第4章『うねる孤島の人々』

第4章 -1『新国際連合』


 


 国際連合。一般に略して、国連。




 旧社会において、国際平和や安全の維持、諸国間の友好的関係の発展などを目的に発足された組織・・・いや、システムと言った方が正確だろうか。

 巨大さと綿密さに裏付けられ、盤石という言葉に加盟国の国旗を飾り付けたようなこの仕組みはしかし、それらを支えていた地盤が文字通り沈没してしまえば、最後はあっけないものだった。


 『大水没フラッド・ハザード』によって世界中の国家がその機能に対し甚大な打撃を受けた結果、多くの国家で成り立っていた国連も、運営は困難となり事実上の解散を迎える。


 繋がりを絶たれ、個による再起を強いられた国々。

 国家理念そのものの再定義に始まり、海上生活への適応、領海や国境の消滅による民族間のトラブル。津波のように立ち上がる課題、問題、命題。

 

 そして出現する新たな脅威、巨魚ヒュージフィッシュ

 

 新たな世界に肉体までもを明確に脅かされるに至り、ひとつひとつの国家は脆弱で頼りないものでしかなかった。

 かの『偉大なる艦隊グランフリート』が海を渡って人々を助けて回ったとは言っても、しょせん個人の集まり。国というパワーを直接支えることはできない。 




 再び、世界をひとつに繋げる仕組みが必要だ。

 ―――国家の運営者たる者の総意が、『国際連合』の再編を求める。


 


 誰からともなく、国と国が繋がっていった。

 

 まったくもって皮肉なことだが、世界の大部分が沈んだことで、ほとんどの戦争は一度終わった。武力も失われた。安定した生存が優先される状況において、かつては敵だった国同士が手を組むことは、思ったより難しくなかった。


 一方で、不安定な国家同士が繋がることは、連帯の難しさを再び人類に教える。

 繋がりとは、まとまりではない。

 ただ同じ向きに並べられただけの角材に過ぎない国々を、人類の家として組み上げ立たせることができる指導者が必要だった。




 そんな時、中東の国からニュースが届く。

 かつての国境線を挟んで小競り合いを起こしたふたつの武装グループに別の集団が介入、これを鎮圧した上で、なんと両陣営を指揮下に置き付近の巨魚殲滅を行ったと言うのだ。

 さらに衝撃的なことに、見聞きした者によれば、率いていたのは30にも満たない青年だったという。


 国連再編を望む国々は、件の青年を探し求めた。

 この時点でもう、青年の持つカリスマ性に魅入られていたのかもしれない。


 幸い、中東のニュースを皮切りに各地で同じような出来事は起きた。

 争いを仲裁・鎮圧しては、それらを指揮下に置き治安維持を行う。

 青年が去ったあとも、者たちは彼を強烈に信奉する。

 

 争いを鎮め、人を繋ぎ、友好を維持する。

 国家連合の基本理念を体現するかのような偉業。




 その青年が見つかったのは、夕日のかかる黄昏時。

 永遠に未完のまま転がる、サグラダ・ファミリアの残骸の上だった。




『おれはこの海に感謝している。

 沈むべきだったんだ、あんな世界は』




 青年は使者に対し、開口一番、そう言い放った。

 夕日の照り返しが、舞台照明のようにそのシルエットを浮かばせる。

 両手を広げ、暗い熱を、声に込める。


『見てみろ、この夕日を。

 この世界に新しく生まれた子供は、夕日を遮るビルなど知らない。

 うず高く積まれたガラスの壁でしか夕日を見られない人間を知らない。

 戦争があって、貧富の差があって―――今より、よほど滅んでいた』


 夕日は燃える。旧い世界を焼き捨てるように、海に光が広がる。


『あの醜く弱い世界は、海に沈んで平らになった。

 人類は太陽を共有の財産として取り戻した。

 この世の誰であっても、これを遮るものを建ててはならないんだ』




 青年の背へと、海を真っ直ぐに伸びる、夕焼けの光。

 振り向いたその顔に、片目だけは開かれていない。

 右の瞳だけが爛々と輝く。

 

 ただ―――使者の心には、開いている目よりも、潰れた目にかかる傷の方が強烈な印象を残した。

 閉じたまぶたに走る無数の傷。大小様々、丁寧に執拗に切り付けられたその傷は、間違いなく

 海でも魚でもない。この青年は、人間に奪われてきたのだ。




『貴様らの話、受けよう

 ただし、理念に関して修正を加えさせてもらう。

 俺がもたらすのは、旧き善き世界の存続などではない。

 即ち―――――――――』








「―――悪しき繁栄に死を」


 そうして、事務総長サイラスは、新国連に敷いた理念を呟く。

 青年時代から、延命処置を施した老人となった今に至るまで、サイラスを貫くのはこの短いスローガンのみ。


 


 ―――

 それが、サイラスがこの世界に下した判断である。


 


 今ある平和の維持は、ただその平和そのものの腐敗、そこに巣食う虫を、外界から保護することになってしまいかねない。

 そうして膨れ上がった悪意が、歪んだ常識が孵化したとき、世界は争いを選ぶ。

 

 故に―――世界の維持を担うものは、守護ではなく、ある種の侵略を担うべきだ。


 新国連が掲げる理念は、正しい平和の維持ではなく、悪しき平和へのカウンター。

 正義が世界の害ならば、悪と呼ばれながらこれを滅ぼす。

 愛が世界の害ならば、酷薄に無感動にこれを処理する。

 いかなる要因にも、いかなる事態にも、反する概念としてこれを抑制する。

 

 


 どれだけ波打っても、決して揺るがぬ海のように。

 この水上の世界を、返す波もて恒久とする。

 人の理性で海の猛威を体現する。

 これが、サイラスの起こした新国連というシステム。




 執務室のインターホンが鳴る。

 サイラスは卓上のボトルシップを眺めるのをやめ、呼び出しに応じる。

 スピーカーの向こうからは、秘書シンディーの声が聞こえた。


『グランフリート側の準備が整いました』

「すぐに行くと伝えろ」

『かしこまりました』


 短いやりとり。

 サイラスは眼帯を締め直しながら―――再び、ボトルシップに目を落とす。

 台座に刻印された文字を、懐かしむように、だがどこか忌まわしく指でなぞる。




「俺は、貴様とて例外にはせんぞ。

 貴様が次代に託し、若者の強さを信じるならば。

 俺は弱くしわがれた老人として、奴らを試そう」




 サイラスは部屋を出た。

 カーテンが揺れて、光が一瞬、台座を照らす。


『親愛なる友、サイラスへ捧ぐ

         ―――ハロルド・マクミランより』


                             ≪続≫

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