第4章 -2『選別』
新国連からの特使がグランフリートを訪れたのは、織火とフィンとの『レース』が行われた数日後のことだ。
本来であれば秘書官が応対するところを、特使の部署名を聞くや、エセルバートは自ら応対を名乗り出る。
「わたくし、新国連・情報管理局より参りました、ヴィクトルと申します。
もっとも本名ではございません!ここは役職上、ご容赦頂きたい」
「理解しているよ、ヴィクトルくん。さ、遠慮せず掛けてくれ」
「では失礼して・・・う~んフフフ、上質なソファだ!素晴らしい!」
エセルバートによって応接室に通されたヴィクトルは、座り心地を確かめるように一度深く背もたれに身を預けると、すぐにテーブルの上で両手を組む。
表面だけ見れば軽薄かつ失礼極まりない振る舞いだった。しかし、エセルバートはこの男に一切の軽々しさを感じていない。
これは獲物を見定める蛇の態度だと、経験が告げている。
「ベネツィアからここまでは遠かっただろう。
本来は呼び出しを受けてこちらから出向くところだと思うが・・・?」
「わたくし共も、最近この国で何が起きたかは存じておりますとも。
次の襲撃がないとも限らぬ今、お呼び立てするのはしのびない」
「なるほど、心遣いに感謝する。
確かにもうしばらくは防備増強に集中したいところだ」
「フフフ、お困りとあらば何かしら援助はできると思いますので・・・」
「その時は頼らせてもらう」
まずは和やかな雰囲気で、とりとめのない会話を進める。
腹を探り合う前に、相手の手触りを確認しておきたい・・・という意図。
いわばこの会話は、合意のもとに行われるウォーミング・アップだ。
「ところで―――ヴィクトルくん。
本題を聞く前に確認しておきたいのだが」
「ほう?何でしょう?」
先に切り込んだのはエセルバートだった。
ねめつける蛇を睨み返す。
「―――新国連に情報管理局などという部署はない。
学生でも知っていそうな話だ。
このような分かりやすい嘘で、一体私の何を測っているんだね?」
ヴィクトルはそれを聞いて―――嬉しそうに笑った。
『心底』と表現できないのは、ただ顔が笑いを作ったに過ぎないからだ。
「測っていると伝わったのなら充分です。
わたくし共にとって、為政者は常に審査の対象ですのでね・・・!」
「・・・やはり『選別官』か。
来るとは思っていたが、動きが早いな」
「ご名答、ご明察。実にお見事だ。
惑わされないことは為政者の資質です。素晴らしい!」
―――新国際連合・国家選別局。
サイラスが運営する新国際連合の中核をなす部局であり、その目的は、シンプルに言えば『国家が存在していいかどうか』を審査するものだ。
国家の有り様そのものが戦争や災禍を呼び込むと判断された場合、速やかにこれに手が入る。暗殺による首のすげ替えはもちろん、最悪の場合は直接的な武力の投入が行われる。
ただし、発足から60年以上経った現在、表立った武力投入に発展した例はない。
また、これを『独裁である』と言われぬよう細心の配慮がなされている。あらゆる審査はこの基準を全てオープンにされており、誰でも最新の審査結果を閲覧できる。当然、審査対象からも、外部からも異議の申し立てを受け付けている。
選別局が武力を投入したときは―――世界が、それを支持したときだろう。
「それにしても、わたくし共のような日陰者をよくご存じだ。
審査結果はオープンですが、部局の存在は公にしていない」
「何のことはない、来るのが初めてではないからだ。
こうして直接対面したことはないが」
「なんと。平和な国に見えますがねぇ、何に引っかかったんです?」
「我が国でしか製造していない武器がある。
武器の独占はテロリズムの温床になる、と言われてな」
「ふむ・・・過去形でないということは、今も製造はしてらっしゃると?」
「世界中にバラまくようにしたら何も言われなくなった」
「アッハッハ!!」
ヴィクトルはのけぞって笑う。今度はポーズではなく本当にウケたようだ。
「いや失敬、ですが素晴らしいですなぁ。
なんと大胆な戦略だ。スポーツの監督などしてみてはどうです?」
「ファウンテン・ドッジかね?見ているだけで充分だよ」
「それは残念。最後の機会かもしれないのですが」
ヴィクトルの目が細められる。
貼り付け続けてきた笑顔が、ついに消えた。
