第6章 -13『あくま』
















 ———俺の記憶は・・・取るに足らない退屈から始まる。 
















「ひぃ!お、オリヴァー・グラッツェル!

 ゆ、許して!お願いします、殺さないで!殺さないでぇっ!!」

「別に怒っても恨んでもいねぇよ。頼まれたんだ」

「嫌だあーっ!!」


 ごすん。


 そう言って、俺は鈍器を他人の脳天に振り落としたものだった。

 鈍器という表現を使っているのは、別に何でもよかったからだ。

 刃物を使うほど器用じゃなかった。それだけ。


「腹が減ったな」


 形の崩れた人間を見ても、抱くのはそういう、乾いた感想だった。




 酒に酔って暴力を振るう父親を殺したのは、12歳のときだ。

 

 同じ暴力を振るわれていたはずの母親は、亭主を殺した俺の首を絞めた。

 優しい母親だと思っていたんだが・・・所詮は、あの暴漢の女だったのか。

 身を守るために母親を殺したところで、俺は分からなくなる。


 ―——殺しが、人生で初めて達成した物事で。

 それ以外のことなど、誰一人にも教わってはいない。


 だけど、居場所のようなものは欲しかった。


 


 やがて俺がようになるのは、当たり前のことだった。


「では頼んだぞ、オリヴァー」

「あァ。契約成立だ」

 

 暴力を必要としている人間か、組織か、そのあたりに自分を売り込む。

 暴力を通貨に、報酬と生きる場所を買うのが、俺の生きてきた社会だ。

 

 ・・・こう言っちゃあなんだが、俺はうまくやった。

 

 最初は単発のシゴトを細々こなすだけだったが、個人の便利屋など、遅かれ早かれ騙されて、買い叩かれるものだ。

 だが俺は、少しでも騙してくるやつのことも殺した。そうするうち、は俺を恐れて近寄らなくなったが、組織的な連中が来るようになった。

 組織のシゴトは、ひとつ受けると次に繋がった。だんだん名前にハクが付くようになって、短期間に人を殺す数も増える。奪った人命の数は、俺が延命する日数だ。


 しかし、やりすぎれば何にでも因果は巡ってくる。

 

 組織は優秀な殺し屋を手放さない。俺もそれを拒まない。

 俺を使って殺せば殺すほど大きくなり・・・・・・・・・半端に大きくなったせいで、より強く大きな組織に上から押し潰される。

 そして・・・俺は勝った組織に、また自分を売り込む。そこで仕事をして・・・潰れる。また俺は場所を変える―――キリなどない。


 より大きな場所へ自分を売り込むのは、当たり前だと思っていた。

 だが、潰されていく連中は決まって俺のことを『悪魔』と罵る。

 裏切り者の悪魔、人の心を持たない怪物。


 殺したのは俺だが、それを頼んだのはお前たちだというのに。

 俺が悪魔ならお前たちもだろう・・・そう言いたかったが、生き残る者はいない。

 恨み節すら、血のたまりに消えてゆく。


 俺は暴力しか知らない。だからそれをやる。

 金やら、娯楽やらは、いくらでも手に入った。

 だが、それで満ち足りることはなかったし―――たまに愛を囁く女がいても、俺を恨むやつが殺すか、俺を殺すための演技だった。




 殺す限り、殺しだけの世界になっていく。

 居場所が欲しいというささやか望みも、叶いそうもなかった。

 ・・・俺はいつしか、疲れ果てていた。




「お前が殺し屋オリヴァーだな」

「そうだが」

「僕と勝負しろ」

「・・・ハァ?」


 エッセと出会ったのは、そんなときだ。

 当時のアイツは相当に荒れていて、父親への反抗心と、ボクサーとして芽が出ない焦りとで、路地裏の武者修行なんてやばい真似に走っていた。

 名うての殺し屋として俺を狙ってきて―――人生で初めて苦戦を強いられた。

 動きこそボクシングだが、それは競技のルールなんていう健全な世界にあっていい拳じゃない。修羅場で生きる破壊の拳。その日俺は、性格ではない部分で『同類』が存在するのだということを学んだ。

 

 殴りあって仲良くなるなんてマンガみたいだが、実際そうなったんだ。

 身の上話なんて語るのも聞くのも初めてだった。

 たまに路地裏で会っては、そこらのボロっちぃ店で安酒を買って、路地裏でビンを打ち合わせたものだ。


 


 そんな日々にも終わりがくる。

 何がきっかけだったのか―――まさか、それは俺が原因だろうか?———エッセは今まで拒否し続けてきた家督相続を受けることに決めたらしい。


 しばらくは、あるいはもう二度と会うことはなくなるかもしれない。

 そう言ったエッセに、俺は質問をした。


「今からでもには、どうすりゃいい」


 エッセは―――しばらく考えたあと、こう答えた。




「———練習、だな。僕はこれからそうするところだ。

 お前も、まずもう少し多くの人に役立つところから始めてみろ」






 そうして俺は、人間になる練習を始めた。

 

 現実問題として、相変わらず俺の手元には暴力しかない。

 だから、対象を工夫することにした。

 学のない俺でもヒュージフィッシュとかいう生きる公害のことは知っている。

 こいつらなら、殺しても誰にも迷惑はかからない。


 ・・・と、思っていたが・・・そこでも俺はやりすぎた。

 ひとりでやれることには限界があるのに、俺は、組んだ相手に配慮した戦い方ってものが全くもって苦手だった。

 巨魚を一匹殺す間に、人間が何人も怪我をしたのでは、本末転倒だ。

 俺はせっかく見つけたその道でも、他人に疎まれることになった。


 ある日、白衣を着た妙な連中が声をかけてきた。

 北極で進められている、極秘の研究。その施設の警護の依頼。

 明らかに非合法だったが・・・そんなものは今更だ。

 またそっちに逆戻りかとうんざりしながらも、現実問題として暮らす糧も得なきゃならない俺は、連中の依頼を受けることにした。


「契約成立だ」








 ———そこは、俺から見ても狂った世界だった。

 







が、『雷天使計画』の実験体、その第六号・・・ナンバー6です」


 老若男女、数十人はいようかという人間が・・・たったひとりの子供を虐げている。

 誰一人それを疑問に感じない。誰一人それを正義と信じて疑わない。

 

 その子供はぜんぜん無反応じゃない。

 実験の間は、ずっとずっと泣いているし、叫んでいる。

 それを数字だけ見て、全員が歓声を上げ、手を叩いて喜ぶのだ。




 罪もないのに、罰だけ与えられているようだ。

 そう思えるくらい、その子供は何ひとつとして与えられていない。




 そいつは、兵器として作られたらしい。

 この『作られた』という表現は、なんら比喩を含まない。

 試験管から培養され、あのサイズでこの世の外気に初めて触れて、それからずっと檻の中で電気やら薬剤やらを打たれている。蛍光色の髪と黒い肌は、資料で目にした白い肌と金の髪とは別物のように変わっていた。


 少し経って、そいつの体から変な電気が出るようになった。

 これが雷天使計画の主目的だったようだ。

 そいつは部屋を与えられ、実験の日々から学習と訓練の日々に入る・・・そう言えば聞こえはいいが、はたから見れば拷問のやり方が変わっただけだ。

 何も与えず、押し付け、変えて、都合よくしか認めない。

 



 ———俺には。

 酔った父親が振るう暴力と、この実験の違いが・・・分からなかった。




 それは最初、同情とか、哀れみとか・・・そういうものだったんだと思う。

 俺はそいつを使って『練習』することにした。

 子供を喜ばせるのは・・・何か、人間らしいような気がしたから。


 ほんのわずか、優しかった母親の記憶を辿る。

 小さなおもちゃと、絵本。思い出せたのはたったそれだけだ。


 このクソ白衣どもは、秘密裏に開拓したルートで定期的に北極を出入りし、補給を行う。そこに理屈をつけて同行し、空いた時間で絵本とおもちゃを探した。しかし、運の悪いことにそこは業務用のマーケットで、娯楽の品は扱っていなかった。

