第4章 -14『相対(前編)』
マウナ・ケアで発生した緊急事態は、接近航行中のグランフリートにも即座に伝わった。
ある理由からデアに同行しなかったドクター・ルゥは、血の気が引いて土気ばった色の顔でモニターを睨む。
自分専用の研究室にこもってはいるが、右耳のインカムからは、別室に詰めている技術チームの分析結果が止めどなく聞こえる。
声には時折、ノイズが混じる。
端的な事実が短く言えず、主観的な、感情的な言葉がところどころ加わる。
そのどれもが、意訳すれば、『あんなものに勝てるはずがない』と言っていた。
「―――勝てないはずがない」
ドクターのひとことに、阿鼻叫喚だった技術チームが静まり返る。
低く、しかしよく響く声だ。
ドクターの顔色が悪いのは、不安や絶望からではない。
・・・単に、数日の徹夜が効いているからだ。
その一生消えないようなクマを張り付けた目は、薄く開かれている。
日本人の織火がここにいれば、菩薩を連想しただろう。
そういう、常人を逸脱した感情をたたえた目だった。
「今のところ勝つ方法が見つかっていないだけだ。
これのどこに絶望する要素がある?
現場はまぁ、絶望的だろう。それは俺たちには関係ない」
冷酷な発言に、熱がこもる。
かたりと、驚くほど静かな音を立てて椅子から立ち上がった。
誰もいない研究室で、数千の聴衆を相手にするかのように語り上げる。
「絶望は現場に任せて―――俺たちは楽しもう。
研究と成果。疑問と解決。問題と回答。それが俺たちの存在意義だ。
ここにいながら、俺たちはあのタコをバラバラに引き裂ける。
あらゆる機材がそれを可能にする。
骨格と肉を分け、血と神経の流れを確認することができる」
なぜ、ドクター・ルゥは冷静なのか。
なぜ、ドクター・ルゥは悟ったような顔なのか。
なぜ、ドクター・ルゥの声はこんなにも快楽に満ちているのか。
簡単な話だった。
ドクター・ルゥは今―――完全にキマっている。
ここ以外で常に忌み嫌われてきた男。
倫理度外視の研究中毒者。
世界で最初に、巨魚と人類を『同種である』と結論付けた異端者。
半生をかけた研究の証明が、今、たまたまそこに出現したのだ。
ドクターには、決して仲間意識がないわけではない。
戦隊メンバーも技術チームも大事な仲間だと、ちゃんと思っている。
数年前に訪れたマウナ・ケアは良い場所だったし、住民は人の良い気質だった。
だが。
その存在が、たとえば仲間を皆殺しにしたとして。
その存在が、たとえばマウナ・ケアを滅ぼしたとして。
倫理や道徳とは全く別の場所で、
―――それはそれで良いデータが取れるだろうな、と。
「技術の発展は人間を獣性から解き放ったりはしない。
ただ、飢餓のかたちが変わっただけ。
我々は、科学的に飢えた猛獣になっただけだ。
―――さぁ、エサはどちらなのか、あのデカブツに教えてやろう」
・・・インカムからは、再び声の洪水がやってくる。
今度は絶望のものではない。
単なる事実の羅列が、ドクターにはレコードで聞く大昔のクラシック音楽のように聞こえていた。どこまでも心を平らかにする。
「さァ、踏ん張れよガキども。
俺の徹夜を無駄にはせんでくれ」
その背後。
鋼鉄のコンテナと、『ROLL OUT』の文字だけが、獰猛な光を放っていた。
「あ゛あ゛~~~~~・・・・・・・・・ちょーっとスッキリした」
下界の地獄を確認もせず、起き上がった
「テメェッ!!!」
伸びきった脇腹に、加速して突っ込んできた織火のスラッシャーが突き刺さる。
―――いや、できない。寸前でベルトに阻まれた。
見た目はレザーにしか見えないベルトは、鋼のように硬質で、刃を通さない。
挙句に本人は、織火の方を見ていない。
下の様子を気にしたり、上を向いてあくびをしたりしている。
「うおっとぉ、あっぶね」
「なんなんだあれは・・・!!お前が起こしたのか・・・!?」
「ハハハ!!ビビったか!?
〈カナロア〉は俺のお気に入りの手下だ!!
最上位の統率個体だからな、俺たち王は!部下もいる!」
まるで持っているおもちゃを自慢する子供のよう。
得意げに鼻息を荒げ、満面の笑みで
「いやぁ、他に置き場所がなくてここいらの火山に隠したんだけどさ!
大水没のときコイツ寝相が悪かったんだよね!
そのせいでこーんな地形が生まれちまったってワケ!!すごくね!?」
織火は、返事をしなかった。
あまりにも強大な事実に、返す声がないのもある。
それ以上に・・・目の前の、ただ棒立ちしているだけのはずの男が、突き刺すような威圧感を放っているからだ。
さっきスッキリしたと言っていたが、単なるポーズだろう。
腹のうちでは全く発散していない。
いつこれ以上のことをしようとするか分からない。
「―――行かせねえぞ」
「・・・・・・・・・へぇ?
じゃあ、俺がどこに行こうとしてるか、見当ついてるわけだ?」
「お前がスイッチ入った理由を考えれば、分かる」
「なるほどなるほど、確かになァ・・・」
織火は後ろに押され始める。
スラッシャーを防いでいるベルトが、押し戻す力を強めた。
足元が水面ではないため、噴射加速が使えない。
どうにか腰を踏ん張り、身体を前に持っていく。
「・・・フィンのところに・・・行くつもりだろ、お前」
「つもり、って言うか、行くんだけどな。
文句あるわけ?」
「ねぇよ」
「ハァ?意味わかんない、文句もないのに何で邪魔なんか、」
そこで
なぜ命中距離にいたのに、右腕のクローでなく、左腕のスラッシャーだった?
織火の右腕に青い光が灯る。
「テメェ、こっそりチャージして・・・!」
「『バレット・ブロー』ッ!!!」
真後ろにカノンを発射、直後にアーム形態に変形。
獲得した勢いのままパルスを帯びた拳を叩きこむ。
さすがに余裕の防御とはいかず、
ふたりはそのまま付近のラダー水路の入り口に着水。
織火はジェットを使用可能になったが、
再びの押し合い。今度は、精神的にも。
「文句アリアリじゃねぇのか、お前・・・ッ!」
「逆だ」
「あァ!?」
「渡さねえよ、お前には何も。
フィンは渡さないし、この島は守る。
それについてお前に何も文句は言わせない・・・!」
「―――――――――」
片手が再び髪をかきむしる。
だが、声色は静かだった。
底冷えのするような声で呟く。
「・・・あァクソ、クソ・・・またイラついてきた・・・。
父さんにはやめろって言われたけど、自分で仕掛けたんじゃねぇもんコレは・・・。
もういいや・・・ああ、いいやもう、そうだ・・・関係ねえ・・・
関係ないよ、もう・・・関係ねぇ・・・関係・・・ッ」
いや、違う。腕ではない。
腕の形状をしているが―――織火は本能的にそれを正しく認識した。
この二本が、メインの脚だ。
織火は着水したときに確保していた弾丸を即座にチャージ。
完了と同時、狙いも付けず発射。
飛び込んできた
勢いは止まったが、ダメージはない。
銀と水色の視線が、敵意と殺意を交換した。
「―――関係ねぇ。殺してやるよ、御神織火ッ!!!」
「そうだ、来い!!
付き合ってやるから俺で発散していけよッ!!!」
≪続≫
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