そこには冷徹な無感動・・・システムの代行者としての人間的機能性しかない。
「さて―――お互い、手の内を隠す意味はなくなりました。
本題に参りましょう」
前のめりに曲げたままだった背中を真っ直ぐに立てるヴィクトル。
這っていた蛇がとぐろの上で首をもたげるように、目線が上がる。
超然たる視線がエセルバートに下る。
「率直に申し上げて・・・わたくし共は現在、この国を非常に危険視している。
それも、オープンにはできない理由によって・・・お判りでしょう?」
「―――まぁ、そうだろうな・・・。
我々も、どう扱うべきか決めかねているよ・・・フィンの情報は」
世界を沈めた少女、フィン。
心を持った、人型の
彼女の人格を危険視している者は、もはやグランフリート国内にはいない。
だが、存在そのものが危険を孕んでいることには変わりない。
さらに、彼女が保有する情報は、考え方によっては直接的な力より危うい。
何せ世界には『
決して小さいとは言えない規模で、テロを散発している危険な集団。
このような思想的テロリストにフィンのことが知れてしまえば、どれほどの暴走を誘発するか―――想像に難くない。
彼女を信じれば信じるほど、尊重しようとすればするほど。
その扱いに関しては、結論を出すのが遅くなっていく。
「あなたが結論を先送る間にも危機は膨れ上がっていく。
それが強い善意であれ、意思の薄弱であれ―――起きる事態は大きくなります。
そのような人間に、事を任せてはおけないのですよ」
「・・・・・・・・・彼女を明け渡せと?」
「公爵殿。結論を急ぎすぎるのも、それはそれで問題です」
ヴィクトルは、わずかに笑みを作る。
困ったような笑顔。これが作り物だとすれば、天才だと言わざるを得ない。
それほどまでに、分かっていてもなお、心に訴える顔だった。
「あの戦いは、わたくし共も密かに見させて頂きました。
手助けをしなかったことをまずはお詫びさせて頂きますが―――
それをためらわせるほど、彼女のパワーは強大です。
さらに―――」
ヴィクトルは、大げさに態度を崩す。
肩をすくめ、自分の舌あごを軽くなでる。そして溜め息。
「わたくしも、こう・・・やるから分かるんですがね。
彼女の言葉には何の偽りもないと確信せざるを得ない。
演技であの切迫感ならスカウトしたいところですよ」
「・・・何が言いたい?」
「え・・・本当に分からないのですか?
うーむ・・・公爵殿は、教師には向かないかもしれませんな・・・」
ヴィクトルは、話を読めないエセルバートに一瞬きょとんとしたが、次の瞬間には再び真剣な顔に戻っていた。
あくまで冷静に、当然の事実として、その結論を語る。
「子供を友達から引き離したら泣いてしまうでしょう?
そしてその子供は・・・泣かせれば、どうなるか分からない。
彼女をこの国から・・・特にも御神織火から引き離すことは不可能です」
エセルバートは、フィンの怒りによって翼を得たデア・ヴェントゥスが、圧倒的なパワーで〈灰色のガーディアン〉を貫く瞬間を脳裏に浮かべた。
怒りが引き出したパワーを、悲しみが引き出さない保証はない。
そしてそれは、まず間違いなく・・・その原因となった対象へ向くだろう。
結果など言うまでもない―――どちらか一方が滅ぶ。
「しかし・・・それでは、ますます分からない。
そちらの要求はなんだ?
これまで通りで良いと言うなら、君は来ないだろう?」
「当然です。
この国から彼女を離せない・・・その事情がある一方。
彼女がこの国にいること自体は、望ましいものではない。
ならば―――わたくしどもは、折衷案を提案したいのです」
「折衷案・・・?」
「ええ・・・悪くないお話だと思いますよ」
ヴィクトルは、ここにきて笑みを作る。
その笑顔の意図など、誰にも読めない。
だが、エセルバートにはハッキリと分かった。
おそらく、今日の勝負―――この男の勝利なのだろう。
それは確信的な、勝者の笑顔だった。
蛇が舌をちろりと覗かせ、口を開く。
あとは飲むだけ。
「―――グランフリート戦隊そのものを。
新国連軍・・・『ユニオン・フォース』の指揮下に入れるのです」
≪続≫
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