第4章 -15『相対(後編)』


「みなさんこちらです!可能な限り上へ!」

「押さない駆けなーい!話すのは構わなーい!」

「おうおう、ジジイとガキに道を譲れ!オトナなんだからできんだろ!」


「フィン、収容オッケー!リフトアップ!」

「はいっ!」


 レオン、チャナ、オリヴァーの三人が誘導し、デア・ヴェントゥスに収容、可能な限り多く積んで高い位置にある島へ避難させる。

 もう20往復は繰り返されているが、それでも全員を運ぶには足りていない。


 異常事態の発生に際し、最初に動いたのはレオナルド・ダウソンだった。


 実のところ、レオンは脚の王レッグスの出現に気付いていた。

 加勢は当然選択肢にあったが、ここで視野を狭めないのは軍人として理論を学んだレオンの強さと言える。

 周囲の水はラダーしかない。高速戦闘に付いていけない自分では足手まといだ。

 レオンはライバルを案じ、同時に、とも考えた。

 天秤はすぐに後者に傾いた。

 

 自己の不足を正確に判断し、レオンは、カイマナ親子の避難を優先。

 まだ〈カナロア〉が起きていない時刻、レオンは最悪の事態に備え、既に中央島のホテル付近まで親子を連れて移動していたのだった。


 結果、事態発生時にオリヴァーやチャナたちといち早く合流。手早く非難の手筈を整え、現在の状況に繋がった。


(―――まず間違いなく、向こうはだろうな)


 レオンは、織火と脚の王レッグスがいたあたりをちらりと見る。

 こうなった以上、敵には容赦がなく、織火は抑制ができない。

 戦闘に発展するのは自然な流れだ。


 レオンは、強敵をライバルに任せた。

 『倒せるだろう』と信じるのではなく。

 『倒して』と任せたのだ。


 それが、この島に来た最初の目的。

 強さを示すこと。自らの有用性を、あの厳格で冷徹な老人に見せつけること。

 

 強さとは、向き合った状況を乗り切ってみせるパワーにほかならない。

 ならば同時に―――向き合うべき状況を見誤らないことも、強さの条件。


 御神織火は、勝つためにその身を戦いに投じた。

 勝負に挑む過程にのみ、答えがある。だから戦うことが必要だ。


 レオナルド・ダウソンは、守るためにその身を戦いに投じた。

 だから大事なのは戦いではなく、守り抜いたという結果を生むこと。

 

(ならば君は―――今どこで、何を求めてる?)


 レオンはほんの少し、唯一この場にいない少女のことを考えた。

 それも一瞬。すぐに思考は、次の避難者に向けられた。








「―――――――――先生は」


 海上で蠢く地獄の化身を眺めながら、リネットは低く尋ねた。


 〈カナロア〉は、まだ活発な動きを見せていない。

 ときおり身をよじっては、黒い煙を吐き出している。

 機械の排熱のようにも、生物の寝起きのようにも見える。

 生物兵器なのだから、それらに区別はないのかもしれない。


「どうして、私を助けたんですか」


 胸元に浮かぶオレンジの光を見つめながら、リネットは回想する。






 ―――リネット・ヘイデンは、生まれたときから死期が決まっていた。


 13年前。

 新国連事務総長サイラスの息子・・・当時のセントラル・フォースに存在した部隊、『フェニックス隊』の隊長ダニー・ヘイデンは任務中、放置された孤児を見つける。

 自分の名もまだ言えぬ幼児だ。しかるべき施設に預けなければ。

 ダニーは任務の終了後、その子供を艦へと保護した。


 その矢先―――ダニーの部隊は、巨魚ヒュージフィッシュの襲撃で壊滅。

 間に合わなかった救援部隊に向け、かろうじて息のあったダニーは告げる。




『この子に、私の苗字をくれてやってくれ。

 名前は―――リネット。ひいばあさんの名前だ。

 とても素敵なレディだったんだ―――』




 血の繋がらない娘になったリネットを抱いたまま、ダニーは息を引き取った。


 それからリネットは、セントラル・フォースの隊員全員の娘のように育てられた。

 興味は、銃や兵器など男っぽいところに向いた。

 口調は荒っぽくなっていったし、着飾るよりも食べる方が好きになった。

 

 当時は、サイラスも優しかったように思える。

 ほとんど言葉を交わしたことはないが、一度、気まぐれにボトルシップの作り方を教えてくれたことがある。

 『腰を落ち着ける趣味でも持つがいい』と、勝手に忍び込んだ執務室で怒鳴るでもなく付き合ってくれた。

 それからリネットは、模型を作るのが趣味になった。




 最初に血を吐いたのは、拾われて3年経ったときだった。


 心臓に病を発症した。

 大水没後の世界では治療法が確立されていない・・・いわゆる、不治の病。

 

 さらに運の悪いことに、この病は感染症だった。

 セントラル・フォース隊員にも発症者を出したリネットは、直ちに隔離される。

 様々な医者を招いたが、その全てが最終的には匙を投げた。

 



 ―――それよりも先に、リネットは、自分自身を諦めていた。


 


 自分がどういう生い立ちだったかは、聞いていた。

 生まれて最初に、まず、お父さんとお母さんを失った。


 私を守ってくれようとした人も、私を娘にして死んでしまった。

 お父さんを二度失った。

 

