第1章 -2『御神織火』
目的地は巨魚対策の大型シェルター、セーフエリア。最悪の場合は最大数週間ほど中で暮らせる設備・備蓄があり、ほとんど世界中全ての国や都市が、その規模や目的に合わせた広さのセーフエリアを設置している。
「ねぇ、大丈夫だよね・・・?いつかの外国の事件みたいに、エリアに入れずにそのまま、なんてこと・・・」
「だ、大丈夫よ!観光地のセーフエリアは広いもの・・・」
日本は巨魚の出現数が世界的に見て多くはない。学校全てでゼロとはいかないだろうが、出現の警報そのものを聞いたことがない生徒が大半だ。既知のはずの脅威を、“めったにない”という理由で頭から追い出してしまうのは、いつの時代の人間も変わらない。
泣きだすもの、必死に友人を励ますもの、どうにかして情報を得ようと窓の外をしきりに伺うもの。少しでも気持ちを軽くしようとしたのか、さきほどのクラスメイトが織火にまた話しかけてくる。
「な、な、織火・・・」
「大丈夫だと思うしかないだろ」
「き、聞いてもいないのに答えるなよお!まぁそれを言おうとしてたけどよ・・・」
ほとんど泣きそうだった。求めていた答えではなかったのではなく、恐らく、求めていた答えが何の救いにもならないと気付いたからだろう。
怖いのは俺も同じだぞ・・・という言葉をとりあえず飲み込み、織火はこのか弱いクラスメイトの気晴らしに付き合うことにした。
「そういえばお前、名前は?」
「
っていうか覚えて頂けてなかった!?もう二年だぜ俺ら!?」
「悪い悪い、冗談だよ」
嘘だった。織火は今、名前を知った。
織火はクラスの誰とも交流がなく、そのつもりもない。
ただ、この真川春太郎という男子が、誰とでも仲が良いこと、分け隔てなく気を配れる好漢であることは、同じクラスにいるだけで何となく分かる。
自分と性質の異なる人間だと感じた。
「今そういう冗談やめろよ・・・ていうか、冗談とか言うやつだったんだ?」
「まあな」
「へぇ~、意外だ。もっとクソ真面目だと思ってた、あ、じゃあさあ」
「エロ本は読まない」
「さっきから聞こうと思った答えを先に置くんじゃねえよお前!」
「誰にでも聞いてんだろどうせ・・・」
「なんで分かるんだよお」
他愛のない話に、お互い少し心が軽くなってくる。無事に帰ったら、もう少しくらいはこいつと話してみてもいいかもしれないと、織火は密かに思った。
「じゃあ何か聞けよ。今度は先に言わない」
「えーっと・・・あ、いっつもでっかいバッグ持ってるだろ?それなに?」
「ああ、これは―――まぁ、お守りだ」
「でけぇお守りだな!?」
「・・・実は、俺―――」
「みなさん、エリアが見えました!焦らずに下船の準備を整えて下さい!」
ガイドが知らせる。
織火と春太郎も、会話を打ち切って準備を始める。バス内はようやく落ち着いた空気を取り戻しつつあった。
こうなってしまえば、一部の生徒にとってセーフエリアは好奇心の対象だった。校外学習のスケジュールにはなかった非日常体験を、どうにか少しでも良い思い出にしようと、ひとり、またひとりとゲートを見ようと運転席の方へ集まってくる。
―――そして彼らは、最悪の事実を認識した。
「―――なぁ、あれって・・・背びれじゃないか・・・?」
静寂。
船内の全員が、はじかれるように手近な窓に駆け寄った。