 だが、帰り道で遭遇した難破船(乗員は死んだか逃げたか無人だった)を漁って、たった一冊の絵本と、古びたキーホルダーを見つけた。


 研究施設に帰ると、警備をするフリをしてこっそりあいつの部屋に近付く。

 部屋の中にはない手洗いに行くのを見計らって、帰りに声をかけた。


「おい」

「—————————だれですか?」

「あー・・・まぁ、なんだろうな。

 雇われ用心棒ってとこだ。そんなのは別にどうでもいい」

「?」


 言っている意味が分かっていないが、どうせそうだろうと思った。

 ともかく、用事を済ませなければいけない。


「これ、やるよ。ガキなんだから、ガキらしいもん持ってろ」

「え―――でも、わたし」

「いいんだよ!おら!」


 逡巡する様子を無視して、無理やり両手に押し付ける。


「いいか?マジで内緒だぞ。部屋の外に持ち歩くなよ」


 それだけ言って、きびすを返して早歩きで立ち去る。

 後ろ目にちらりと盗み見たそいつは、不思議そうにカニとにらめっこしていた。


 それから、部屋の前を通ったときは、少し立ち止まってみることにした。

 俺が何か言うより、あいつが何かするほうが大事な気がした。

 あいつはいたずらっぽくカニのキーホルダーを見せびらかすようになって、俺は、どうもそれがこそばゆくて、顔をあまり見れなかったのを覚えている・・・。

 俺が返事をしなくても、あいつは絵本の話をした。

 『あくまとにじ』。絵本になど興味はなかったが、あいつがその話ばかりするからすっかり内容を覚えてしまった。嫌いな話では、ない。


 あいつは笑うようになって。俺はくすぐったくなって。

 それは、不思議と心地が良かった。






「もう護衛は結構です」


 解雇通知は突然だった。

 ナンバー6の実戦投入が視野に入ったので、他の戦力はいらないそうだ。


 まぁ、俺も正直、一緒に戦うってことは考えにくい。

 相手はガキなんだ、間違って殺しちまったんじゃせっかくの絵本もキーホルダーも台無しになっちまう。

 殺すことしか知らない俺には、あれで限界だ。

 だけどせめてもと、ひとつだけ質問をした。


「お前らの言う通り、巨魚が全部滅んだら・・・あいつ、どうなるんだ?」

「まぁ・・・自由にしてあげますよ。

 私たちには不要ですが、処分する意味もありませんので」

「そうかよ」  


 胸が黒くなりそうになったが・・・ともかく、未来はあるらしい。




 

 

 ―——俺もどうにか、殺すことで生きてこられた。

 あいつも、サカナを殺すばかりの日々に、ほんの少し違う先があればいい。

 

 そう祈るとき・・・ほんの少しだけ、人間になれたような気がした。






 どうも連中はアフターサービスがしっかりしていたらしい。

 非合法な実験の口止めも兼ねていたんだろうが・・・『グランフリート』とかいう、それなりの戦艦に、しばらく置かせてもらえることになった。

 非常用の狭い部屋だが、少なくとも、硬いベッドはある。床よりマシだろう。


「今頃あいつはデビュー戦か」


 門外漢の俺が見ても、あいつはガキとは思えないほど優れている。

 もちろん、そう作られた部分はあるんだろうが・・・そこらのサカナじゃ、あいつに傷もつけられないはずだ。

 終わったら帰って風呂にでも入って・・・そして、絵本を読んで眠ればいい。


「俺も少し眠るか・・・」


 今日は眠って、明日からは何をしようか。

 とにかく、人間はシゴトをしなきゃいけない。働いて稼がなくては。

 どこに行こうか?アテはあるか?

 エッセのところにでも転がり込んでみようか・・・そういえば、この戦艦の名前は、エッセの国にとてもよく似ていたような気がする。


「・・・・・・・・・まぁ、明日でいいか。もう俺は、」















 オオ―――――――――・・・・・・・・・ン


 人間なのだ、と。

 そう考えることを―――どうやら、神はお許しにならなかったようだ。


 オオオオ――――――・・・・・・ンンン













 突然の振動、衝撃。軋みを上げて揺れる船。


「なんッ―――だ・・・!?」


 慌てて部屋を飛び出して・・・愕然とする。




 そこには、通路などない。

 

 数時間前まで通路だった部分は、真っ二つに裂けて、海へと沈んでいく。

 氷が生えて、それをバラバラに引き裂いていった。

 遥か遠く、あまりにも巨大なシルエット。流氷の天使、クリオネ。


 その断面を、海面を、空気を、視界を染める・・・光。光。光。

 


「—————————まさか」


 見間違えるはずがない。

 それは―――あいつが発する光の色だった。






「———アア―――ア―――!

 —————ア、アア――――ア―――!」






 風と光が生む振動に合わせて、声が聞こえてくる。


「ッ!!!」


 考えるより先に体は動く。

 真っ二つになったおかげで見通しがよくなった階下に、救命ボートが見えた。

 無理やり飛び降りて、エンジンを点火。

 速度全開で走らせる。


「くそ―――くそ、クソ!!」


 どうしてだ?

