第3章 -5『絶対なる方針』




 海に出ている全員が、その告白を聞いた。


 


「今・・・なんて、口走ったんだ・・・?」


 声も出ない衝撃を、初めに脱却したのはドクターだった。


「『大水没フラッド・ハザード』が、フィンの・・・だと・・・!?」


 『大水没』。

 今の世界の在り方を決めた、未曾有の水害。

 無数の死者を作り、大地の喪失させた、まさに世界の分岐点。


 それは、あらゆる科学者にとってはロマンの到達点でもあった。

 いずれ解き明かすべき、最大最後のミステリー。


 フィンの告げた真実。

 その真実を―――信じるかどうかは、重要ではない。

 

 それが真実なのだとしたら、あまりに―――。




〔フゥフフフ、ウフフアハフハハ、ハハハハハハハ!!!!〕


 フィンの慟哭に、灰色の巨魚は不快な笑いでもって返答した。

 かと思えば―――今度は、底冷えのするような声色で話しはじめる。


〔殺してほしい?死にたい?―――ダメだ、許さない、許されない。

 

 次こそ、今度こそ、全て残さず完全、完全、完全に沈めなければ。

 それができるのはフィン、お前しかいない、お前だけ、お前だけだ〕

「それなら、ただ私を捕まえればいい!

 どうして、私に関わるものまで全部壊しちゃうの!?

 どうせ世界を沈めるなら、放っておいてもいいじゃない!!」


 灰色の巨魚は、いよいよその首を塔か柱のように持ち上げる。

 諭すように、教えるように、しかし威圧をもって言葉をつむぐ。


〔それもダメだ、断じて、決して許さない、絶対に。

 お前をそんな風にしてしまったのが人間、人間どもだからだ。

 危険な、危うい可能性は先んじて潰す、潰して潰す、全部全部だ〕

「なんで・・・どうして、どうしてよ・・・!!

 どうして、私がそんなこと・・・私にしか・・・どうして・・・!!」

〔何も教える必要はない。他のことは求めない。何も、何も。

 ―――お前はただ、沈めればいい。

 それだけ。お前はそれだけ、それしかない。必要が、ない〕

「うううっ・・・!」


 フィンは、涙を、嗚咽をこぼしながら、言葉を失う。




「やはり―――フィンが隔離されていたんじゃないんだ」


 ドクターは、ここにきて努めて冷静だった。

 仮定と情報、推測と結論を結び付ける。


「あのデカブツを遠ざけるためだ、水槽は。

 フィンが巨魚を呼んでるんじゃない。

 フィンのいるところに―――送り込まれ続けているんだ、巨魚が」

『そんな・・・それじゃあ、海に彼女の安息は・・・』

『大水没も、やったんじゃなくて・・・恐らく、やらされたんだ・・・』


 


 ―――誰もが、その絶望を想像する。

 

 あまりにも大きい罪を背負い、逃げる先では人が死に続ける。

 そうならないためには、永遠に狭苦しい水槽の中。


 生きているというには、あまりにも自由がない。

 

 彼女に感情と心があることは、この三ヶ月で誰もが知っている。

 面白ければ笑う。がっかりすれば不満を言う。

 幼く純粋な感情だ。


 その彼女が、死を選ぶということは、それは―――











「―――それでも膝は付かないのだね、フィンくん」










 

「え―――?」


 その声は―――突如、フィンの背後から聞こえてきた。

 青い光。一瞬わずかに、人らしき形状が見えた。

 それは驚異的な速度で〈ガーディアン〉とすれ違い、灰色の巨魚に迫り、


〔な―――〕




 衝撃インパクト

 

 頭部に衝撃を受け、くの字になってくずおれる。




〔グウウウォォォォオオオオオオオオ!!!?!?!?!!!!?〕


『な、何が起きた!?』

『分かりません、何か飛んできたことしか・・・!?』


 織火たち現場組が混乱に包まれる。

 その中で。


『く、ふはは、ははははは!!