 部隊のみんなは優しかった。お父さんがたくさんできたみたいだった。

 でも、私の病が感染すると知ったときの顔は、恐怖のものだった。

 けれど、仕方がないと思う。

 たくさんのお父さんをいっぺんに失った。


 私の隔離を決めたのは、おじいさまだった。

 あの人は責任のある人だから、きっとそうなると思っていた。

 いつも多数を選ぶ人。優しいかもしれないけど、厳しい方が強い人。

 私は、おじいさまも失った。


 そして命。ついに自分だ。


 きっと―――これからも、何かを失うばかりなんだろうな。

 手に入れた先からなくなって、いつも最後は悲しいだけで。

 だったら、もう―――これで終わりのほうが、ずっと―――。






「―――だったら。どうして、そんなに泣くのですか」






 ふと気付くと・・・見知らぬ女が、リネットを見下ろしていた。


 顔がよく見えなかった。視界がぼやけた。

 ただ、やたらと眩しいオレンジ色だけは判別できた。


「本当だ―――俺、泣いてるんだ」

「女の子が『俺』なんてはしたないですよ」

「うるせ―――だって、わかんな―――わかんないもん―――」


 どうしてだろう。

 諦めがついてきたと思ったのに。


 これから先も辛いだけ。

 いっぱい、いっぱい、失うだけ。

 もう欲しいものなんかないし、失くしたくないものなんか、




「―――失くしたくないのは、手に入れたからです。

 失くしたとき悲しいのは、持っていたからです。

 だけど―――自分の命を悲しむことは、できない」




 リネットの胸の奥に―――未知の熱が灯った。


 これまで漠然と許されてきたもの。

 周囲の全てが自分に許してくれていたものが。

 完全に自分自身のものとして、胸の中で燃えていく。






「―――――――――生きてたい・・・!」


 生きて、いたい。

 悲しんだ記憶を、まだ持っていたい。


「生きたい、生きたい、死にたくない・・・!

 失くしても・・・ッ・・・泣いてもいい・・・!

 何がどうなったってかまうもんか・・・!」


 熱い。

 涙が熱い。頬やまぶたが熱い。

 指先が冷えていくのを感じて、必死に握りしめた。

 手に爪が食い込んで痛みがにじんだ。


「ッごほ、げほ・・・やだ、やだ・・・やだ!

 生きたい―――生きたい!生きたいよぉ・・・!!」


 血を吐く。血も熱い。焼けるように熱い。

 冷めていきたくない。

 永遠にこのまま血を吐いたって構わないと思えた。

 それでこの熱を失わずに済むのなら、それすらも受け入れる。


 


 ただ、生存を望んだ。

 ただ、焼失を拒んだ。

 のたうつ。のたうつ。ぐねぐねと悶えて身をよじる。

 



 そして―――は告げられる。




「―――

 生きたいと望んでも無駄。死にたくないと拒んでも無意味。

 宣言しなさい。誓うのです。銃を持つ戦士のように」




 ―――瞬間、視界がクリアになる。

 燃え尽きたように涙が消えた。

 

 女は笑っていなかった。

 ただ、試すように、厳しく瞳を光らせる。

 サイラスと同じ目だ。


 女が伸ばした手を、リネットはがしりと捕まえた。


「―――――――――








 ―――――――――『生きる』と誓ったのは、あなたです。

 私が助けたわけじゃない。

 リネット―――あなたはただ、自分で助かっただけです」


 淡々と眼の王アイズは返答する。


「・・・・・・・・・・・・・・・そう」


 尋ねてはみたものの。

 リネットは―――その答えなど初めから聞いてはいなかった。


 リネットはただ・・・遠くの音を聞いている。




 ホテルの屋上からは、避難誘導の様子が聞こえてきた。

 レオンや隊長たちが必死で叫んでいるが―――ほんのかすかにしか聞こえない。




 幼い子供が泣く声が聞こえてくる。

 不安をこらえきれず声を荒げる大人の声が聞こえてくる。

 誰かを探す声、不運を嘆く声。

 泣き声、疑問の声、泣き声、恐怖の声。

 恐怖、恐怖、泣き声、泣き声、泣き声、泣き声―――。






 重なり合う、数えきれない声が―――


『まだ、死にたくない』


 ―――リネットには、ひとつの言葉に聞こえている。






「今度は、」


 リネットの胸の奥に―――懐かしい熱が灯った。


 かつて漠然と許されてきたもの。

 周囲の全てが自分に許してくれていたもの。

 いつから忘れていたのだろう。この熱を。この炎を!


「今度は、私が、」


 死に相対する全てに、今度は自分が許さなければいけない。

 誰もが戦士ではないのなら。

 今、戦士である自分にしか、もたらせない許しがある。


「私が、その願いを―――!」




 オレンジのパルスが―――姿を変えていく。


 はじめ電気を象っていたそのパワーが―――ほどけて揺らぎ、熱を持つ。


 背中から溢れ出したその揺らぎは、二対の翼を表現する。

 死なない鳥。炎の鳥。フェニックス。

 ダニー・ヘイデンのエンブレム。


 宣誓は繰り返され、戦士はここに蘇る。




「私は、生きる―――!!!

 生きたいものを、死なせない―――!!」




 リネットは炎の翼で飛翔し、眼の王アイズへと振り返る。

 燃える瞳が交差する。


「―――――――――」


 眼の王アイズは、何も言わず笑った。

 そこにどんな意図があるかなど分からない。

 もう、きっと―――知る必要などないだろうと、リネットは感じた。


 羽衣がほどけるように、眼の王アイズは消えていった。

 リネットはもうそれを振り返ることもなく、銃を構える。


 撃ち抜くべき、懐かしき死の地獄へ。

 不死鳥は速度を上げて降下を始めた。


                       ≪続≫

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