 何があったってんだ?

 どうしてまた―――


 あいつの声。ずっとずっと泣き叫んでいた、あの声。

 まだ、人間じゃなかったときの・・・何も知らない叫び声。


 それは終わっただろう!

 もう、それ以外を知ったはずだ!俺にも教えてくれたはずだ!

 なのにどうして・・・また、そんな声で泣いてやがるんだ!!


 


 オオオ―――・・・・・・ン




 クリオネが歌う。

 合わせて、空気に光る粒が舞う。

 それは集まり、またあるいは拡大し、無数のつららやつぶてになる。

 一斉にそれが降り注いで、ボートと体を打ち、貫く。


「がッ・・・ぐぅおお・・・おおおあああッ!!!

 クソ、がァァァ―――ッ!!!」


 ・・・肩とふとももに穴が開いたが、気になどしない。

 その穴が光っているような気もするが、知ったことじゃない。

 声が気になって痛みどころじゃないんだ、こっちは。

 速度を上げる。上げる。上げる。

 そこを目指す。




 


 ボートのボディが速度に負けて自然にバラバラになったとき、ようやく、俺はその地点に辿り着いた。

 水を固めて作られた足場の中心で、あいつは頭を抱えて泣いていた。


「ちが、う―――ちが―――」

「おい・・・!」


 手を伸ばそうとすると、光が帯びる圧力で弾かれる。

 じりじりと前へ。傷口から血が噴き出しても、気にしてなどいられない。


「わたし―――にじ、が―――それだけ、それ、だけ―――あぁ」

 

 光は、とめどなく溢れてくる。

 もう、全身血まみれだ。ひどくおぞましい姿だろう。

 それでも前へ。手を伸ばす。もう少し。


「——————あ―――」


 ようやく俺に気付いた。

 手は、あとほんのすこし、もうすぐ指先が触れて、








「———あく、ま」








 ―——あたまが、しろくなる。


 慣れていたはずの、その呼び名が・・・引き裂かれそうなほど、いたい。

 人間になりたかったんだ。そのために、不器用でも優しくしたはずなのに。

 その存在に―――悪魔と、断ぜられた。


 ・・・その通りだ。俺は逃げたんだ。

 

 傷付けるのが怖かった。壊れてしまうのが怖かった。 

 あとは大丈夫だろうと、根拠もなく期待だけをして。

 ちゃちな喜びだけ教えて・・・それ以上を踏み出すことを恐れた。

 

 本当ならば、奴らを皆殺しにしてでも、連れ出してやるべきだったんだ。

 だけど、そうしなかった。これ以上、血を浴びたくはなかったんだ。

 なら今の姿はどうだ?どこに血に濡れていない部分がある?


 


 ———ああ。そうか。

 こいつは、罪もないのに、罰を受けていたんじゃない。

 

 中途半端に全てを投げた、俺への罰だ。




 全てがどうでもよくなった。

 きっとこうして、ここで俺は死ぬのだろう。


 俺は結局、人間になどなれなかったけれど。

 こいつはどうなるんだろう?

 せめて、生きていければ―――せめて―――






























「———たすけて、ください―――あくまさん。

 にんげん、は、わたしを―――たすけて、くれません」































 ―——絵本の、フレーズ。

 

 『ゆうしゃ』に閉じ込められ、誰にも助けてもらえなかった姫。

 姫のところに訪れた、おそろしい『あくま』。


 


 







 目の前の、小さな女の子は。

 人間ではなく。

 『あくま』の助けを。


 悪魔のままの・・・この、俺を、欲していた。











「———『わっはっは、なんとかわいそうなおひめさまだ』」

「——————・・・・・・・・・」


 おびえるおひめさまを、あくまはわらいました。そして、こういいました。


「『どれ、このおれが、そこからだしてやろうか?

 ただし、そのときは、おまえもあくまにしてやるぞ』・・・!」


 おひめさまは、おそろしいのも、かなしいのもわすれて、めをまあるくしました。


「——————・・・!!・・・・・・・・・うん・・・!」

 

 そして、おそるおそる、あくまのてをとったのでした。


「お願いします・・・・連れて、行って・・・!わたしを・・・!

 『にじ』を見に・・・連れて行って下さい・・・!」

「あァ・・・大丈夫。これで契約成立だ。

 悪魔が、必ずお前を護ってやる」






 あくまとおひめさまの、ぼうけんがはじまりました。



                             



                              ≪続≫

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