第1章 -2『御神織火』

 巨魚ヒュージフィッシュ出現の警報が鳴ってすぐ、四台の観光バスは一斉に進路を変更し、平時には乗客への配慮に押し留められている速度をフル稼働することとなった。

 目的地は巨魚対策の大型シェルター、セーフエリア。最悪の場合は最大数週間ほど中で暮らせる設備・備蓄があり、ほとんど世界中全ての国や都市が、その規模や目的に合わせた広さのセーフエリアを設置している。


「ねぇ、大丈夫だよね・・・?いつかの外国の事件みたいに、エリアに入れずにそのまま、なんてこと・・・」

「だ、大丈夫よ!観光地のセーフエリアは広いもの・・・」


 織火おるかの視界の端に、数人の女子生徒が不安そうに身を寄せ合っているのが映った。実際、旧東京のセーフエリアはそれなりに広い。他の場所からもバスや乗用艇は集まってくるだろうが、収容人数を理由にあぶれるようなことはまずないだろう。そう思うと同時に、情報が不安を紛らわすに値しないことも、また理解できた。

 日本は巨魚の出現数が世界的に見て多くはない。学校全てでゼロとはいかないだろうが、出現の警報そのものを聞いたことがない生徒が大半だ。既知のはずの脅威を、“めったにない”という理由で頭から追い出してしまうのは、いつの時代の人間も変わらない。


 泣きだすもの、必死に友人を励ますもの、どうにかして情報を得ようと窓の外をしきりに伺うもの。少しでも気持ちを軽くしようとしたのか、さきほどのクラスメイトが織火にまた話しかけてくる。


「な、な、織火・・・」

「大丈夫だと思うしかないだろ」

「き、聞いてもいないのに答えるなよお!まぁそれを言おうとしてたけどよ・・・」


 ほとんど泣きそうだった。求めていた答えではなかったのではなく、恐らく、求めていた答えが何の救いにもならないと気付いたからだろう。

 怖いのは俺も同じだぞ・・・という言葉をとりあえず飲み込み、織火はこのか弱いクラスメイトの気晴らしに付き合うことにした。


「そういえばお前、名前は?」

真川さながわ春太郎しゅんたろうだけど・・・

 っていうか覚えて頂けてなかった!?もう二年だぜ俺ら!?」

「悪い悪い、冗談だよ」


 嘘だった。織火は今、名前を知った。

 織火はクラスの誰とも交流がなく、そのつもりもない。

 ただ、この真川春太郎という男子が、誰とでも仲が良いこと、分け隔てなく気を配れる好漢であることは、同じクラスにいるだけで何となく分かる。

 自分と性質の異なる人間だと感じた。


「今そういう冗談やめろよ・・・ていうか、冗談とか言うやつだったんだ?」

「まあな」

「へぇ~、意外だ。もっとクソ真面目だと思ってた、あ、じゃあさあ」

「エロ本は読まない」

「さっきから聞こうと思った答えを先に置くんじゃねえよお前!」

「誰にでも聞いてんだろどうせ・・・」

「なんで分かるんだよお」


 他愛のない話に、お互い少し心が軽くなってくる。無事に帰ったら、もう少しくらいはこいつと話してみてもいいかもしれないと、織火は密かに思った。


「じゃあ何か聞けよ。今度は先に言わない」

「えーっと・・・あ、いっつもでっかいバッグ持ってるだろ?それなに?」

「ああ、これは―――まぁ、お守りだ」

「でけぇお守りだな!?」

「・・・実は、俺―――」


「みなさん、エリアが見えました!焦らずに下船の準備を整えて下さい!」


 ガイドが知らせる。

 織火と春太郎も、会話を打ち切って準備を始める。バス内はようやく落ち着いた空気を取り戻しつつあった。

 こうなってしまえば、一部の生徒にとってセーフエリアは好奇心の対象だった。校外学習のスケジュールにはなかった非日常体験を、どうにか少しでも良い思い出にしようと、ひとり、またひとりとゲートを見ようと運転席の方へ集まってくる。


 


 ―――そして彼らは、最悪の事実を認識した。







「―――なぁ、あれって・・・背びれじゃないか・・・?」







 静寂。

 船内の全員が、はじかれるように手近な窓に駆け寄った。

 

