第7章 -16『狂ったマクスウェルの脚本』


 ぽつり。ぽつり。

 ベネツィアの海に雨が降る。


 水面に落ちて波紋を作る、無数の水滴。

 神が定めたもうた自然の摂理。整えられた法則、現象、効果。


 ———しかし。

 ここには今、受け入れられない現実がある。


 その存在は、雨を阻む。

 漏れ出る光は、一瞬あとの未来に出会うはずだった海と雨を引き裂いた。

 雨は空中に浮かび、それがいる場所を切り取って漂う。

 まるで、そこだけが、異なる世界であるかのように。


 




 表皮は黒い鋼の色。

 流動する、それでいて炸裂する、青い光を、相貌から迸らせて。

 そのシャチは天に・・・そこにいる標的に吠えていた。


 




「そん、な、」

「うそ・・・ッス、よ、ね・・・?」


 

 ほんの十数分前まで語らい、触れあい、そこにいた少年が。

 一匹のシャチとなって、仇敵に咆哮している。


 そんな現実を受け入れられる者など、健常な世界にはいない。

 誰もが言葉を失い、ただ困惑していた。

 



 ―——あるいは、それは。

 困惑に留まることで、脳裏をよぎる絶望を、必死に遠ざけているようにも―――。




〔ゴオオオオオオオオオオオオオ――――――――!!!!!!!〕


 〈オルカ〉が吠える。

 周囲の景色を失わせるほどの閃光。パルス放出。

 次の瞬間には、その身はマクスウェルの眼前にあった。

 それほどの速度で、自らを射出した―――が、触れられない。

 銀色の壁が〈オルカ〉を阻む。


「———素晴らしい。

 間違いなく傑作と言える仕上がりだよ、御神織火」


 憎悪と狂気に焼かれた〈オルカ〉の双眸を間近で覗き見ながら、マクスウェルは、これまでになく静かな・・・それでいて恍惚とした声で語りかける。

 指を打ち鳴らすと、バリアが弾けて〈オルカ〉を吹き飛ばした。


〔ギゴオオオッ!!!!〕


 海面に叩きつけられ、波を上げて滑りながら態勢を整え、再び突撃。

 今度も触れられない。


「君は素敵な少年さ、御神織火。

 優しく、他者を思いやり、激しくも繊細で、正義感が強く、諦めない。

 全てが使いやすかったよ。君を超えるはもう生まれないだろう」


 指を鳴らす。〈オルカ〉は飛ばされ、そして戻ってくる。


「だけどごめんね、主人公・御神織火の役割はもう終わりなんだ。

 今はこうしていられるけど、きみも巨魚になってしまったからね。

 いずれは、ぼくの命令権限が作用するようになる。

 そうしたら―――ラスボス・御神織火の誕生だぁ」


 自分の張ったバリアを、自分の手で押し広げて、息のかかる距離に顔を乗り出す。

 



「げっ、げっ、ひゃ、はっ、げっ、ひっ、げっ、げっ、げっ、ひっ、げっ、げっ、」




 ———その笑顔は、人間の笑顔であるとは認められず。

 ———その笑い声は、生物の発する音とは信じがたい。


 変形した爬虫類。裂け目の集合体。何とでも呼べるし、どれも正鵠を射ない。

 あってはならない感情が、ヒトの機能によっては出力できないかのよう。

 

 歪んでいて、欠けていて、終わっている。


「———オぉぉぉぉぉぉぉディエンスのモブたち。

 見ているかい?凍ってるかい?ぐちゃぐちゃにされちゃってるかい?」


 姿勢を保ったまま、3Dモデルをいじるように、グルグルと回る。

 そして逆さの姿勢でテンペスタースとアルゼンタムの方へ向き直った。


「気分がいいから、答え合わせをしてあげよう。話して困ることでもないし」


 クラッカーを取り出し、紐を引く。

 そこから水がざばざばと、絶え間なく溢れ出てくる。実体なき虚像の水。











「きみたちがさんざん殺してきた巨魚。そこらの海に、たくさんいるだろ?

 あれはねぇ、ぜ~~~~~~~~~んぶ、

 ―――『大水没』で沈んだ人間が、同じように変化したものなんだよ♪」











 ———返事など、反応など。

 できはしない。

 心身の拒絶反応に耐え、自然と震える体を抑えつけるのが、限界だ。


「人間の肉体に、あまりに大量のパルスが放出されずに留まるとさ。

 によって、巨魚に変身しちゃうんだよね。

 先天的なパルス使いはこれに陥りやすくて、体が勝手に放出することがある。

 これが暴走ってものの正体なワケだけど―――」


 語るマクスウェルの横から〈オルカ〉が突っ込んでくる。

 一瞥すらせず防御し・・・今度は、無造作にその鼻先を掴む。

 銀のパルスを体に流し込む。〈オルカ〉はのたうった。


「素養のない一般人は簡単だったよ。

 パルスまみれの海で溺れたら勝手にどんどん巨魚になってったから。

 けど、本当に強靭な個体にはならなかった。困ったもんさ。

 だけど―――そこで、頭のいいぼくは考えたんだ」


 身をよじる〈オルカ〉を離し、デコピン一発で水面に吹き飛ばす。

 今度はダメージが多きく、すぐには動きを再開できない。


「『暴走するほどの素養の持ち主に、暴走を抑えつける意思力があれば?』

 ———結果はこの通り、完璧な仕上がりだ。

 いやぁ長かったよ。先天的な素質の人間を見つけちゃ24時間観察日記。

 暴走の場にいつでもなだれ込めるように身近にスタッフを常時配備してさ。

 そこまでして、どいつもこいつも期待外れ。

 すぐに死んだり、戦い自体を諦めたり、お話になんない!

 ・・・・・・・・・そこで次は、」


 


「———ん、ぅ・・・」

「!!・・・フィン!!フィン、大丈夫ですか!?」


 甲板で意識を失っていたフィンが、わずかに声を上げる。

 リネットが応急処置を行おうとしたときには、何故かもう傷は塞がっていた。

 その理由を考える余裕もないリネットは、ずっとフィンに声をかけていた。




「『を与えたらどうだろう?』・・・と、考えた。

 ん?・・・あぁ、ちょうど起きたか。

 そうそう、その哀れで愛らしい、健気なフィンちゃんさ。

 復讐だけで足りないなら、理由の補強が必要なんじゃないかと思ってさ。

 これが結構いい感じだったんだけど、また惜しいとこでさ。

 歯牙の王トゥースで大半全滅だよ」




 フィンは、ゆっくりと身を起こす。


「・・・ここは?」

「テンペスタースの甲板です・・・!

 突然刺されて、意識を失って・・・どうしてか傷は塞がりましたが・・・」

「・・・・・・・・・そうか・・・セーフティが、働いたのか」

「・・・フィン?」


 フィンは―――明らかに、様子がおかしい。

 普段の柔らかな視線ではない。見透かすような、それでいて疑うような。

 不思議な瞳の色だった。




「だけど御神織火は最高だった!

 強烈な夢と、強烈な自我!本当に逸材・・・いやさ、だった!

 やはり先鋭化された感情こそがキーだったんだな・・・!

 まぁ、これからはその感情だけで生きていくんだけどな!

 ぼくに使役されることで、きみはさらに強くぼくを憎み!

 憎むことが、さらにきみを巨魚にしていく!

 巨魚になればなるほど、ぼくはきみを使いやすくなっていくんだ!

 メリー・ゴー・ラウンド!完璧なサイクルだ!決して崩れない!」




「・・・今は、いつだ」

「え・・・い、今は、15時40分です」

「そうじゃない。年号を」

「年号?」

「いや、いい。分かった。

 100年前後・・・130年は経っていない、というところか」

「———あなた・・・・・・・・・」


 リネットは確信した。

 ―——フィンではない。フィンの肉体で、何か、別の誰かが話している。


「誰、ですか?」

「セーフティとして起動したのだから、非常時なのだろう。

 やつがいて、そうでないことなどあり得ない。

 簡潔な説明になるが、先に・・・」


「さぁ、御神織火、いや、ヒュージフィッシュ〈オルカ〉!!

 その力で『原種アーキタイプ』へのゲートを・・・・・・・・・」


 マクスウェルは、視線に気付いた。

 フィンの身体を借りた何者かは、マクスウェルを見つめる。

 そして、自らのこめかみを、人差し指で軽くさする。


「・・・・・・・・・——————————————————な、」


 その表情が明確に変化した。

 マクスウェルが初めて見せた、人間らしい、生の感情。


 ―——驚愕。








「ミナト・・・?」

「懐かしいな、メイナード・マクスウェル。

 お前が殺した黒須港だ」





                            


                            ≪続≫

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