たる。

 扉の前では、エセルバートが待っていた。


「私の方が早かったな。また遠くなっているようだ、この部屋は」

「何でまとめ役の部屋が増築の度に遠くなるんだよ、真ん中に置けってんだ」


 会話の内容からすると、この部屋の中にいるのはグレイヴヤード・コミュニティのまとめ役、マスターと呼ばれる人物のようだ。


「みな、礼をもって接するようにな」


 エセルバートが一同にそう促すと、ノックをする。

 ―——5秒以上待つが、返事はない。

 ここまで長々と曲がりくねった廊下を歩いて来て、よもや不在かと思ったが、


「いるみてぇだな」

「チャナ、はいりまーす!」


 オリヴァーがドアを開く。

 





 そこには、なぜか執務机があった。






 それも、地面に立っているのではなく、テーブル部がこちらを向いている。

 つまり机はこちらに向かって投げつけられている―――!?


「んな、」

「ひゃ、」


 あまりに突然のことに息を詰まらせるのを尻目に、オリヴァーが机を蹴り壊す。

 すると壊れた机の後ろから、赤髪を振り乱す女が拳を構えていた。


「あーらよっとひょいひょい」


 チャナが飛んでくる拳撃を身のこなしで受け流し、腰から銃を抜いて構える。

 オリヴァーも机を蹴り砕いた足をかかと落としの形で女の首元に当てる。


 にらみ合う三者。




 ・・・やがて、赤髪の女はニタニタと笑い出し、だらりと体の力を抜いた。


「———うはぁ~~~ッ!

 イイねぇ~、久々に仕掛けてもぜんぜん衰えんねぇ、ふたりとも!」

「へっ、ジャンキーババァがよ・・・!手が古ィんだ、手が!」

「クラシックと言っておくれよ!チャナも元気だったかい!?」

「ひさしぶり~~~!会ってない間もウチはかわいかったよ~~~!」




 肩を組んで笑い出すオリヴァーとチャナ、赤髪の女。

 あぜんとするその他一堂に、エセルバートが粛々と紹介する。


「彼女がここグレイヴヤードの代表、マスター・ケイナ。

 ———オリヴァーやチャナにとっては、師にあたる人物だ」


                             ≪続≫

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