青黒い水面の少し下に、それぞれが5メートルはゆうに超えるかという魚影が揺らめいていた。ときおり、鋼のような背びれがちらりと水上へと浮かび上がる。それらが三匹、四匹、ゆっくりと船の周囲を巡る。
「い、いるっ!いるよ、こっちにもっ!そっちにもっ!!」
「なんでだよ!?警察や軍が駆除に動いてるんじゃないのか!?」
「いやあっ!!囲んでる!!囲まれてるよおっ!!なんでよお!!」
一転、もはや全ては恐怖と焦燥に支配された。
「お、落ち着けって!なあ!」
今度はもう春太郎では止められない。もはや想定ではない・・・実際に視認できる質量をもった恐怖対象が出現すれば、無理もない。春太郎自身も、叫びながら膝を震わせているのだから。
がすん、という衝撃音。
一匹の巨魚が船の側面へと跳躍し、体当たりをかけてくる。頭頂部に角の生えたサメだ。かろうじて穴は空いていないが、船体はひしゃげ、窓ガラスには細かなヒビが入った。ちょうど近くにいた織火に破片が襲い掛かり、手をかすめた。血が滴る手のひらを、織火はじっと見つめる。
いよいよ悲鳴と混乱に満ち溢れる船内にあって―――織火は心のどこかで、この状況に納得していた。手が痛む。頭の中を言葉が反響する。
あなたは、みんなと違うから
悪いけど、これ以上スプリントをすることは
(・・・ああ・・・また、こうなった)
そう思った矢先、まるでそれを肯定するように―――あるいは糾弾のように―――生徒のひとりが声を上げる。
「お前のせいなんじゃないのか、
俺、知ってるぞ・・・お前のところに寄って来るんだろ、巨魚が!!」
それは、よく知っているセリフだった。
かつて何度も聞いた、過去を裁く言葉。未来を閉ざしていく、その言葉。
答えるかわりに、織火は自分の右手を見る。増していく痛みに合わせて、一瞬心が白くなり―――バチリと音を立てて、それは生じた。
御神織火の身体からは青い電気が出る。
生まれつきそうだった。原因は自分も、他の誰も知らない。そもそも、本当に電気かどうか定かではない。他人が触れても痛みはないし、火傷もしない。機械を動かす力もない。
最初はみんな織火に優しかった。両親は一緒に思い悩んでくれたし、担任も医者も、原因を探そうとしてくれた。性格は変わらないのでその頃から周囲に人は少なかったが、それでも気にせず付き合ってくれる友人はいた。
そんな環境で、織火は才能と夢を見つけた。
アクアスプリント。水上をホバー走行するジェットブーツで、スピードを競う多人数レース競技。織火はスプリントの金メダリストに憧れ、必死に努力した。地元・長野のチームでめきめきと頭角を現し、中学を全国の舞台に導く。そして、ジュニア世界選手権への招待状。
いよいよ、夢が手の届く距離に現れたと思った。みんな期待してくれた。みんな応援してくれた。みんな織火に優しかった。両親、友達、先生、主治医―――。
ジュニア選手権の本番。
同走の選手が行ったのは、明らかな
どうしても我慢ができなかった織火は、ジャッジに改めて抗議する。だが、説き伏せるどころか―――ジャッジはそれを取り合おうともしなかった。
(どうして!)
怒りが心に満ちるにつれ、織火の全身からは自然と、あの青い電流が生じる。
(どうして!―――どうしてだ!)