 青黒い水面の少し下に、それぞれが5メートルはゆうに超えるかという魚影が揺らめいていた。ときおり、鋼のような背びれがちらりと水上へと浮かび上がる。それらが三匹、四匹、ゆっくりと船の周囲を巡る。


「い、いるっ!いるよ、こっちにもっ!そっちにもっ!!」

「なんでだよ!?警察や軍が駆除に動いてるんじゃないのか!?」

「いやあっ!!囲んでる!!囲まれてるよおっ!!なんでよお!!」


 一転、もはや全ては恐怖と焦燥に支配された。


「お、落ち着けって!なあ!」


 今度はもう春太郎では止められない。もはや想定ではない・・・実際に視認できる質量をもった恐怖対象が出現すれば、無理もない。春太郎自身も、叫びながら膝を震わせているのだから。

 

 がすん、という衝撃音。

 一匹の巨魚が船の側面へと跳躍し、体当たりをかけてくる。。かろうじて穴は空いていないが、船体はひしゃげ、窓ガラスには細かなヒビが入った。ちょうど近くにいた織火に破片が襲い掛かり、手をかすめた。血が滴る手のひらを、織火はじっと見つめる。

 

 


 いよいよ悲鳴と混乱に満ち溢れる船内にあって―――織火は心のどこかで、この状況に納得していた。手が痛む。頭の中を言葉が反響する。


      あなたは、みんなと違うから

         悪いけど、これ以上スプリントをすることは


(・・・ああ・・・また、こうなった)

 そう思った矢先、まるでそれを肯定するように―――あるいは糾弾のように―――生徒のひとりが声を上げる。


「お前のせいなんじゃないのか、御神みかみ!!

 俺、知ってるぞ・・・お前のところに寄って来るんだろ、巨魚が!!」


 それは、よく知っているセリフだった。

 かつて何度も聞いた、過去を裁く言葉。未来を閉ざしていく、その言葉。

 答えるかわりに、織火は自分の右手を見る。増していく痛みに合わせて、一瞬心が白くなり―――バチリと音を立てて、それは生じた。


 


 

 

 生まれつきそうだった。原因は自分も、他の誰も知らない。そもそも、本当に電気かどうか定かではない。他人が触れても痛みはないし、火傷もしない。機械を動かす力もない。

 最初はみんな織火に優しかった。両親は一緒に思い悩んでくれたし、担任も医者も、原因を探そうとしてくれた。性格は変わらないのでその頃から周囲に人は少なかったが、それでも気にせず付き合ってくれる友人はいた。

 

 そんな環境で、織火は才能と夢を見つけた。

 アクアスプリント。水上をホバー走行するジェットブーツで、スピードを競う多人数レース競技。織火はスプリントの金メダリストに憧れ、必死に努力した。地元・長野のチームでめきめきと頭角を現し、中学を全国の舞台に導く。そして、ジュニア世界選手権への招待状。

 

 いよいよ、夢が手の届く距離に現れたと思った。みんな期待してくれた。みんな応援してくれた。みんな織火に優しかった。両親、友達、先生、主治医―――。



 

 ジュニア選手権の本番。

 同走の選手が行ったのは、明らかな反則的接触ラフプレー。誰の目にも明らかなそれに対し、ジャッジは反則を与えなかった。織火は完走もできなかった。

 どうしても我慢ができなかった織火は、ジャッジに改めて抗議する。だが、説き伏せるどころか―――ジャッジはそれを取り合おうともしなかった。

 

(どうして!)


 怒りが心に満ちるにつれ、織火の全身からは自然と、あの青い電流が生じる。


(どうして!―――どうしてだ!)

