第6章 -29『その始まりを思い出せ』
チャナは荒い呼吸を整え、傷口を抑える。
オリヴァーとの接続によって起こっていた高速治癒はもうない。
戦いの傷は当たり前のように残り、少し休んだ程度で癒えはしない。
(・・・両腕は動くけど・・・足がキツいな・・・)
ここから長距離を自力で動くことは不可能だろう。
迎えを呼ばなければならない。
(帰ったらお風呂に入りたいな。マスターの言う通り、今日は寒いや。
そうだ、マスターもお風呂に誘おう。背中とか流してあげたりして)
そんなことを考えつつ、振り向こうとして、チャナは体を止めた。
頭を片手で抱える。
(・・・疲れたからかな?
おかしな―――おかしな音が、聞こえてくる)
ぱき、ぱき―――ばきん。
否。
それは、断じておかしい音などではない。
この北極圏の全ての存在に、平等に聞こえうる音。
温度と質量、その両面において生命を脅かす、氷の音色。
べきん。ばき。ぱき―――。
「———あぁ、どうりで横槍入れてこなかったワケだ。
片方が弱るまで、下で腹ごしらえしてたって?」
オオオ――――――――――ンン。
返事のかわり、歌声が聞こえた。
まるで再会を喜ぶかのように、ひと際ソプラノを効かせて。
〈ダイヤモンド・フューラー〉は高らかに鳴き、その巨体を水上に晒した。
通常のクリオネより遥かに巨大化した翼足は、まるで天使の羽のよう。
しかし、半透明の体の中でぐるぐると蠢く消化器官は、この生物が神聖なものではないことを如実に語る。
そしてその全身には、かつて奪い取った蛍光色のパルスを血のごとく巡らせる。
天使の頭部が、おぞましい形に開く。
ギチギチと鳴るフック状の口の周囲に、立ち上がるバッカルコーン。
その中心に、輪のようにパルスが回転する。
オオオオオオオオオオオオ――――――――――!
「ぐ、ぅうううッ・・・!?」
風圧。
チャナは痛む足をかばうこともできず、吹き飛ぶことに耐える。
咆哮と共に、世界は一変した。
風を伴って放出されたリング状のパルスは、荒れ狂う嵐を消し飛ばし、ただ一瞬で凪の海を作り出す。
そして自ら生み出した静寂を突き破るように、全方位を切り立つ氷の壁で囲った。
狭くなった空に、太陽と、光を透かす〈ダイヤモンド・フューラー〉。
まるで、裁きを下す神と、それを待つ牢獄の罪人だ。
チャナの脳裏には、11年前の悲劇がフラッシュバックした。
歯が嚙み合わず、体の底から恐怖と寒さが襲ってくる。
そして―――そこから救ってくれた男は、もう、存在しない。
仲間たちは、自分に大量のパルスを託した。
しばらくは動くことができないはずだ。
こうして囲まれてしまえば、デアの助けも望めない。
このままでは間違いなく、ここで自分は死ぬだろう。
「———あってたまるか、そんなこと・・・!!」
チャナは震える手で背中の斧を引き抜いた。
足を負傷したから天水拳は使えない。この斧が頼りだ。
まだ体になじみ切っていないパルスを、体の奥から絞り出す。
「そうだ。
託されたもので、できてるんだ。
もう、奪わせたりなんか、絶対しない」
斧を構えながら・・・しかし、チャナは分かってしまっている。
こんな武器で。
こんな体で。
〈ダイヤモンド・フューラー〉に勝てるはずはない。
それでも、やらなければいけない。
絶望的なことと、絶望することは、違うんだ。
そういう気持ちに名前を付けて大事にしているやつも知っている。
「来い・・・!来なよ、〈フューラー〉・・・!
お前にだけは負けられない・・・!」
〈ダイヤモンド・フューラー〉が、開いた口をチャナに向ける。
飢えたる穴の奥底に、パルスが光るのが見えた。
始まりを思い出せ。
戦うために生まれてきた。それしか持っていなかった。
そんなものすら奪われた。
それ以外を与えてくれたひとは、生命を奪われた。
奪ったのは、何だ。
何が。
「・・・お前だ・・・ッ!」
斧を振りかぶり、よろめきながら駆け出す。
滲む血潮が体温を上げてくれた。
「返せ・・・返せッ・・・!!」
体内から湧き上がる水とパルスが、〈フューラー〉の口に巨大な氷の塊を作る。
判決のハンマー。
ちっぽけな獲物へ、真っすぐそれを向ける。
「ウチの昨日を・・・!
オリヴァーの今日を・・・ッ!!
ウチらの明日を、返せぇぇえええ――――――ッ!!!!」
天使の判決は死罪。
それは罪人に向けてただちに振り下ろされ―――――――――
『———マイクテスト!・・・だったよな?』
飛来する衝撃。
氷の鎚が砕け散る。
キォォオオオオオオオ―――!!