 そりゃあ、そうだ!死者まで出ちまったらなぁ!!』

『あーあ・・・これまたウチら出番ないじゃん!』


 オリヴァーとチャナだけは、笑っている。

 正体を知っているようだ。


『隊長殿、あの飛翔体は何なのでありますか!?』

『何って、お前らも良く知ってるぜ?』

『知ってる?』

『あんとき見てたのは、織火とリネットだったか?

 俺を真正面から打ち崩せるのはひとりしかいない。

 いつぞやの輸送艦で、そう言ったよな』

『ああ・・・言ってたような・・・』


 オリヴァーは、今まさに人影を見て、嬉しそうに言う。


『あれが答えだ』






〔貴様、キサマ貴様は何者かァアアアッ!?!?〕

「こちらの台詞と言いたいが、客人の関係者だ。

 最低限の礼を尽くし、あえて名乗らせて頂こう」


 海面が隆起し、その男を高みへ、人外の目線へと押し上げる。

 海風に長髪とマントがなびく。

 ステッキが水面を打ち、水を固める。さながら演説の舞台だ。

 白い手のひらを堂々と掲げ―――男は、その船を背負って立った。




「―――エセルバート・マクミラン公爵。

 グランフリート公艇国の元首をしている」




『マ―――』

『マクミラン公爵!?』

『ハッハッハッハ!!久々にお怒りかよ、エッセ!!』

「私の全てよりなお重い民の命を奪い、あまつさえ国そのものを脅かす。

 到底許せることではない・・・が」

〔ンンングアアアアアアアアアアッ!!!!!〕


 灰色の巨魚が尾を振りかぶり、エセルバートをめがけて打ち付けようとする。

 エセルバートは、肘を曲げ、両拳を胸の前に引き付ける。

 そのまま、消えたかと思うようなダッキングで尻尾を回避すると、


「今は別件が重要だ。少しお静かに願えないかね」


 ―――すれ違いざま、左拳を振り上げ、尻尾をはじき飛ばしてみせた。

 だ。


〔ンガァアアッ!?!?ンブワッグゥゥゥオオオオ!?!?!?!?〕


 勢いのまま巨体が後ろに弾かれてひっくり返る。

 津波のような衝撃が起きるが、エセルバートはこれをステッキのひと突きで瞬時に硬化する。


「さて。フィンくん、君に質問があるのだ」

「わ―――私に?」

「うむ。君は確か、ミカミくんに殺してほしいそうだね?」

「そ、そうだよ・・・!私はもう死にたいの・・・!」

 わけもわからず世界を沈めて、たくさんの人を苦しめた!

 それでも、アイツらは私を追ってくる!

 私にまた前のように、いいえ、前以上に酷いことしろって言うの!!

 生きていても敵わない!!でも生きている限り続く!!

 だったら、死ぬ以外に―――」

「―――死ぬ以外に・・・」


 


 エセルバートは、諭すように、教えるように、告げる。

 だがそれは―――灰色の巨魚のものとは違う、暖かな声色。






「死ぬ以外に、?」






「―――ッ!!!」


 フィンは、驚きに目を見開く。

 それはどこか、隠し事を知られた子供のようであり。

 またあるいは、遭難から救い出された老人のようでもあった。


「君は死にたいと願っている。殺されたいと望んでいる。

 そうすることで・・・誰かのために。

 遠回りで、不器用な道でも、未来のために動かんとしている」


 エセルバートの声が熱を帯びる。

 類まれなる明朗さで、圧倒的に肯定する。


「君はきっと、言葉を知らないだけだ。

 それはね、フィンくん。決して絶望や、諦めと呼ばれるものじゃない。

 私は知っている。この世で最も強く尊い、善き心の名を」


 ある男の信条。

 その国の国是。

 この男の決意。


 今こそ最大の熱量を持って―――その方針は宣言される。






「グランフリートの諸君!聞こえるか!

 ―――

 その損失を、このエセルバート・マクミランは決して許さない!