 

 それが最高潮に達した瞬間の気持ちを、織火は覚えている。

 『こわれてしまえ』、と。確かに、思った。




 そして―――すべてが、




 織火が自分の電流を制御できないことに気付いた瞬間、スタジアムにおびただしい数の巨魚が押し寄せ、あらゆる破壊と殺戮を振りまいた。


 崩れる壁に埋もれて、客席の担任が死んだ。自分でチケットを勝ち取ってくれた。

 逃げようとするチームメイトが、片腕や、下半身や、それ以外になってしまうのをその目で見た。みんな優秀だった。競い合っていた。

 大会への出場を心配しながらも許してくれた主治医は、けが人を助け起こそうとして、逃げる群衆に踏まれて死んだ―――そのけが人も。


 みんな織火に優しかった。

 夢が手の届く距離に現れたと思った。

 でも、こわれてしまえと思ったから―――そうなってしまった。


 何をどうして生き延びたか、織火は覚えていない。だが、心ない、顔も知らない大会関係者は、『織火が巨魚を呼んだ』と断言する。生き延びた数少ない友人も、チームメイトも、みんなそう思っていた。織火自身も。


 そして両親が、織火を殺した。




     「あなたは、みんなと違うから

         悪いけど、これ以上スプリントをすることは」




 織火は長野を出た。

 これだけ大事になれば、完全に隠すことはできないけれど、織火はできるだけ自分の知らない土地に行きたかった。

 両親は用意を手伝ってくれた。それがどういう感情なのかは、考えたくなかった。




 こうして、織火は東京の高校に通う。

 夢を忘れて、過去から逃げて―――そして、今、こうなっている。


 織火の体質を、今知ったものも、前から知っていたものも、一様にその電流を見つめる。ほとんどは怯えて、それ以外の大部分は怒りをたたえた視線。


「待てよテメェ!!」


 沈黙を破り、声が上がった。春太郎だ。


「正直俺だってこいつのことは知ってるけどよ・・・何の証拠もないのに決めつけてんじゃねーぞ!」

「お前こそ、じゃあ何でこんなところにいきなり巨魚が出てくんだよ!

 都合よく、待ってたみたいによ・・・おかしいじゃねえか全部!」

「それは・・・いや、ていうかそもそも今そんな場合か!?」


 横から返事を奪うように、今度は逆側から二度のタックル。

 次々に飛ぶガラスの破片は全て、織火を向いている。かすり傷が増える。

 痛い―――痛い。

 

「見ただろ、今の・・・アイツらは狙ってんだよ、御神を!!」


 それ疑うものはもう、この船にはいなかった。

 春太郎も何も言えない。恐怖が勝ったのだろう、口も身体も動けなくなっている。

 糾弾は続く。


「なんだか知らねえけど、便利なんじゃねえか・・・!?

 全部巨魚がやってくれるもんな、お前がそうしたいって思えばよ!!

 つまらなそうにしてるじゃねえかお前・・・いつもいつも、機嫌悪い顔しやがって」


 織火は反論しない。ほとんど事実だと思っているから。

 こわれてしまえと望んだことは事実だ。毎日がつまらないことも、行き場がなくなった怒りを思い出すことも事実だ。

 

 ただ、


「どうせ大会だって、勝てないからって大会自体を―――」

「・・・!」


 夢だったものを笑われるのだけは、我慢ができなかった。

 織火は初めて、明確に表情を歪めて男子生徒を睨みつける。そのとき同時に気付いたが、その生徒の名前は知らなかった。共有するものがないからだろうか。今後も覚える必要はないだろうと思った。


「おい」

「なっ、なんだよ!」

「要するに、助かればいいんだよな」


 織火は自分のバッグを開く。

 入っているのは、一足の競技用ジェットブーツと、耐水ウェア。いつもお守り代わりに持ち歩いている、スプリント用の装備だった。

 おもむろにそれを身に付けると、非常用ハッチの開閉スイッチに手をかける。


「何する気だよ・・・!ひ、ひとりだけ逃げる気か!?」

「お前の言う通り、俺の電気に巨魚が引き付けられるなら」


 ジェットブーツの電源を入れる。低い音を立ててホバーが稼働する。

 ウェアのファスナーを締めなおしながら、織火は宣言した。


「俺が連れて行く」


 跳躍。

 四度目の体当たりがひとつの窓ガラスを完全に砕くのと、着水した織火が加速を開始するのは、ほぼ同時。

 

「織火―――ッ!!!」


 春太郎のよく通る声が背中に遠ざかる。ちょっとホイッスルみたいだな、と織火は想い、ほんのりと笑んだ。

 

 全ての巨魚が、その軌跡へと向き直る。

 レースが始まった。


                             ≪続≫

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