第5章 -2『水星と火星』
「ごめんなさいねぇみんな。
運航ルートに乱水流が起きちゃって、足止め食らってたのよぉ」
実地テスト当日。
研究所前に来た織火、リネット、レオン、そしてドクター・ルゥ。
入口から出てきたマーヤが軽く頭を下げた。
乱水流というのは、読んで字の如く、突然起きる水流の乱れのことだ。
一定範囲内におけるハイドロエレメント量が安定していない水域があり、一時的に増えている場合に発生する。
ハイドロエレメントの性質を知る上で重要な現象で、研究が進むことを期待されているが、乱れた水流に近付くことは危険が伴うためあまり解明はされていない。
「仕上げは済んでるか」
「ええ、今朝イチで片付けたわ。あとはそれぞれの調整だけ。
入ってちょうだい、早速始めましょう」
研究所のエントランスをくぐると、まず出迎えたのは巨大な水槽だった。
中には大小様々な魚が泳いでおり、その中には巨魚も存在する。
エントランスから一定の範囲は、一般公開されているようだ。
「危険はないのでありますか、このような展示をして?」
「もちろん危険よ?
けど、それは生き物を収容するのだから当然のことよ。
巨魚だろうが猛獣だろうが変わらないわ」
「そんなもんか」
そうして水槽のエリアを抜け、分厚いゲートをくぐると、広いホールに出た。
所狭しと機材やコンテナ、ハンガーが立ち並ぶ。ここが開発部のようだ。
「それぞれの特徴に合わせてチューンした装備を用意したわ。
レオンくんは1番、リネットちゃんは2番に担当の研究員がいるわ。
そちらで説明を受けてちょうだい」
「ハッ、了解であります」
「分かりました」
二人はそれぞれのブースに散っていく。
「オルカはこっちだ。
お前の装備は俺の手が多く入ってるから、直接俺が説明しよう。
3番へ来い」
「わかった」
3番ブースへ入ると、縦長のコンテナがひとつ、小さなケースが2つあった。
「もったいつけても仕方ないから、まずはメインディッシュから行くわよ」
そう言ってコンテナの電子パネルを操作すると、排気音を響かせコンテナが開く。
紺色の戦闘用スーツ。胸に水晶質の丸いパネル、そこから四肢に伸びたライン。
両下腕部と両脚部に流線形のアーマー。足裏と爪先、かかとの数か所に噴射孔。
「これは・・・スーツ一体型のジェットブーツ?」
「その通り。よりお前の走り方に合わせるために、競技用スーツを原型に仕上げた」
「おお・・・」
一体型ブーツは、近年競技の世界でスタンダードになりつつある方式だ。
足先の感覚だけではなく、スーツ全体のセンサーで姿勢や動作を読み取り、適切に噴射を調節する機能が備わっている。
着用、吸着スイッチをオン。
素肌に吸い付く感覚もほんの一瞬。吸着完了後には、肌とスーツの境目がほとんど分からないほどの密着度・密閉度だった。
思わず感嘆の声が漏れる。
「これ、すごいな・・・。
やってた頃に一回着たことあるけど、ここまでじゃなかった。
相当いいスーツが原型なんだな」
それを聞いて、ドクターとマーヤはニタリと笑った。
わざとらしくもったい付けた声色。
「これは多分お前にしか分からない話だとは思うんだけどなぁ」
「なんだよ」
「そのスーツは、『マーキュリー
「はっ!?!?」
今まで誰も聞いたことのないほど大きな声を上げる織火。
別のブースにいるリネットとレオンも何事かと目を丸くする。
「ま、マーキュリーって・・・
「そうそう、それだ」
「まっ・・・マジで!?!?!?」
SANAMI・マーキュリーⅣ。
日本発の国際的スポーツメーカーSANAMIの最新型。
前年度の日本代表が愛用したことでも知られる、超ハイエンドモデル。
個人向けのメーカー小売価格―――日本円にして160万円。
全スプリンター垂涎の一品である。
「信じらんねえ。
うわ、ちょっと泣きそう。着ていいのこれ?マジで?
えっ・・・いや、マジで?」
「ハッハッハ、喜んでくれて何よりだ。
ちょっとしたツテが用意してくれてな。
高い買い物だったが、無駄にはならんだろう」
「最高、マジ最高、もう最高しかない」
ドクターとマーヤの両手を掴んで振りながら頭を下げる織火。
ひとしきり喜んだ様子を楽しんだあと、ドクターは話を戻した。
「詳しくはあとで実際にテストを行うが。
そのスーツの主な目的は、『スピードスター』の応用性強化だ。
あの技、今までは右腕でしかできなかったろ?」
「ああ・・・生身にあれだけのエネルギーは保持できない」
「このスーツのアーマー部分は、巨魚の素材で出来てる。
〈グラディエイター〉の角と同程度のパルス吸収性がある。
チャージしたパルスは、まずスーツを伝って胸のパネルに集まる。
・・・やってみろ」
織火は自分の胸元を見る。
手鏡を張り付けたような、平たいパーツがある。
胸に意識を集中してパルスを放出すると、青い光が灯った。
「そう、そういう具合だ。
チャージしたパルスは、四肢に自由に振り分け可能だ。
腕に集めて攻撃に使うも、脚に集めて加速に使うも自由。
これまで以上の機動性が発揮できるはずだ」
織火は右腕に意識を集中した。
パネルがひときわ強く光ると、スーツ表面のライトラインを流れて、パルスの一部が右腕へと流れる。
黒い装甲が、青白い光を帯びて輝いた。
「・・・こういう、感じか」
「調節に関して制御装置のようなものは最低限しか入れていないわ。
感覚は身体で覚えてもらうしかないわね」
「ああ、何とか身に着けてみる」
「よし、じゃあ次に改良型のブラスターとスラッシャーの説明だ。
これは全員共通の標準装備になるんだが・・・」
ドクターがそう言いかけたとき、織火はブースの外に目が向く。
ホールの片隅、さっきまでマーキュリーが入っていたものと同じ形状のコンテナが運び込まれている最中だった。
表面には『MZ-X01』と刻印してある。
「あれは?」
「ん?・・・あぁー、あれか・・・。
あれの話は・・・してもいいのか?」
「別に最重要の機密というものではないわ。
気になるなら、私からさらっとだけ教えてあげる」
マーヤは、レオンがいる1番ブースをちらりと見た。
「レオンくんが戦隊に来た目的は知ってるわね?」
「ああ・・・一応聞いた。
「ええ。
その研究が・・・新国連との共同になったことで、一定の成果を得た」
「・・・!・・・じゃあ、あれは」
「そう、一般人がパルスを扱うための装置、その試作品」
コンテナが開かれ、それが姿を現す。
漆黒の装甲に、真紅のライト・ポイント。
着るというより包むというような、分厚く大きなシルエット。
「ウェーブクラフト・トルーパー試作一号機。
型式番号MZ-X01。
開発コードネームは―――『マーズ』」
未だ主を持たぬヒトガタ。
炉に火が入り、瞳に鈍く光が灯る。
≪続≫
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