第7章 -3『灰は灰に、塵は塵に』


 


 ———その襲撃は、何の前触れもなく始まった。




 どのようなきっかけで、という判別すら困難。

 ただ、いつも通りのベネツィアに、突如として『それ』は大挙して現れたのだ。


 『それら』はベネツィアに張り巡らされた立体水路を急激に駆け上がる。

 自動迎撃システムは機能しているが、数が膨大なため処理が間に合っていない。

 そして・・・不可解なことに『それら』は、一般居住区や施設を襲撃できる状態にも関わらず、軍事・行政にまつわる施設だけを目指し、他には目もくれない。

 明らかに、高度な知能による指揮を受けている。




〈―――間違いなく骨格の王スケルトンの仕業だ〉

「だろうとは思ったがお前の同族か、歯牙の王トゥース


 ジャッジとその内側の歯牙の王トゥースは、廊下を駆けながら会話する。

 遠くには自動迎撃の機銃の音や、マーズの駆動音、そして崩壊音と爆発音。

 前線がそちらにあるにも関わらず、ジャッジは逆方向に走っていた。


〈奴は大掛かりな準備を好む・・・。

 この襲撃も時間をかけ、周到、慎重、確実に計画されているだろうな〉

「なぜその準備がこちらに感知できなかった?」

〈奴の特性だ・・・骨格の王スケルトンを使う。

 目に見えず、耳に静かで、たとえ触れようとも知覚しにくい。

 もっとも、その性質のせいで攻撃にはとんと向かぬのだが、そこは―――〉


 言いかけた瞬間、真横の壁が破られる。

 大量の水が浸入し、その流れと共に、何か質量が飛び込んでくる。

 ジャッジは飛び込んでくる『それ』を咄嗟にローリングで回避。




 それは―――骨だ。

 魚の骨・・・いや、とでも言えばいいのか。


 


 それには皮も、肉も、神経や血管、脳に至るまで、何一つの器官が存在しない。

 であるにも関わらず、生きているとしか思えないほど生々しく泳いでいた。

 顔に穿たれた虚ろな穴が寒々しく周囲を睥睨し・・・存在しないはずの両眼が確実にジャッジを捉え、突進を仕掛けてくる。


〈―――グファファ、こういう手品で補っているというワケだ・・・!〉


 再び飛び退いて回避。

 今や施設内はどこもかしこも浸水し、水路同然だ。

 飛び散る水が、骨の表面に触れず、そのわずか上で弾けた。


「・・・そういうことか・・・!

 見えないパルスで巨魚の骨を操ってるんだな・・・!」

〈そうだ、その通り、そういうことだ。

 こいつらは厄介だぞ。なにせ生きていないので死なない〉

「倒す手段は?」

〈ひとつはパルスを剥がすことだが、これは一時凌ぎに過ぎん。

 確実な、確かな方法は原型がなくなるまで粉砕、砕く、壊すことだ〉


 壁からみしりと音がする。


「なるほど・・・っな!」


 姿勢を低くしながら走り抜けると、壁を砕いて更に数匹の骨魚。

 

 追われながらジャッジは走る。

 救援の来ない方向へ。より孤立する方向へ。


 ―——何故か?


「・・・ようやく着いたぜ・・・!」


 ジャッジが辿り着いたのは、倉庫だ。

 特に何ということはない、単なる雑品の物置き部屋。


 背後でがらんどうの大口を開く骨魚を避け、室内へ転がり込む。

 そしてその一角、ひとつの棚の前に急いだ。


 背後で、部屋の入口を破壊して骨魚が侵入してくる音がした。

 ジャッジはそれを耳に入れながら、おもむろにその棚の端を蹴りつける。

 

 ・・・がしゃん、と音が立った。

 耳など存在しないはずの骨魚たちは音を聞きつけ、すぐにその地点へ殺到する。

 

 ジャッジは・・・棚に背中をもたれて、何をするでもなく立ち尽くしていた。

 それが何を意味するか、考える必要はない。そもそも考える脳は存在しない。

 逃げ場はなく、嚙み千切れば動かなくなる。それだけは確かだろう。


 大口を開いた骨魚は我先にとその背中に飛び掛かり、











「———『灰牙グレー』、まず四本」

〈承諾、承認、承知〉











 ・・・そして、バラバラに切り裂かれた。

 骨魚を構成する骨。ジャッジの背後の棚。

 その周辺の棚、棚の付近の壁、その壁の付近にある棚。


 部屋の中に存在する、ありとあらゆるものが、一瞬で細切れになっていた。


 その斬撃の源は・・・ジャッジの背後、棚に偽装された隠し扉の中。

 煙のような灰色パルスを帯びた、パルスと同じ灰色のナイフ。

 全てが、見えないほどに細いワイヤーでジャッジの腕と繋がっている。


 そのワイヤーは、知能を持つかのように身をもたげ、蠢く。

 いや、事実それは思考している。

 『灰牙グレー』の操作を担当するのは、歯牙の王トゥースだからだ。


「いやもうちょっと場所考えた方がいいな、このは」

〈同感、同調・・・同意見だ。だがこれで〉

「ああ。


 ジャッジは最後に、隠し武器庫の奥に手を突っ込んだ。

 引っ張り出したのは・・・鍔のない日本刀のような武器。やはりこれも灰色。


「デビュー戦だぜ、『シガオウ』」


 正面で水が爆ぜる。

 かろうじて一匹、活動できる大きさを留めていた骨魚が強襲してきた。

 

 頭上から食い千切るべく、真上から落下。

 ジャッジが刀に手を掛ける。


 ひゅん。


 ・・・ただ、そんな風切り音だけが聞こえ・・・不意に全ての動きを止めた骨魚が、何の音もなく水面へ落ちていく。






「『棄却ジャッジアウト』」






 かちり。

 納刀の音がスイッチになったかのように、中空の骨魚はその下の水面ごと真二つに両断され、活動を停止した。

 ———神速の居合。


〈グフフフ・・・死んだ魚と、存在せぬ男・・・!

 無き者ばかりで仲良く、睦まじく、愉快に楽しく、死合おうではないか・・・!〉


 ジャッジは言葉で返答をしない。

 だが・・・全身を包む灰の煙は、炭に燻る火のような、確かな熱を帯びていた。


                                   《続》

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