第4章 -3『許されざる望みのために』


 新国連軍の保有する最大戦力、セントラル・フォース。

 単一の軍隊ではなく、新国連に要請を受けた軍隊や民間軍事企業などを総称する、いわば世界最大の混成軍と言える。


 同一同所の指揮系統に集約せず、必要なとき必要な場所のみ、その活動に新国連の理念を付与される。

 この実態なき巨大軍事組織は、そのまま新国連の目が武力を通して世界中に分散、治安維持に関する監視を行っていることを意味している。ただ登録の事実を公表するだけで犯罪件数が減少したというデータがあるなど、多大な効果を上げている。

 

 新国連の武力は、全ての国家へ向く可能性がある―――たとえ歴史上それが実行に移されたことがなくとも、その宣言自体にストッピングパワーが存在する。






 ・・・しかし、可能性は可能性だ。

 可能性がゼロでない限り、そこに取り込まれる者は覚悟を要する。

 セントラル・フォースの目的遂行に与する覚悟が。






「・・・ちょっと、待ってくれよ」


 戦隊基地・作戦会議室。

 織火は・・・その現実を前に動揺と戦慄を隠せない。

 聞いているエセルバートとオリヴァーもまた、沈痛な面持ちだ。

 レオンも、リネットも、沈黙を保っている。


「確かに、フィンのことは俺も考えてた。

 守るためには、何かが必要だって・・・思ってはいたけど・・・」


 それを口にすることを、脳のどこかが拒否していた。

 喉が渇くし、視界がうっすら白んでいる気もする。

 ただ、握る手にだけ力がこもっていく。暗く、強く。


 だが、問いたださなければいけない。

 納得などできない。

 

「―――ってのか・・・!?」




 そう。セントラル・フォースに登録された軍が、セントラル・フォースという名で動くとき―――それは、新国連となにものかが、武力をもって争うことを意味する。

 

 もっとも、それが『争い』であればまだいい。

 場合によっては、ただ一方的な殲滅、破壊活動に従事することもあり得る。

 それが人か、それ以外かに関わらず―――それは履行される。

 

 

 そういう約束のもとで、新国連は世界の治安を一定水準に保っているのであり・・・世界もまた、その恩恵を享受しているのだから。




「少し落ち着くんだ、オルカくん。

 あくまで可能性だ、前例があるわけではない」

「前例なんざ、フィンにだってないですよ!

 今まさに例にないことが起きて、こうなってるんでしょう!?

 だったら・・・そんなの、どうなるか分からない!」

「オルカくん・・・」

「人間を巨魚ヒュージフィッシュから守るための組織なんだろ!?

 それと関係ないところで人間を殺せなんてこと・・・!!」

「―――やめろ、オルカッ!!」


 オリヴァーが一括する。

 強烈な語気とは裏腹に、その視線には共感が込められていた。

 そして焦燥も。


「・・・今、ここでフィンに手を出されるほうがマズイだろうが・・・!

 あの蛇ヤロウが提案してるのはそういうことだ。

 こっちにフィンを置きながらにして、フィン自身も、この船も・・・

 ひょっとすると、世界中を人質に取っていやがるんだ」

「そんな・・・」

「・・・すまない、私の力が何もかも足りないせいだ」


 エセルバートは深々と頭を下げる。


「それでも・・・私は、フィンくんは守らねばならないと思う。

 彼女は、この水没した世界の、ある種最大の被害者だ。

 聞かねばならないことも、せねばならないこともある。

 彼女を失うわけにはいかない・・・」

「・・・そんなの・・・俺だって、だけど・・・!」

「大丈夫だ、オルカ」


 レオンが進み出て、織火の肩を優しく持つ。

 厳めしく引き結んだ顔には、いつもと違う決意があった。

 燃えるような情熱のギラつきではない、悲愴な覚悟。


「殺すときは・・・全員、ぼくが殺すよ。

 なぁに、軍人だからね。そういう訓練は受けてきてる」

「レオン・・・それは」

「ぼくを友人だと思ってくれるなら、そのくらいはさせてくれ。

 誰よりフィンを守りたいのはオルカ・・・きみだ」


 レオンの言葉からは、何一つ曲がったものを感じない。

 本当の友情から来る言葉だと、痛いほど伝わってくる。

 

 オルカは・・・それが今、この世で最も辛かった。

 どうして―――どうして。


「チクショウ・・・!

 どうして・・・こんなことになっちまうんだ・・・!」






『―――それは貴様らが弱いからだ、若造ども』






「・・・ッ!?誰だ・・・!?」


 突如、聞き覚えのない声がメインモニターの方から響いてくる。

 混乱する一同。

 

 ―――その中で、沈黙を保っていたリネットがひとり、ビクリと肩を震わせる。

 今にも崩れ落ちそうなほど蒼白な顔。

 体がわずかに震えている。


「ノエミ、どうなってる!?」

「強制的に受信させられてるッス!!・・・は、弾けない!?」


 混乱する会議室のドアが開く。

 ヴィクトルだ。


「新国連からの直接回線です。

 この世にこれを弾けるセキュリティなどありはしませんとも!」

「・・・何をする気だ、選別官・・・!?」

「ンフフフ・・・!

 わたくし共の長が、是非とも直に話がしたいとのことなので・・・!

 特別にお繋ぎしたのですよ!」

「・・・まさか」


 映像が出力される。


 そこに映っていたのは、老人だった。

 銀と白とが交じり合う、くたびれ切った髪。

 峡谷のように刻まれた皺の一本までもが、苛烈さと冷徹さを見る者に印象付ける。

 

 左目の黒い眼帯には、新国連のシンボルが刻印されている。

 そしてそこから覗く無数の傷、傷、傷。

 残された右目から伝わるのは―――とても老いているとは思えぬ、鬼気。


 まるで、この世の全てをずっと睨み続けているような・・・そんな目だった。


 


「ご紹介いたしましょう。

 新国際連合事務総長にして、セントラル・フォース総司令。

 ―――サイラス・アレクサンダー・ヘイデン閣下にあらせられます」




 うやうやしく頭を下げるヴィクトルに、サイラスは眉のひとつも動かさない。

 ただ、忌々しげに、苛立たしげに、戦隊のメンバーを睥睨する。


「ヘイデン・・・って、え・・・!?」


 視線が集まる。

 リネットは―――恐怖のにじむ目を、茫然と画面へ向ける。


「―――おじいさま」


 それだけを呟くのがやっとだった。

 体を両手で抱え、少しずつ・・・無意識にあとじさる。


『・・・フン。戦士の意気とやらはどこへ行った?

 やはり惰弱だな。いくら粋がろうが所詮はただの娘にすぎん・・・』

 

 心底から吐き捨てるようにサイラスは言う。

 失望ですらない。ただ、期待のなさがそこには込められている。


『リネットだけではない。どやつもこやつもよ。

 決断も遅ければ、思い切りも意気地もない。

 清濁を併せ持つ覚悟すらなく、人を守ろうなど笑えもせん』

「―――――――――」

「・・・く・・・」

 

 怒りを、不甲斐なさを、それぞれが噛み締める。

 反論することはできない。

 それを意に止める・・・否、気付きもせず、サイラスは毒を止めない。


『これに護られることを良しとする国民も愚昧の極みだ。

 為政者の底が知れる・・・ハロルドも浮かばれぬことだな、エセルバートよ』

「・・・・・・・・・返す言葉もない」


 エセルバートの発言を最後に、サイラスは沈黙する。

 再び全体を睥睨すると―――その右目は、織火を捉えた。

 織火もそれに気付く。


 互いの意識の方向を確かめると。


『確か、あれはフィンと言ったか・・・』


 サイラスは―――明確に、織火に向けて、それを口にした。








『―――まぁ。

 、俺は構いはせぬ。

 ペットへの情で戦えたものか・・・甚だ疑問だがな』






 


「―――取り消せッ!!!」

「よ、よせ!オルカ!!」


 ―――サイラスが言い終わるのと、映像へと殴りかかった織火がヴィクトルの手に阻まれるのは、ほぼ同時だった。

 レオンが止めようとするが、間に合わない。


「おっと、映像とはいえ狼藉は許さないよ」

「取り消せ・・・ッ!!!

 今すぐフィンに謝れよ、くそじじい・・・ッ!!!」


 ギチギチと音を立てて軋む織火の右腕。

 対するヴィクトルは、わずかに押されはするものの、その体幹を揺らさない。

 完全に受け止めている。


 それを見ても、サイラスは眉のひとつも動かさない。

 ますます侮蔑を込めて言葉を続ける。


『―――脆弱な若造が何を吠える?

 現にそうして止められている程度で、何を言われて阻めるのだ?』

「うる、せぇ・・・!!フィンは怪物じゃねぇ!!

 人間じゃないけど、人間みたいな心がある!!

 魚だけど、魚みたいに狂暴でもない!!

