第4章 -10『ホライゾン・ピーク』


 マウナ・ケア浮遊島群は、その過酷かつ特殊な成り立ちにも関わらず、地域としての立ち直りが早かったことで知られる。

 もともと水没前の旧ハワイ州は世界有数の観光地であり、人を呼び込む手練手管が存在していたことに加え、水質関係の研究者が多く訪れたことで、いち早く水上生活のノウハウが確立したこともその一助となった。

 

 しかし、最大の理由はやはり、『地面の存在』だろう。


 マウナ・ケア火山のマグマがハイドロエレメントの上昇水流によって浮遊する島を形成したが、それのみならず、もごく一部、水流によって空中に持ち上げられた。

 ここには動植物がそのままの姿で残っていた。そのため、後に世界標準となる改良品種ではない、天然由来の野菜、果実、あるいは動物がマウナ・ケアには数多い。


 こうした歴史背景と特色を、当時の生き残りはしたたかにアピールした。

 物品に乏しい水没世紀初期において、観光は大きな娯楽だったといえる。そうした需要にマウナ・ケアは旧ハワイと変わることなく応え続けている。




「―――そうして!

 今日ではこうして一面の水平線と空を眺めながら!

 おいしいココナッツジュースを楽しむことができるのです!」

「おー・・・なるほどなぁ」


 織火は伊達メガネで鼻を鳴らすリネットにぱちぱちと軽い拍手を返す。

 もちろん、織火は歴史に興味がない。

 それでも多少の声が上がっているのは、事実、ジュースが美味しいからだ。


「しかしまぁ、面白い光景だな」


 織火は身体を預けていたハンモックから立ち上がり、数歩移動する。

 そして後ろを振り向けば、そのハンモックが結ばれているのは、ヤシの木だと分かる。

 

 木の生えている地面が、天地上下、逆を向いている。

 地面というよりは、10メートルほどの土のかたまりと表現したほうが正しいかもしれない。

 枝が突き刺さるように、そのかたまりは水のチューブに貫かれ、支えられている。


 マグマによってできた島は、枝状の水の上に乗ったような形をしている。

 だが、海ではなく地下水によって持ち上げられたハワイ本来の大地は、こうして水に貫かれる形をしている。

 そしてそこに存在する植物は、本来重力に従って成長するはずが、こうして大地の向きに従ってあらゆる向きに成長する。

 原因は不明。カイマナいわく、


『どう生えたってココナッツはうまい!』


 とのことで、現地の人間は解明の必要も感じていないらしい。


「ねー!オルカー!

 オルカもこっち来て海であそぼー!」

「美しいなぁ!!!

 この浜に入らないなんて大損だぞぉ!!!」

「今行くよ。

 あと声でかいぞレオン、観光地で騒ぐな」


 離れたところから、フィンとレオンの呼ぶ声がする。

 リネットは、もうしばらくジュースを楽しむようだ。ビーチチェアから起き上がる様子はなく、ひらひらと手を振る。

 その顔がどこか一瞬思い詰めたようにも見えたのは、気のせいだろうか?


 紺色のアロハ(結局、色だけフィンとそろえた)を脱いでハンモックにかけると、織火はふたりへ目を向ける。


 


 そこにあるのは―――純白の浜。

 今やこのマウナ・ケアでしか見ることができない、本物の『砂浜』だ。




 海の氾濫がこの世で最も多く奪ったもののひとつが、海水浴場だと言える。

 特にも砂浜は、当然ながら真っ先に被害を受け、もはや世界から姿を消してしまったと思われていた。


 織火たちが今いる場所は、『ホライゾン・ピーク』と呼ばれている。

 奇跡的に砂浜がそのままの姿を残している、一大観光スポットだ。

 カイマナはどうやらそれなりに顔の効く人物らしく、今日だけ、この場所を織火ら4人に貸し切る手配をしてくれたらしい。


 砂浜を歩いて抜ければ、そこにはちゃんと海がある。

 織火はビーチサンダルを脱ぎ、水に爪先を刺す。

 水温はかなり冷たいはずだが、ぐっと近づいた太陽がそれを適温にしてくれる。


 海は徐々に深くなる。膝を濡らし、腰を浸していく。

 水をかき分けて歩いていると、次第に体が浮力を要求する。


 ふと下を見ると、フィンが水中から手を振り、を指さしている。

 織火は息を吸い込んで水にもぐり、足を打って泳ぐ。

 尾ヒレを出してすいすいと泳いでいくフィンに、陸上生物としての嫉妬を少しだけ覚えながら泳ぎ進むと・・・そこに、人工の壁が出現する。


 壁に手をつき、ゆらゆらと光る太陽をめがけて上昇する。


 正常な世界、酸素のたもとへ織火は帰還した。

 だが―――大きく息を吸い込んだ織火の目に映っていたのは、そんな当然の世界の光景などではない。






 海を抜けると、そこには、空があった。

 どこまでも広がる水平線。どこまでも広がる青空。

 その間にも、その中にも、何も存在しない。

 余分なき青い世界。


 


 水平線の頂ホライゾン・ピーク

 樹状に広がるマウナ・ケアの最も外側に位置するこの砂浜からは、世界でいちばん高い水平線が見える。

 





 ただ美しさに言葉を失う。

 織火も、フィンも、レオンも・・・まるで瞳そのものが青くなったかのように、その光景を見つめ続けている。


 ぽつりと、レオンが呟く。


「この光景のどこかにも・・・人類の脅威は潜んでいるんだな」


 数時間前に倒した〈ミリオナ・カウア〉を思い出す。

 巨魚ヒュージフィッシュの狂暴性。

 危機に瀕する、どこかの誰か。その生命。


「俺たち、必ず強くなろう。

 そのためにグランフリートに来て、今、ここにいるんだ」

「そうだね・・・」


 フィンも、ぐっと拳に力を込める。

 決意に満ちた数秒の沈黙。

 それを破ったのは、織火に浴びせかけられた水だった。


「どわぷっ!」

「とはいえ休息だ!!!

 あとで戦うにせよ、今は遊ぶぞ!!!」

「・・・テメェそういう役割は普通フィンだろうがこのっ!」

「んのぼっ!?・・・はっはっは。

 そういう感覚は古いんじゃない、かっ!!」

「ぱぼっ!?」


 世界一くだらない反撃の応酬。

 

「じゃあお言葉に甘えておりゃーっ!!」


 フィンは背びれを使って波を起こす。織火とレオンに同時攻撃。


「うわばーっ!!」

「ごぼーっぷ!?」

「悔しかったらつかまえてごらんなさーい!

 わー!いっかい言ってみたかったこれー!」

「そ、それは卑怯だぞフィン!

 オルカ、挟み撃ちだ!水中のスピードでは勝てん!」

「俺らの連携見せるぞレオン!練習してないけどな!」

「言わない約束だぞ!」


 束の間の休息は続く。

 老いた太古の砂浜で、若い決意が水をかけあい笑っていた。










「―――――――――人類の、脅威」


 ・・・光届かぬ影の中。

 逆さに吊られた岩の背後で、リネットはひとりごちた。




「あなたも・・・そういう存在なんですか?

 この水平線のどこかにいるんですか?

 ―――アイズ先生」




 自分を抱きしめるように、胸に両手を重ねる。

 その中で、が輝く。


 時刻にそぐわぬ、夕日に似ていた。


                       ≪続≫

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