第5章 -12『夜に話を③』
「―――・・・んんん・・・ッ・・・ったしの、勝ちぃーーーっ!!!」
「ぐ、あああーーーっ!!!」
湾岸エリアの水辺。
織火とフィンは、ソーラー跡地で行って以来定例になった『競争』をしていた。
実のところ、織火はフィンに単純速度で勝てたことがない。
さすがは魚の遊泳速度というべきなのか、ただ泳ぐことだけに集中したフィンは、最大速度でオルカをわずかに、しかし確実に上回っている。
織火にとって最も身近な、自分の畑のライバルはフィンだった。
「いえーい、依然連勝途絶えず!フィンちゃん快勝です!」
「ぐぅぅぅ、悔しい・・・マジで悔しい・・・!!」
一方は笑いながら、一方はうめきながら、桟橋に上がって腰かける。
フィンが前線に加わったことは聞いていた。
だが織火は、周囲が思ったよりも、それを深刻に受け止めていない。
そもそも織火自身、全くの素人から勢いだけで入った人間だ。
生物として水に適応しているフィンが、急ごしらえで不器用な戦い方の自分よりも弱いはずがない―――それが織火の考え方だった。
そして・・・それだけに、現状の悔しさは増していく。
「―――うまくいかないな」
魚であるフィンに泳ぎで負けるのは、当然のこと。
世界の舞台で戦う志乃アラタに身のこなしで負けるのも、当然のこと。
そこには歴然として差があり、易々と埋まるものではない。
だが―――負けるということ自体は、当然であっていいはずがない。
いかなる格上の相手にも、確実に一勝をもぎ取る。
それが『もうワンチャンス』のない、命がけの戦いの条件だ。
今の織火は、それができない。
行っているテスト自体に、命の危険などないとしても・・・今の自分は間違いなく、絶体絶命のピンチの中にいる。
その認識がどうしても織火を焦らせ、心を暗くする。
「テストの話、私も聞いたよ。うまくいってないの?」
「ん・・・あぁ、どうにもな・・・。
俺じゃ無理だとは思いたくないけど、今のままじゃ、どうしても・・・」
このままずっとあのボールを奪えなかったら?
本当に失格を言い渡されて、誰を守って戦う資格もなくなったら?
押し寄せる不安を押さえつけようとする織火に、フィンは、
「やめちゃえば?そんなテスト」
あまりにもあっけらかんと、そう言い放った。
「は―――い、いやいや。
そういうわけにいかないだろ」
「どうして?」
「どうしてって・・・」
「織火より強いひとなんてたくさんいるでしょ?
実際、今オルカは私より弱いもん」
「ぐ」
凄まじくグサリと刺す一言に、二の句が次げない織火。
唖然とした顔を覗き込み、フィンは不意に、頬を優しく撫でる。
「最後まで戦わなくってもいいんだよ。
足が速いなら、ぴゅーんと逃げちゃえばいいよ。
それで、バトンをパスするの」
「バトン・・・?」
「そう。レースって、リレーもあるんでしょ?
ひとりで全部、何周も何周もするなんて大変だよ。
次にバトンを渡して・・・また、走れそうなコースでスタート。
それでいいんじゃない?」
柔らかな―――真摯な笑顔。
頬に触れた指先の感覚がこそばゆくて、胸のどこかが温かくなる。
「私は、走り出すオルカにバトンを渡せるようになりたかった。
逃げないオルカから、バトンをもらえるようになりたかった。
だから戦うことにしたの。
しなきゃいけないレースを、ひとつにしないために」
―――美しい、強い笑顔だった。
やっぱりフィンは本当に強いんだと、織火は確信した。
言葉を噛み締めるように沈黙していると、フィンが不意に立ち上がった。
空を見上げて、指を差す。目が何かを探していた。
「どうした?」
「星座を探してるの」
「星座?」
「うん、カシオペヤ座。夏だから、ここから見えるはず・・・」
フィンは手元に端末を取り出し、星図を表示する。
見比べながら指をなぞり―――そしてある場所で止まり、一定間隔で上下した。
「あった・・・あれだ」
何度もなぞっては、感嘆の声を漏らす。
星は輝く瞳を釘づけている。
「すごいね、人間の想像力って。
私、星なんか全部同じだと思ってた。
イメージひとつ、発想ひとつで星を繋いで、どんな形でも描ける」
ならって織火も星図を表示し、カシオペヤを探す。
フィンの目線も頼りに、それはすぐに見つかった。
「星を・・・」
大きなWを描くような、カシオペヤ座のシルエット。
それを織火も指でなぞり―――
「繋いで・・・」
『―――次にバトンを渡して・・・また、走れそうなコースで―――』
「―――これだ」
星の光が、広がっていく。
暗く狭まっていた視界がクリアになる。
夜空に・・・延々探し続けてきたものが、見えた。
「フィン!!それだ!!」
「わっ、びっくりした!なに?」
「分かったんだ、どう走ればいいのか!!
お前のおかげだ!!」
織火はそう言ってフィンの両手を強く握る。
それを握り返しながら、フィンは気付いていた。
目線が若干、海の方を向いていることに。
「―――試したいんだ」
「えっ?」
「ふーん、かわいい彼女を新技の実験台にするんだー」
「えっ?あ、えっいや・・・えーと!」
「ムードもなにもあったもんじゃなーい。
もっとロマンチックにしてほしいー」
「あーっと、いや、これはさ!あのな!」
「ぷっ、あはははは!」
耐えきれずに吹き出しながら、フィンは海に飛び込もうとする。
織火は引き留めて何か弁明しようとフィンに手を伸ばす。
フィンは、その手を腕ごと引く。
海へと落ちながら、フィンは織火を抱きしめてキスをした。
ざばん、と水柱が立つ。
抱き合ったまま海に落ちたふたり。
フィンは肩に手を置いて腕を伸ばし、お互いの顔が見える距離を取った。
「ロマンチックな気分になった?」
「・・・・・・・・・次は俺から努力する」
「うんっ、楽しみにしてる。
じゃ、練習しよっか!」
「・・・うっし、よろしく!」
すぐにふたりは競技者の顔に戻る。
金と青とが水面を照らし、波に揺られて重なり合った。
≪続≫
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