第5章 -21『歯牙を立てる者達』


 小さいとき、じいさんの好きな格闘技の試合をよく一緒に見ていた。


 多分、あれはボクシングか何かだったと思う。

 もう意識のない相手を殴り続けようとするファイター。

 闘争の興奮が視野を狭め、判断力を鈍らせる。


 そこに、レフリーが飛び込んでくる。

 自分より一回り大きい、体格もずいぶんと差がある相手だ。

 だというのに、そのレフリーは真正面から抱き付いて、しっかりと止めた。


 勇気のいる行為だし、それなりの技術もきっと必要だ。

 だから、俺は素直な感想として、じいさんに聞いたものだった。


「な、な、じいさん。

 ボクシングって、レフリーがいちばんつよいのか?」


 じいさんはずいぶん笑っていたが、決して否定はしなかった。

 そうして、しわがれた大きな手で、俺の頭を乱暴に撫でたものだった。






 ―――織火が腕を失ったと聞いたとき、俺にはまず感謝があった。

 それほどまでの代償を払って、俺たちの命を救ってくれたのだ。

 たとえそれが、本質的には自分の過去との対決だったとしても、結果的に俺たちが救われたことに違いはない。返そうとも返し切れない恩だ。


 同時に・・・あの場で俺だけではないだろうが、こうも思った。

 

『もし自分にも戦う力があれば、織火の腕はまだ肩に繋がっていたのか?』

『戦う力がないにしても、一緒に行ければ、何かが変わったのか?』


 我ながらなんとも傲慢で、身の程知らずな考えだろうか。

 もし戦う力があったとして、自分のために戦った織火を止める権利はないし、力がないまま付いていこうものなら、失うものが織火の腕だけで済まなくなるだけだ。

 

 そもそも、こんなたらればに意味はない。

 現実に織火は腕を失い、俺も、友達も、それに救われた。

 そして・・・織火は後悔していない。

 それが全てだ。




 だが、同じことを続ける限り、物事には必ず

 

 織火に戦う目的があり、それに代償が必要になる状況。

 同じ状況になったとき・・・また、真川春太郎は同じ立場でいるのか?


 耐えられない。認められない。

『もっとちゃんと考えれば、別の方法があるんじゃないか?』

『必ずお前が行く必要があるのか?』

 誰か―――それは俺じゃなくてもいいかもしれないが―――そう言って御神織火を引き留めることができれば、結果は変わるかもしれない。




 ―――だが。それをするには、条件がひとつある。

 それを織火が聞かなかったとき、腕づくで止めるだけの力があることだ。




 そう考えた時の真川春太郎には、その力がなかった。

 そして何よりもまず・・・は、きっと最後の最後、織火という友達を肯定する。してしまう。

 友達のことは無条件に信じてやるのが、男子・真川春太郎の信条だからだ。


 つまり、必要になるものはふたつ。

 ひとつは、織火を真正面から止められるほどの強さ。


 


 もうひとつは―――『真川春太郎ではないキャラクター』。

 御神織火という男を容赦なく否定できる性格。その行動原理。

 異なる信条を持つ、別の人格が必要だった。


 


 利用できるものが―――おあつらえ向きに、俺にはあった。

 それは家系だ。

 真川家は、代々、新国連の選別官を輩出している。

 秋蔵・・・じいさんの任期がずいぶん長かったのと、おやじが向いてなかったこともあって、次は俺が選別官を継ぐことになっていた。

 

 病気がちになったじいさんのためとはいえ、まだ学生身分の俺が選別官になるのは内外で批判もあったが、そこは仕事ぶりで黙らせた。自分で言うのもアレだと思うが俺の取り得は人を見る目くらいだ。この仕事は向いていたんだろう。


 それだけに、その立場を私的に利用し、欲を満たすことには抵抗もある。

 だが、それでも俺は恩人がこれ以上何かを失うことが許せない。

 使えるものは全て使おうと決意していた。

 

 任務の傍ら、密かに力に繋がるものを探し続けた。

 そして行き当たったのが―――巨魚対策室チーフ・マーヤが裏で行っている研究。

 非合法かつ秘密の、私的な研究だ。


 マーヤに接触した俺は、まずその嗜好の異常さに驚愕・・・というか、言葉を飾らず言えば、完全にドン引きした。

 巨魚を生食するだけでもおぞましいというのに、それで肉体が傷ついてもまったくお構いなし。胃が焼けようが、皮膚が焦げようが、苦悶と恍惚の入り混じった表情でがつがつと巨魚を食い・・・そして、終われば

 何も知らずにあの人工皮膚の下を見れば、ホラー耐性のないやつはその場ですぐに卒倒だ。フランケンシュタインもびっくりなんだから。


 そしてその女は―――困ったことに、欲しい力を得られなかったのだ。


 最初に確認された王位種・・・歯牙の王トゥース

 グランフリート近海の交戦で消滅したと思われていた歯牙の王トゥースは、しかし、コアの破片を稚魚に持たせて逃がしていたのだ。

 長い時間をかけて再生するはずだったその破片を、マーヤは新国連に秘密で入手。

 より多くの巨魚を食うために、マーヤは自分自身に歯牙の王トゥースの力を取り込もうとしたようだが・・・その試みは、失敗した。

 マーヤの体は核に適合しなかった。もしくは、核のほうがマーヤを拒絶したのか。

 いずれにせよ、マーヤがその力を得ることはなかった。


 


 ―――これは、恐らく最大最後のチャンスだ。

 真川春太郎が忌避する、ある種の裏切りを。

 『ジャッジ』は、行うと決した。








「―――取り引きをしよう。

 いずれお前に適合するまで、俺を使って実験していい。

 そのかわり・・・・・・・・・歯牙の力を、俺によこせ」








 そうして。

 今、俺の心臓には、歯牙の王こいつが同居している。


〈エフフフ・・・いつ見ても奇妙、奇ッ怪、不気味な女だな・・・。

 今の時点で充分に充分に人類ではない・・・逸脱そして破綻・・・〉


 核に宿っていた歯牙の王トゥースの人格。

 声も、影も、俺にしか認識することができない。

 マーヤにもこいつの存在は明かしていない。




 意外なことだが・・・どうやらこいつには、自分を一度殺した織火やフィン、戦隊のメンバーに対する怒りや復讐心のようなものがない。

 一体化しているからか、意思は包み隠さず把握できる。嘘はついていない。

 

 今、歯牙の王トゥースの頭にあるものはただひとつ。

 それは『疑問』だ。


〈俺が受けた命令は、フィンを連れ戻すことだった。

 しかし、だがしかし・・・今の同胞どもはどうだ?

 がフィンを殺そうとしても、咎めることすらしない・・・〉


 歯牙の王トゥースの知識では、大水没はフィンの力によって起こすもの。

 それ以外の方法など知らないという。

 だというのに・・・今の王位種、ひいては裏にいるハロルド・マクミランのひとりもフィンの存在を必須としていない。俺にもそう見えた。


〈俺が命令を受けたのは、ハロルドからではない。

 ・・・鱗の王スケイルからだ。

 何か・・・何か、水没と異なる思惑が、同胞どもの間でも動いている。

 そう思う。そのような気がする。知りたい・・・知らねばならない・・・〉


 俺と歯牙の王トゥースだけが知り得た、違和感。

 職務を離れて得た力と共に、職務に準じるべき事項も浮かび上がった。

 

 


 俺はジャッジ。選別する者。

 いかなる物事も見定め、そして判決せねばならない。

 そのためには・・・真実に歯牙を立てる必要がある。

 

 光の下の友のために―――影のひとつを道連れとして。




「ねぇ、春太郎くん?」

「できればジャッジで呼んでくれ。これはそういう関係だ」

「ジャッジ。

 以前も聞いたけれど・・・ここに来てもう一度聞くわ。

 これは職権の濫用ではなくって?」


 違法行為をしておいて何を言う!

 なんともふてぶてしい、そして盗人猛々しい女だ。

 しかし、後ろ暗い目的の協力者としては、この態度が頼もしい。


 なら、こっらもそれなりの返答をしよう。

 外した仮面を付け直せば、再び嘘と裏切りに踊る日々。

 どうせ踊るのなら―――とびきり上等な芝居をしてやろう。

 

 俺は運動部じゃなく、演劇部なんだからな。




「案ずることはない―――職責の、必要だ」




                ≪第5章『踊る仮面の街』 終わり≫

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