ヒュージフィッシュ・バスターズ~光る海のオルカ~

光岡太陽

第1章『光る青の少年』

第1章 -1『旧東京観光バスにて』

「はーい、みなさーん!これが東京スカイツリーでーす!

 110年前、東京が水没するまでは、日本で最も大きな建造物でした!」


 御神みかみ織火おるかは、女性ガイドの説明を耳から滑らせ、何度目かのあくびを噛み潰した。

 ただでさえ校外学習そのものに乗り気でなかったうえ、織火は歴史にあまり興味がない。つい16年前に生まれた織火には、東京が水面より上にある光景など想像もつかないし、それはきっとこの甲高い声のガイドにしてもそうだろう。


 海底に目を凝らせば、そこには旧時代のビル群が並んでいる。

 もし、今もそこに人が暮らしているとしたら、ビルより遥か高くを泳ぐこの船は、空飛ぶ船に見えるのだろうか。


 


 『大水没フラッド・ハザード』。

 今から110年前、突如として起こったこの未曾有の災害によって、地球人類は実に75%もの陸地を水の底へと奪われた。

 原理も、原因も今もって不明。現在までに分かっていることは、氷などが溶けて水に変化したのではなく、『水の総量そのもの』が、どこからか激増したこと。

 そして、世界中の水という水が、全くその性質を変えてしまったということ。

 水は今や燃料であり、加工材料でもある。


 


「当バスはこれより少しの間、に入ります。

 揺れが生じますので、シートベルトをしっかりとお締め下さい」


 車掌のアナウンス。

 かつて地球の引力に粛々と従うばかりだった(らしい)水の流れは、もうどこにも存在しない。海にはときに上り坂が生じ、またときには割れてさえ見せる。

 織火がインターネット上で見た、青くてデコボコの衛星写真を思い出していると、後ろの座席のクラスメイトが話しかけてくる。


「な、な、織火」

「ん?」

「俺、水の上を走るバスって初めて乗ったわ」

「都会生まれはそうだろうな」

「じゃあお前は乗ったことあんの?」

「俺は長野だから」

「あぁそっか、長野は陸があるもんな」


 水没によって大地のほとんどが失われても、地球人類はなかなかにしぶとかった。

 生き残った人類は、山岳部や高原、また幸運にも海におかげで水没を免れた土地を足掛かりに、大急ぎで足場を作って海へ浮かべ、暮らしの全てをそこへ乗せた。

 今や人工でない国土のほうが貴重な世界だ。巨大な船を国土とした、新しい国家が誕生したことは記憶に新しい。

 

 交通網のほとんどは水路や水中にも整備されているし、水上栽培の技術が進歩したおかげで、日々食べられる野菜も増えている。材料が貴重で、庶民には手の届かないカレーライスが、高級料理を脱出する日もそう遠くないだろう。

 織火の出身地である長野は、日本にふたつしかない陸地を持っている。畜産関係のほとんどが集まっており、土地が高いため水中が主流である交通網の一部は水の上に引かれている。

 どれほど具の少ない料理にでも肉の切れ端だけは乗っていたことを、織火は密かに感謝していた。


 


 生き残った人類。問題なく進んでいく日常。

 織火も、クラスメイトたちも、大地の上の世界を知り得ない。

 学校があって、面白くもない校外学習があって、物足りなくとも不満はない。


 ―――それでも。

 

 かつて地球が地震に怯えたように。

 いまも地球が嵐や雷を恐れるように。


 この水上に築かれた新たな世界にも、新たな恐怖が存在する。








『 ■ 警報 ■ 』








 けたたましく鳴り響くサイレン。

 今後の目的地を呑気に写していたモニターには、硬く冷たい文字が浮かぶ。


 静まり返る車内には、血の気が引く気配が充満した。

 それは未知から来るものではなく、その逆―――知っているものへの恐怖。

 見たことがある存在への恐怖。聞いたことのある物事への恐怖。


『 ■ 近海に巨魚出現を確認 ■ 』

『 ■ ただちにセーフエリアへ避難して下さい ■ 』


 人類は今や、から身を守らずには種を存続できない。

 

 知恵持つ猿が最強なのは、大地があればの話。

 海が支配する世界で最強の存在は、そこに長らく棲息したもの。






巨魚ヒュージフィッシュ』。

 狂暴にして頑強な―――巨大水棲生物だ。

                               

                               




 ≪ヒュージフィッシュ・バスターズ~光る海のオルカ~ ここに始まる≫

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