 ちゃんと笑うし、泣くし、怒る!!」

『・・・もう一度聞く。

 今の貴様が、俺の発言の何を、どのように阻むことができる?』


 ヴィクトルは瞬間、自分の左手で織火の右手首を掴んで引き寄せ、体勢を崩すと、そのままぐるりと放り投げた。

 何らかの格闘技術であることしか、織火にも、周囲にも分からない。


「いい加減にしときなよ、スプリンターくん?

 この世の誰もがそんな風に優しいこと考えるワケないでしょ?

 別にキミの彼女でもあるまいしさぁ」


 織火はすぐに起き上がり、ヴィクトルに向かって拳を振りかぶる。


「彼女なんだよ!!」

「は?」

「―――!」

 

 ヴィクトルは目を丸くしながらも拳をかわし、足払いで再び織火を転がす。

 本当に不思議そうに、その顔を見下ろす。

 サイラスも、わずかに眉根を動かした。


「―――えっ?マジに?」

「ぐ・・・ッ!!

 ・・・マジだったら、何が悪いんだよ・・・!!

 こっちはキスまでしてんだ・・・!!」


 ぎょろりとした視線。

 じっくりと織火の目を見て―――心の底から呆れた顔でサイラスへ告げる。


「・・・フゥ。

 皮肉が本当になってしまうと、やる気を失うものですなぁ」

『―――フン。なるほど・・・まぁ、個人の嗜好にとやかくは言わん。

 だが、下らない若造よ。これ以上吠えるつもりなら、よく聞くがいい』


 サイラスは、一度居住まいを正した。

 そして、今度は嘲るのではなく・・・試すような、問いかけるような口調になった。


『貴様は、巨魚どもを倒したいと言う。その決意は結構だ。

 だが―――人間とは通常、

 ひとつを望むとき・・・望まぬ物事をいくつも抱え、果たさねばならん』


 サイラスは自らの首筋を示した。

 無数の傷跡を、無数の薬液チューブがパッケージした、おぞましい年月の痕。


 よろりと立ち上がった織火も、その凄絶な模様に言葉を失う。


『俺は今、136歳になる。しわくちゃの、弱っちい老いぼれだ。

 だが・・・この俺を、事務総長の椅子からどかす者は世界のどこにもおらん。

 ―――何故か分かるか?』


 サイラスの右目が暗く熱い光を帯びる。オレンジの虹彩。


『・・・示し続けてきたからだ・・・!

 自らの強さ・・・優秀さ・・・!有用性と実行力・・・!

 数が弱ければ質を!質で不足ならばその数を!

 持てる全てでこの世を睨み、侮蔑の断崖を掴み続けたからだ!!

 砕ける爪の破片で、俺を嘲笑う壁どもを削って壊してきたからだ!!』


 画面越しであるにも関わらず、その声には圧力があった。

 

 何がそれを生み出すのか、織火にはまだ分からない。

 だが、確かにそれは―――だと、肌で感じる。


『今一度聞く―――貴様は強いのか?

 貴様が今、どれほどのことを俺に示せる。

 現実の不条理に、友の献身がなくば立ち向かうこともままならない。

 たったひとつの望みを許されるほど、貴様が強いとでも言うのか?

 首を縦に振るならば、断頭台にでもかかるがいい。永遠に縦に落としてやる』

「―――・・・・・・・・・ッ・・・く、ぅ・・・」


 もはや、何を言うことも叶わない。

 右の拳が、弱弱しく地面を打つ。


『・・・どうしてもと言うならば、これから示して見せろ。

 俺は選別者だ。あらゆる結果を、この世で最も正しく評価する義務がある。

 どのみち巨魚とは戦ってもらう。そのために貴様らを欲するのだからな』

「・・・どういう、ことだ?」


 サイラスは、いよいよもって超然と、試すように言い放つ。




『貴様に敵をやろう。評価してやる』




 表示が切り替わる。

 世界地図。ポイントが打たれ、地域が拡大される。


『件の歯牙の王トゥースなる者の類似存在はこちらも調査していたが。

 先だって調査に出していたスカウトが、この場所で消息を絶った。

 そして、直後から―――この地域に、巨魚の出現が激増しているのだ』


 


 座標は、太平洋の中心部。

 太陽が真上に差す絶海の孤島。




『貴様らを調査に派遣する。

 必要とあらば巨魚を捜索し―――これを殲滅せよ』




 その名は、『マウナ・ケア浮遊島群』。


 旧世界においてハワイ州と呼ばれた地域。

 それが、新たな戦地となった。


                       ≪続≫

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