第6章 -26『凍える虹の悪魔』
「———見えたよね?リネット」
チャナはエクルビスのセッティングを確認しながら、リネットに通信を送る。
オリヴァーの一撃がレックスの鎧を粉砕するのを、リネットは遠くから見ていた。
今回、リネットの役割は基本的には狙撃ではなく、状況報告だ。
オリヴァーの攻撃の安全圏———こうなればもはや保証はないが―――から全てを視認し、グレイヴヤードに待機するチャナに報告する。
それが終われば、最後に一仕事だけして、リネットは撤退だ。
『確認しました。レックスの生身にはダメージなしです。
すぐさま自前の鎧に切り替えて反撃していますが・・・』
「ま、時間の問題ですらないネ。
個人のパワーでオリヴァーを抑えておくなんて無理だよ」
『あれが隊長の、いえ、隊長たちの本気の本気・・・』
「今のところはぜんぶ予定通り。
ここからは、ウチのアドリブ次第ってとこだね」
『・・・大丈夫ですか?』
「———大丈夫に、しなきゃ。手筈通りお願いね」
それだけ言って、チャナは通信を切った。
寂し気な声色に反して、その表情には覚悟が現れていた。
調整は、どうやら問題ない。
その手をスタートボタンにかけようとして、チャナは足音に気付いた。
「・・・マスター」
「よっ。ちょうど出るとこだったかい?」
「うん」
ケイナはずかずかとチャナに歩み寄ると、その頭を上からがしゃっと撫でる。
「このっ!おりゃりゃりゃ!」
「うわわっ、ちょ、ちょっと?」
「まったくお前たちは、ふたりとも師匠に黙ってコトを進めてさぁ!
最後まで礼儀だけは身に付けちゃくれなかったねぇ!
バカ弟子どもめ、このこのこの!このっ!」
「うあぁ~っ」
がしゃがしゃ。がしゃがしゃ。
頭を揺さぶられるチャナは、こそばゆさと気恥ずかしさに情けない声を上げる。
「や、ご、ごめん!ごめんってば!
もう子供じゃないんだからやめてよぅ~!」
「あーそうかいそうかい!子供じゃないのかい!」
ケイナは撫でていた手でむんずとチャナの頭を掴むと、軽く後ろに振って離した。
「わっ」
体勢を崩しそうになったチャナを・・・ケイナは、しっかりと抱き締めた。
「それじゃあ―――これで、最後にしようかねぇ」
「・・・・・・・・・マス、ター・・・」
「弟子離れができないでいるのは、アタシの方なのさ。
それも終わりにするよ・・・最後にちょっとだけ、アンタを可愛がらせておくれ」
「・・・うん」
チャナも、肩に顔を埋めてケイナを抱き返す。
そうしてしばらく何も言わず、ケイナはゆっくりとチャナのうしろ頭を撫でた。
「帰ってくるときは、あのバカはもういなくて。
アンタも、今のアンタとは、ちょっと違うアンタなんだねぇ」
「うん」
「アタシぁ、寂しくてたまんないよ・・・」
「うん」
「それでもアンタは行くんだねぇ、チャナ」
「うん、行くよ。
それだけが、ウチが生きていくための、絶対条件なんだ」
もう、ケイナも何も言えはしなかった。
ただ、一層強くチャナの体を抱き締めて、この温もりに心が少しでも乗ればいいと願うことしかできなかった。
実際にはほんの数分もない、永い永い抱擁が終わる。
誰かの暖かな腕の中から、旅立つときが訪れた。
ケイナは、腰に下げていた斧を、チャナに差し出す。
グレイヴヤードの狩人が一人前になったときに作る、巨魚の骨の斧。
受け取るチャナの手をぎゅっと強く、一度だけ握ると、離した。
「外は、ずいぶん寒いからねぇ。
たっぷり暖かくして、行っておいで」
「———ありがとう、マスター」
チャナはエクルビスに乗ると、ケイナの斧を背中に背負う。
腰に下げるにはずいぶんと大きな斧だ。
それでも、チャナの背中は、それを背負うに相応しい背中だった。
「行ってきます」
エンジンがうなりを上げて、降り始めた雪の中へ、チャナを運んで消えていく。
ケイナは、別れすら言えぬ男を想い、顔を覆って崩れ落ち、泣いた―――。
「オオオオオオオオオオオオオオオ――――――――ッッッ!!!!!!!!」
悪魔が叫び、斧を振る。
それだけで、海は割れては渦を巻き、飛沫のつぶてが周囲を襲う。
レックスは・・・攻めることや防ぐことは愚か、近付くことすらできない。
今のオリヴァーは、単なる雄叫びすら威力を伴うほどの、パルスの塊だ。
なけなしの『
「バケモノ、がァ・・・ッ!!」
レックスは今度こそ、心底から戦慄していた。
弱体化など何の関係もない。
自分が完全だったとしても、この悪魔は止まらない―――!
戦意の萎れたレックスを見て、オリヴァーは手を止め、視線をレックスに向けた。
・・・否、それは正確な表現ではない。
今のオリヴァーには目などない。眼窩の内には、輝き狂う光が満ちているだけだ。
「———テメェじゃねぇ・・・ッ」
「・・・・・・・・・ッ・・・!」
それだけで意図は伝わった。レックスは水中に姿を消す。
いかなる精神的抵抗もなく、即座に全速で離脱した。
そうして静寂。
あれほどいた狩人も、いつの間にかどこにもいなくなっている。
小賢しい後続が来る気配もない。
どうやら、チャナの小細工はこれで終わったらしい―――小細工は。
ほどなく。
「待たせちゃったね」
荒れ狂う白い風を抜けて。
「———ああ、待ってたぜ」
悪魔と少女は対峙した。
チャナは、凄まじい喪失感と孤独感に必死に耐えていた。
今、自分の中にはパルスがない。
ずっと、ずっとずっと自分の中にあったものが、今はない。
これまで感じたこともないほど、世界は寒かった。
「オリヴァーには、誰にも負けないでほしい。
最強の悪魔。私を救ってくれた、優しい理不尽。
それが、お別れの条件」
チャナは、背中の斧に手を添えた。
全身が、小刻みに震えている。寒い。とても寒い。
「———そして。
それを、ウチが自分で倒すこと。
オリヴァーの悪魔を、ウチが受け継いで、大丈夫だって証明する。
それは、それが、それだけが、」
———暖かな腕の中から、旅立つために。
「ウチが、これからを生きていく、条件なんだ」
永い永い抱擁を、自ら断ち切るように。
チャナは背中の斧を抜いた。
「・・・リネットォォォオオオ―――――――ッ!!!!」
チャナは叫ぶ。
返事は、数秒を待たず空に灯った。
上空から射出されたのは、虹色の光。
光線のように真っすぐに注ぐその光は、チャナの心臓の位置に着弾した。
「うあああああああ―――――――――ッ!!!!」
「・・・そいつは・・・!!」
「これは、みんなのちから・・・ッ!!
みんながちょっとずつ貸してくれた、パルスだッ・・・!!」
虹の光が体に満ちる。
それが凍える心を温めたりなどしない。
・・・だが、それでいい。これから生きる世界は、ずっと寒いんだ。
寒さに耐えて生きていけると、教えてやらなきゃいけないから。
小さなこの身の内側に、凍える虹が宿るなら。
今この瞬間だけは、私も。
「今日からは・・・ウチが、悪魔だ・・・ッ!!
勝負、だあ―ッ!!!オリヴァアアアァァァ――――――――――ッ!!
≪続≫
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