第1章 -10『またあとで』
「・・・落ち着いてきたかよ?」
「ありがとう、オリヴァーさん。大丈夫だ」
「ホントかぁ?突然ぶり返すのはやめろよぉ?」
織火は目の端の涙を強引に拭った。
オリヴァーはいたずらっぽく笑い、また向かい側のベッドに腰を下ろす。
「ま、ガキが泣くのを我慢することはねぇさ。
泣いてもみっともないと思われないのは今のうちだぜ?」
オリヴァーは苦々しい色の煙草のけむりを吐き出し―――明らかに『禁煙』と書いてあるが、織火は無視した―――懐かしむような、遠い目をした。
それからすぐ織火に向き直る。あの試すような目はもうない。何らかの確信めいた感情をたたえた目だった。
「エモーションを引きずるのは好みじゃねぇ、平気そうなら本題に入るぞ。
俺は今日、お前に選択肢を与えに来た」
「選択肢・・・?」
「まず前提として・・・お前にやった武器は、レンタルじゃねえ。
ウチの親玉・・・グランフリート公は、ちょっと変わったお人でな。
『戦う意思を持つ者が、その力を持たぬまま死んでいくのは損失だ!』
・・・なんて言ってよ。
お前みたいなやつを見つけると、武器や知識を配っちまうのよ」
織火はここでようやく、今日の出来事に合点がいった。
本来ならこんなものは正規の訓練を受けて扱うものだし、何より機密みたいなものもあるだろう。高校生の織火にもその程度のことは想像できた。
「トップの方針だったのか・・・」
「そういうこった。
つまり、お前がこれからも一人で友達・・・じゃ、ないんだったか?
まぁ、自分と身の回りを守るために戦うなら、あの装備はお前のもんだ。
メンテナンスや補給も俺たちに頼ってくれていい。
・・・・・・・・・さて・・・ここから、その選択肢の話だが」
オリヴァーは言葉に一拍を置く。
それから、ひとつひとつ確かめさせるようなトーンで話し始めた。
「最初のひとつ。
俺たちには、人工的に
だが―――逆のことは、できる」
「―――それは、」
「適切に処置すれば・・・お前から、その力を取り除くことができる。
お前の言う、みんなと同じに、今度こそ少しは近づけるかもな」
織火の心はざわめく。
突然に壁が壊されて、ライトか何かで照らされたような気分。
不可能だと諦めていた未来が、思いもよらぬ方向からもたらされる。
「本当、に?」
「ここで嘘を言う奴は俺が一番許せねぇよ」
オリヴァーの表情になんら変化はない。
織火は短い時間でも、この偉丈夫の枯れた実直さのようなものは感じている。
言葉に信頼を置くことのできる人物だと思えた。
「―――・・・・・・・・・もうひとつは?」
「今言ったことの逆だ。
俺たちは探すしかねぇんだ。お前のような資質を持つ人間をな」
オリヴァーはここまで言って、胸ポケットから何かを取り出す。
それは、見知らぬエンブレムが刻印された、キーのようなものだった。
「―――世界の広さはそれぞれだ。
お前にとって全てがここにあるなら、それを守ることを否定しない。
だが・・・もし、お前が。
安息や不変を捨てても、より大きなものを守る意思を持つのなら」
織火は見た。
閉じられたオリヴァーの胸ポケットに―――同じエンブレムを。
「御神織火。
俺たちの船に―――グランフリート戦隊に、来ないか。
もちろん・・・学校生活は終わっちまうことになるが。
それでも―――お前は、この世界に必要だ」
織火は―――心が、体ごと左右に裂けてしまいそうだった。
さっき語った決意が、嘘だったわけじゃない。
だが・・・誰もが送るであろう人生を、夢見ていたことも真実だった。
自分が、何を守るのか。
本当に守りたいのは、果たして、どちらなのか―――?
「俺、は・・・―――」
「お、織火!!!―――っどわぁ、だああああ!?!?」
「あ!?」
がたん、ごととん、がらがらばーん。
変な声と、変な音が同時に聞こえた。
直後、振り向いた織火の目に飛び込んできたのは―――真川春太郎の率いる大量の“聞き耳部隊”、その最前線がドアと共に大崩壊する様子だった。
「ばっ・・・かやろ、真川!お前のせいでバレたろ!」
「だ、だってよお!」
「・・・・・・・・・はっはっはっは!!
おいガキども、聞いてやがったのか!?
スケベしかいねぇな思春期どもは!!」
オリヴァーは状況を察し、大笑いでこれを迎え撃つ。
スケベ呼ばわりされた女子の一部が『オジサン』を連呼してオリヴァーを怒らせる遭遇戦を尻目に、春太郎は織火に駆け寄る。
「―――よう」
織火は、何と言っていいか分からず、とりあえず挨拶をした。
直後、目の前を春太郎のつむじが勢いよく通り過ぎた。
「ありがとう!そして―――ごめん!
マジで、お前がいてくれてよかった!!」
「―――どう、いたしまして」
織火はもう一度泣きそうだったが、どうにか耐えた。
さっきから自分の涙腺がそこで転がってるドアのようだった。
「―――で、お前からも言うんだろ?」
春太郎は後ろを振り返る。
そこには、あの男子生徒―――ユーイチが立っていた。
「・・・・・・・・・本当に悪かった。
あのあと、もう一度俺たちのところに巨魚が来て・・・
駆け付けたオリヴァーさんたちが倒してくれたんだ」
ユーイチは床に伏して、織火の右腕を見た。
そしてその手を握りながら―――ぼろぼろと涙を零す。
「・・・あんな戦いを・・・・・・・・・ひとりで、やってきたんだろ・・・!