これまで上げたことのない、明確な悲鳴。
口元で飛び散った破片が自身を襲い、〈フューラー〉は首を仰け反らせる。
「———あ、」
その威力の中心には、判決に異議のある者がいた。
光る青。それで作られた、巨大なアンカー。
舞い飛ぶ氷に反射して、真昼の星のようにきらきらと煌めく。
「俺の戦いは、今のセリフで始まったんだ」
そう。
今一度、思い出せ。
イカリを与えた者の名を。
「だからこれは、奇跡でも、偶然でも、おかしなことでもない」
その始まりを思い出せ。
チャナ・アクトゥガの戦いが、オリヴァー・グラッツェルから始まったように。
「今じゃすっかりこの通り!
俺も巨魚退治の専門家だ———あがめろ!」
―——御神織火の戦いは。
チャナ・アクトゥガによって始まったのだから―――!
そのまま織火は着水するとチャナを抱え、可能な限り距離を取る。
「お、オルカ!!」
「おう」
「た、助かったけど・・・なんで動けるの!?」
「こいつだよ」
織火は、サイドポーチからシリンダーを取り出した。
今は中身が入っていない。使用済みのようだ。
「『ラビットレイル』のパルス爆弾・・・!?」
「あらかじめ、こいつに少し詰めといた。
いつだったか、予備バッテリーに助けられたのを思い出してさ」
足元から生える氷の槍を、するすると回避する。
「とはいえ、それも一定量。
長時間の戦闘はできないし、この氷の壁を砕く余裕はない」
「じゃあ結局ヤバイじゃん!?」
「このままならそうだな。
ところで、俺がどうやってここまで来て、さっきの一撃を打てたと思う?」
「あ、そういえば何で・・・」
オルカはヘッドギアに呼びかける。
「レオン!!そろそろいいぞ!!投げろ!!」
『了解したッ!!!!!!』
声量が大きすぎてハウリングする通信を咄嗟に切ると、織火は走行を停止。
氷壁を背にして向き直る。
〈ダイヤモンド・フューラー〉はダメージに腹を立て、今度は先程と違い、表面にいくつも鋭利なトゲの生えた塊を、首をもたげて製造し始めた。塊に向かって冷気が収束し、内向きの風が吹く。
どれほど凄惨に潰しても飽き足らぬとばかりに、その質量はどんどん巨大になる。
そして、その風から織火たちを守るように、巨大なコンテナが落ちてきた。
「ぶわぷっ!」
分かっていなかったチャナはしぶきを盛大に浴びた。
顔の水をぬぐってコンテナを見る。
凄まじいサイズだ。間違いなく単なる装備や物資ではない。
「・・・レオン、投げろ・・・まさか、『ヘラクレス』でブン投げたぁ!?」
「ご名答、せっかく付いてる腕だ、殴るだけじゃもったいないぜ」
「なんちゅー強引な・・・」
「嫌いか?」
「・・・うはは、まさか。大好物に決まってんじゃん」
「良かった。これからもっと強引なことになるからさ」
「へ?」
織火はそれ以上は言わず、コンテナの出入り口を開いた。
そのまま中に入って行けるようだ。
無言で促され、チャナはそこに踏み入る。
薄暗いコンテナの中には、何かがうずくまっていた。
入口から差し込むわずかな光が、そのシルエットをうっすらと照らす。
チャナは、それだけで全てを理解した。
タラップを上り、その位置に着く。
ハッチの鍵は、『エクルビス』と共通だ。確信して差し込み、開く。
その場所に滑り込むと、手慣れた動作で確認する。
すべて、前のやつと同じだった。
これなら慣らしは必要ないだろう。
火を入れる。
うなる駆動音。全ての部品が軋みすらなく機能しているのが分かる。
立ち上がったパネルに、ひとことだけ文章が表示された。
『命名せよ』。
コンテナの外。
〈ダイヤモンド・フューラー〉は、ようやく処刑器具の製造を終えた。
自身の体躯の半分はあろうかという巨大なスパイク・ハンマー。
織火は―――全く動かない。
ただいつでも走り出せるよう、姿勢を保つ。
迫る危機などないかのようだ。
当然、獲物の事情など〈フューラー〉にはどうでもいい。
振り下ろし、肉を砕いてエネルギーを食らう。
目的はそれだけだ。
『オルカ、後ろ行ったほうがいいよ』
「ん・・・そうか、分かった」
やりとりのあと、織火はコンテナの裏に隠れた。
———無意味なことだ。その鋼鉄のハコごと粉々にしてくれる。
〈フューラー〉は勢いよくそれを叩きつける。
空気がシェイクされて乱れ、轟音が響く。
そして質量はコンテナに叩きつけられ、それを圧し潰す―――
『———こいつは、化身・・・!!
悪魔の化身だ・・・ッ!!』
———ことが、できない。
自ら開いたコンテナの中から、何かが、氷塊を受け止めている。
それが左右から力を込めるごとに、氷塊はヒビ割れていく。
持ち上げられた氷の下、影から覗くふたつの目。流線形の鋼鉄のボディ。
『名付けてッ!!!』
そして・・・ふたつの、ハサミだ。
ついに氷塊は圧砕され、その全容が明らかになる。
鋼の
『〈リヴァイバル・デビルキャンサー〉ッ!!!!
こいつでブッ飛ばすッ!!
ウチに付いてこい、オルカ―――――――ッ!!!!』
「了解だ・・・チャナ隊長!!」
ハサミをガチンと打ち鳴らし、チャナが吠える。
織火も走り、躍り出る。
いよいよ、決戦。
≪続≫
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます