第3章 -13『履行』


 


 それは恐らく、狂気と呼んで差し支えない悲劇であった。


 


 グランフリート戦隊。

 

 国家元首エセルバート・マクミラン公爵直々に組織されたいわゆる直属部隊であるとはいえ、毎月の給与という観点のみで言えばその実態は平均的な国家公務員のそれに近しく、さらに、前線の活動に従事する戦闘員に限って言うならば、健康な体型と体力維持を目的にその食事はある種の制限を強いられていることは言うまでもない。


 豊かなカロリー、自由な食事の選択。日増しに強烈になる飢えと渇きに喘ぎながら過酷な訓練を繰り返す、愚かしくも愛すべき、一群の戦士たち。


 


 一方、このスシという食い物。

 

 かつて日本という国が小さな島国であったころ、国交の閉鎖により築かれた独自の文化は、当時の世界でも珍しい、魚介の生食という選択肢を国民にもたらした。

 

 一定量の酢を付けた米に一切れの鮮魚を乗せ、そこに大豆を主原料とし発酵過程を経て作られる醤油をかける、もしくは浸して食すこのスシは、耐え難い糖質の蓄積と引き換えに至上の贅沢と美味を人類の舌に約束するものである。


 これを多量に摂取することが、人間の健康や体型の維持においていかなる悪影響を与えるのか、詳しく語る必要はないだろう。


 


 


 そのグランフリート戦隊が―――!

 そのスシの器を、所狭しと並べているのである―――!




 


「この国の全ての体重計を破壊します」

「やめたまえ」

「リネットひとりじゃ危険だよ、ウチも行く」

「やめたまえきみたち」

「ですからぁ!隊長殿ぉ!自分わぁ!人々をぉ!聞いていますかぁ!」

「あーもーコイツに飲ませるの二度とやめよ」


 阿鼻叫喚だった。秩序も何もあったものではない。

 ここが高級店で、そのうえエセルバートが貸し切りにしていなければ、明日からのグランフリート戦隊は悪評の渦から再スタートを切るはめになる。


「ぷぃー、おなかいっぱい」

「・・・ここのあら汁、めちゃくちゃうまかったな・・・」


 そして、織火とフィンは端の方でちゃっかり平和だった。

 

 実際、エセルバート公御用達のスシは絶品そのもので、さほど味にこだわりのない織火でも思わず目を見張るものだ。

 フィンも夢中になって好物のブリを味わっていた。


 もはや収集のつかない面々を横目に見ながら、織火は腰を上げる。


「先に出てもいいですか」

「ん・・・あぁ、彼らのことは任せるといい。誘ったのは私だからね。

 これはこれで、貴重かつ刺激的な休日だったよ」

「俺も、今日は楽しかったです」

「私も!ありがとうございました!」


 フィンも立ち上がり、勢いよくお辞儀する。

 エセルバートは満面の笑みでこれを受け取った。








「―――で、やっぱりここに来るんだね」

「まぁな。夜風に当たるならここだろ」

「うん・・・そうだね」


 織火とフィンは、いつもの臨海公園に足を運んだ。


 相変わらず、夜は草のそよぎと、波の音しか聞こえない。

 エセルバートが教えてくれたが、この公園の近くはいわゆる建て売りの住宅が並ぶ新しい区画で、住民そのものがほとんどいないらしい。


「要するに・・・ここで人と出会うこと自体が、ありえないことだったんだな」

「アハハ、あのときはごめんね!」

「別にいいよ、嘘を言ってたわけじゃないし」


 フィンは、柔らかく吹いてくる風に軽く身をあずける。

 金色の髪が、さやかになびく。


「・・・だけど、私はオルカと会えた。みんなとも、公爵さんとも」

「―――ああ、そうだな」

「こういうのって、運命って言うのかな?

 それとも、単なる偶然?」

 

 織火は―――短い人生に起きた出会いに想いを馳せた。


 両親は、両親だから出会うのは当然。

 

 学校の先生や友達も、学校なのだから必ず出会うものだ。

 小学校もそうだし、これは高校もそうだ。編入先は織火が選んだ。

 主治医は、両親が引き合わせた。偶然ではない。

 

 スプリントも、織火は自分でチームに入った。選択の結果だ。

 グランフリート戦隊にも同じことが言える。

 織火は自分の意思で入隊したし、戦隊側にしても、織火のような人間を探すという方針があったのだから、これも偶然とは言えない。


 フィンだけは―――織火にとって唯一の、偶然の出会いだった。


「運命、ね」

 



 運命とは、どういうことだろうか。

 神様が、生まれたときから、何もかも決定しているということなのか?

 ―――それは、そうだとしたら。




「俺は・・・単なる偶然の方が、いいと思う。

 何も決まっていなくても、俺とお前はこうしてるんだから」

「・・・アハハ・・・けっこうロマンチックだね、オルカは」


 フィンは―――苦しむように、笑っていた。

 ふたつの感情の間にある顔。織火には、手に取るように分かる。

 医務室のシーツが思い出されるようだった。


「私は―――今、とっても怖い。

 分からないんだよ・・・。

 私は・・・人間にしては巨魚すぎて・・・巨魚にしては、人間すぎる」


 月を見上げる。

 出会った日と違って、今日は、綺麗な下弦の半月が見える。

 半分白い。半分黒い。


「みんな、このままの私を受け入れてくれようとしてる。

 でも―――私は、私がいちばん、私を受け入れ切れてないの」


 


 ―――瞬間、風が止んだ。

 遠く海だけが寝息を立てる。ふたつの声だけが、ここにはある。




「―――ねえ、オルカ。オルカは―――巨魚と戦うひとなの?」


 問いは繰り返される。


「―――そうだ。俺は、そういう仕事をしてる」


 答えが繰り返される。


「じゃあ、ねぇオルカ?私が―――」


 再現を重ねて。


「―――私が、強い私になれるように」


 言葉と意思が、今へと繋がった。








「オルカ。弱い私を、殺してくれる?」

「ああ―――俺が、お前を殺してやる」








 二人は、つま先を甲板の縁にかける。

 いつでも飛び出せる状態。


「・・・ただし!」


 織火は、右手の人差し指をフィンに突き付けた。

 フィンは驚いて「わ」と声を上げた。


「戦うつもりならお断りだ。

 お前を殺すのに、戦いはいらない。俺の方法でやる」

「オルカの、方法?」

「ああ。

 さっき、エメラルド・プラザでは・・・俺の趣味の話だけ出なかったろ?」

「あ、そういえば・・・そうだね」


 織火は、挑戦的に笑う。

 少年でも、戦士でもない。御神織火の根本にある、もうひとつの顔。




巨魚ヒュージフィッシュフィン。

 ―――今から俺と・・・レースをしようぜ」


                        ≪続≫

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