俺が、あんな風に焚きつけなきゃよかったんだ・・・!
こんな・・・ごめんな、ごめんな御神―――ありがとう・・・!」
ああ、どうして。
どうして今、腕が動かないんだろう。
友達なら―――ここで、手を握り返してやらなきゃいけないのに。
その、ほんのりとした後悔が―――ついに織火の道を決めた。
「お前さ」
「・・・ッ・・・な、なんだ?」
「―――名字、なんだっけか?」
「えっ・・・
「鹿島。鹿島な。もう忘れない。
俺、その、記憶障害があってさ。物覚えが極端に悪いんだよ」
「障害・・・?ま、まさか巨魚に・・・!?」
「ち、違う!違う違う、そうじゃなくて・・・実はな―――」
織火は―――初めて、自分の全てを話した。
生まれつきの体質のこと。
チームメイトや担任のこと、主治医のこと。
あの日のこと、家族のこと、記憶のこと、今日のこと―――。
そして、自分は誰とも同じになれないこと。
そうするつもりもないこと。
裕一と春太郎にだけ話していたつもりだったが、気が付けばクラスの全員がそこにいて、自分の話を聞いてくれていた。
信じられないという顔をする者もいる。
思わず泣きだす者もいる。
織火の両親に怒っている者もいる。
巨魚の脅威を改めて実感し、黙り込む者もいる。
―――その誰もが、織火の話を信じた。否定しなかった。
ただ、クラスメイトと身の上話をしただけのこと。
こんなに当たり前のことが、織火にはどこまでも優しく感じた。
「すげぇなぁ・・・ちょっとできねぇよマジで」「実際やらなかったしな」「うるせえな!怖いだろ巨魚は!」「それはそうだね」
「腕、どうなるの?治る?」「アタシんち内科外科だから、薬とかないかなぁ」「大学病院とかじゃないと、どうかしらね・・・」
「許せねえよなその大会スタッフは!」「今からでも遡って抗議ができねぇもんかな」「いやぁ厳しいんじゃねえか、大会自体がうやむやになっちまったら」
賑やかなクラスだ。こんな時でも、少し話題があれば騒ぎ出す。
―――そういうものなんだろう。本当は・・・織火はそう感じた。
「―――あーあ、みんなだけで盛り上がりやがってさ。
ボロボロの俺に、みんなそろってお礼もなしかあ?」
ひょっとしたら生まれて初めてかもしれない、なけなしのユーモア。
織火はわざとらしい大声で言った。
「あっ、そうじゃん!」「何がいい!?金か!?」「すーぐ金じゃん」「いやでもこういうときって金じゃねえの!?」「ちょっと男子ども真剣に考えなよ!」「いっそ女か・・・?」「「「サイッテーーー!!!」」」
織火は今日何度目かの涙を、笑いの涙として処理することに成功した。
ひとしきり笑ったあと―――当たり前のように、それを口にする。
「・・・カレーライスが食いたいな。
日本のカレーは、もしかしたら食い納めかもしれないから」
一転、場がシンと静まる。
その中で、春太郎が口を開く。
「行っちまうんだな」
「ああ―――俺は、この世から俺を減らしにいく」
「そっかぁ・・・でも、それがいいんだきっと。
俺らじゃこんな無茶、とてもじゃないけど止めらんないし!」
「ははっ。
・・・・・・・・・みんなと、ちゃんと友達になりたかったけど」
ポツリと。
織火は、年相応の心残りを口にする。
それを聞いて・・・真川春太郎は、年相応の気軽さで答えた。
「あとでいいよ、そんなの」
「え?」
「お前のおかげで、どうにか俺ら死んでないからな。
またあとで、改めて友達になったらいいじゃん」
「・・・・・・・・・そんな、もんか」
「そうだよ」
クラスメイトも口々に同意する。
「うん、別にそれはいつでも、なぁ?」「すげぇやつになったらでいいよ、サインくれよ」「今でよくねそれ」「バカ、あの腕でサイン書かす気かお前バカ」「二度もバカ呼ばわりしたあ!?」
「そういえば今カレー自分で食べられないんじゃない御神くん」「アタシ、食べさせたげるー!」「うわずる、っていうかいきなりそれは逆に」「引く」「でもそれはそれとして食べさせるのは私だから」「「「おい!!」」」
織火は裕一を見た。
「・・・また、あとでだな」
「・・・ああ。またあとで」
春太郎が、裕一を掴んで連れ戻し、背後でカレーライスを割り勘する計算を始めたクラスメイトの輪に入れた。
オリヴァーがそばに立つ。
いつの間にか消していた煙草を携帯灰皿にしまうと、再びエンブレムを取り出す。
「まずは、その腕をなんとかしねぇとな。
その間にも可能な限り訓練だ。キツイが、付いてこいよ」
織火は、またしても揉めだしたクラスメイトたちを―――このさきの未来、友達になるかもしれないひとたちを、愛おしげに眺めながら。
「俺、ワールドクラスの選手なんで。
厳しいトレーニングは、慣れっこだよ―――隊長」
笑い声は耐えることがなく。
スカイツリーの青い光だけが、水平線の向こうを指さしていた。
≪第1章『光る青の少年』 終わり≫
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