 全身全力をもって―――今こそ、善き戦いを!!」






 直後、グランフリートが明滅した。

 東西南北、空と海となく、閃光が散らばる。

 ―――砲撃だ。

 群がる群れを、わずかに、しかし確かに攻撃する。


 さらに、砲撃される地点にいくつもの怒号が響く。

 なだれ込む人、人、人。戦隊員ではない。

 警察、あるいは自警団、あるいはもはや一般個人。

 ある者はジェットブーツで、ある者は船で、ある者は生身で。

 巨魚のひしめく海へと飛び出していく。


「守られてばっかじゃいられねぇってんだ!」「あのお店はねぇ!あたしらみんなお世話になってたんだ!」「若い子だけが怪我することはない、俺たちもやるぞ!」「でも大物は頼むぜ兄ちゃんたち!」「食えそうなやつは売り物にしちゃおうよ!」「バカ、いいからやれやれ、刺して刺せぇ!」


 


 それは―――正直に言えば、大した戦力ではない。

 力を持たない、人数が増えただけの現象。


 それが、この世で最大の援護となった。




『―――上等だ、任せろよオッサン!』

『ありがとう、みなさん!』

『今この時だけは・・・市民の参戦に感謝しますッ!!!』


 減っていく。減っていく。

 各方面で、次々に群れが減っていく。

 

「善き戦いを!!」「善き戦いを!!」「善き戦いを!!」「善き戦いを!!」

「善き戦いを!!」「善き戦いを!!」「善き戦いを!!」「善き戦いを!!」

「善き戦いを!!」「善き戦いを!!」「善き戦いを!!」「善き戦いを!!」

「善き戦いを!!」「善き戦いを!!」「善き戦いを!!」「善き戦いを!!」

「善き戦いを!!」「善き戦いを!!」「善き戦いを!!」「善き戦いを!!」

「善き戦いを!!」「善き戦いを!!」「善き戦いを!!」「善き戦いを!!」


 もはや、誰の目にも明らかだ。灰色の巨魚は押されている。

 ・・・何の力も持たないはずの・・・有象無象の市民によって!

 

 灰色の巨魚は、ただ困惑する。それはフィンも同じだ。


「どうして―――?」

〔どうして、どうして、なぜこのような強さを・・・!?

 単なる、ただの弱い弱い弱い人間どもにィイイッ!?

 この“歯牙の王トゥース”の軍勢がァアアアアアアアア!!!!〕


 エセルバートは不敵に笑い、軽い口調で言い放つ。


「弱いのはお前の方だということだ、王とやら。

 本当に強いのなら―――世界くらい、自分で沈めるがいい。

 フィンくんの高潔な自己犠牲を見習い、命を懸けてな」

〔ギィィィィィイイイイイイイイッ・・・・・・・・・!!!!!〕


 疑問と理不尽に再びのたうつ歯牙の王。

 そこから視線は外さずに―――エセルバートは、背後のフィンに告げた。


「見ていたまえ。

 君が沈めた世界の人間が、どれほど強靭に育ったのかを。

 そのために、君には武器を与えよう」


 


 その男が、巨大な錨を背負い、傲岸不遜に歩いてくる。

 その子供が、ロボットアームを打ち鳴らし、不敵に笑う。

 その少女が、機械の翼を背負い、凛々しく舞い降りる。

 その男が、情熱に瞳を光らせ、海より飛び出す。


 そして―――その少年が、光る青を引き連れて、走ってきた。

 振り返り、にやりと笑む。


「―――御神織火。武器、やってます」

「・・・・・・・・・・・・・・・私、世界を沈めたんだよ。本当にいいの?」

「ああ、そのこと?」


 フィンの罪は消えない。

 世界が歩んだ時間も変わらなければ、命を取り戻すこともできはしない。

 だが、それでも確かなことがある。

 小さな人間の、小さな人格の、小さな欠点。




「そういうの―――あんまり興味ないから、俺」




 御神織火は、歴史に興味がなかった。


                   ≪続≫

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