それが最高潮に達した瞬間の気持ちを、織火は覚えている。
『こわれてしまえ』、と。確かに、思った。
そして―――すべてが、そうなった。
織火が自分の電流を制御できないことに気付いた瞬間、スタジアムにおびただしい数の巨魚が押し寄せ、あらゆる破壊と殺戮を振りまいた。
崩れる壁に埋もれて、客席の担任が死んだ。自分でチケットを勝ち取ってくれた。
逃げようとするチームメイトが、片腕や、下半身や、それ以外になってしまうのをその目で見た。みんな優秀だった。競い合っていた。
大会への出場を心配しながらも許してくれた主治医は、けが人を助け起こそうとして、逃げる群衆に踏まれて死んだ―――そのけが人も。
みんな織火に優しかった。
夢が手の届く距離に現れたと思った。
でも、こわれてしまえと思ったから―――そうなってしまった。
何をどうして生き延びたか、織火は覚えていない。だが、心ない、顔も知らない大会関係者は、『織火が巨魚を呼んだ』と断言する。生き延びた数少ない友人も、チームメイトも、みんなそう思っていた。織火自身も。
そして両親が、織火を殺した。
「あなたは、みんなと違うから
悪いけど、これ以上スプリントをすることは」
織火は長野を出た。
これだけ大事になれば、完全に隠すことはできないけれど、織火はできるだけ自分の知らない土地に行きたかった。
両親は用意を手伝ってくれた。それがどういう感情なのかは、考えたくなかった。
こうして、織火は東京の高校に通う。
夢を忘れて、過去から逃げて―――そして、今、こうなっている。
織火の体質を、今知ったものも、前から知っていたものも、一様にその電流を見つめる。ほとんどは怯えて、それ以外の大部分は怒りをたたえた視線。
「待てよテメェ!!」
沈黙を破り、声が上がった。春太郎だ。
「正直俺だってこいつのことは知ってるけどよ・・・何の証拠もないのに決めつけてんじゃねーぞ!」
「お前こそ、じゃあ何でこんなところにいきなり巨魚が出てくんだよ!
都合よく、待ってたみたいによ・・・おかしいじゃねえか全部!」
「それは・・・いや、ていうかそもそも今そんな場合か!?」
横から返事を奪うように、今度は逆側から二度のタックル。
次々に飛ぶガラスの破片は全て、織火を向いている。かすり傷が増える。
痛い―――痛い。
「見ただろ、今の・・・アイツらは狙ってんだよ、御神を!!」
それ疑うものはもう、この船にはいなかった。
春太郎も何も言えない。恐怖が勝ったのだろう、口も身体も動けなくなっている。
糾弾は続く。
「なんだか知らねえけど、便利なんじゃねえか・・・!?
全部巨魚がやってくれるもんな、お前がそうしたいって思えばよ!!
つまらなそうにしてるじゃねえかお前・・・いつもいつも、機嫌悪い顔しやがって」
織火は反論しない。ほとんど事実だと思っているから。
こわれてしまえと望んだことは事実だ。毎日がつまらないことも、行き場がなくなった怒りを思い出すことも事実だ。
ただ、
「どうせ大会だって、勝てないからって大会自体を―――」
「・・・!」
夢だったものを笑われるのだけは、我慢ができなかった。
織火は初めて、明確に表情を歪めて男子生徒を睨みつける。そのとき同時に気付いたが、その生徒の名前は知らなかった。共有するものがないからだろうか。今後も覚える必要はないだろうと思った。
「おい」
「なっ、なんだよ!」
「要するに、助かればいいんだよな」
織火は自分のバッグを開く。
入っているのは、一足の競技用ジェットブーツと、耐水ウェア。いつもお守り代わりに持ち歩いている、スプリント用の装備だった。
おもむろにそれを身に付けると、非常用ハッチの開閉スイッチに手をかける。
「何する気だよ・・・!ひ、ひとりだけ逃げる気か!?」
「お前の言う通り、俺の電気に巨魚が引き付けられるなら」
ジェットブーツの電源を入れる。低い音を立ててホバーが稼働する。
ウェアのファスナーを締めなおしながら、織火は宣言した。
「俺が連れて行く」
跳躍。
四度目の体当たりがひとつの窓ガラスを完全に砕くのと、着水した織火が加速を開始するのは、ほぼ同時。
「織火―――ッ!!!」
春太郎のよく通る声が背中に遠ざかる。ちょっとホイッスルみたいだな、と織火は想い、ほんのりと笑んだ。
全ての巨魚が、その軌跡へと向き直る。
レースが始まった。
≪続≫
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