第7章 -8『魚が混乱を呼ぶ』
———織火が目を覚ますと、既に周囲は薄暗かった。
(・・・・・・・・・2時間くらい、眠ったのか)
手元の端末で時間を確認すると、上半身を起こして窓の外に目をやる。
重い雲に隠れて、夕日の色はあまりよく見えない。
『———到着までにはかなりあるからさ。
少し休んできなよ、オルカ。これ隊長命令だかんね』
あのブリーフィングのあと、チャナは織火にそう言った。
『命令』という形にしているのは、チャナなりの配慮だろう。
その方が気兼ねがないからだ。
新国連からの救援要請のことは、織火も聞かされた。
それはエセルバートの耳にも入り、グランフリートはすぐさまベネツィアに向けて航行を開始。
デア・ヴェントゥスで一足飛びに行ける距離ではないため、近海に到着するまでは各自待機状態ということになっている。
軽く空腹を覚えたが、食堂が開くまでには少し時間がある。
織火は、一度起こした体を再びベッドに横たえた。
目線は天井から、次第に横へ。デスクに飾ってある寄せ書きが視界に入った。
(・・・思えば・・・あのときも、同じだったのか)
織火は、課外授業で観光バスが襲撃されたことを思い出す。
密かな違和感はあった。
あのとき、リネットはこう言っていた。
『あのあと群れをもうひとつ発見しました。
そちらを単身叩くために、隊長は来られません』
もし、群れを指揮していた者の目的が、御神織火を殺すことなら。
もうひとつの群れは、織火の方に出現しなければおかしいのだ。
いくらオリヴァーが、特筆すべき強力な人物であるとはいえ、オリヴァーひとりを釘付けにしたところで確実な作戦とは言えない。
実際、リネットに対しては、織火のもとに駆け付ける隙を与えている。リネットにアプローチする巨魚くらい、いくらでもいるはずだ。
「どうなってんだよ」
ドバイの襲撃。旧東京の襲撃。
そのどちらも、織火は幸運にも生き延びたと言える。
まるで―――誰かが、そう調整しているかのように。
(一体、何だって言うんだ。
何の目的があって、俺なんかを生き残らせる。
俺をこの世に残すために、みんな傷ついたり、死んじまったってのか)
眼球の裏側のあたりが熱を帯びて、震える右手が、自然と拳を作る。
金属と人口繊維の噛み合わせが、ギシギシと苛立たしく歯ぎしりをした。
その拳を、持ち上げて視界に入れる。
一度開いたあと、いっそう強く握り締める。
「———許さない」
拳の内に広がる、深い深い闇。
その中から、青い電流が一筋、千切れるように閃いた。
「・・・ん?」
午後6時30分。織火は、食堂前に人だかりを見つけた。
食堂が開くのが午後6時なので、もう注文の順番待ちは落ち着いているはずだし、中で食事を取っているスタッフも多いはずの時間だ。
織火は、人だかりの中に明らかに頭ひとつ以上大きい人物・・・ノエミを見つけて、声をかけた。
「何かあったの?」
「あっ、オルカくん!大丈夫なんスか!?」
「とりあえず腹が減って起きてくる程度には落ち着いたよ」
「よかったよかったッス!
けどじゃあ残念だったッスねぇ、機材の故障ですって」
「故障?」
「そう、しかもヒーター回り。火が使えないとさすがにねぇ」
「ガスはないのか?」
「ガスはいろいろ緊急用ッスから・・・」
「そっか」
この世界において可燃ガスは高級品だ。
大水没の影響で原油が眠っている地面との距離が大幅に遠のいたうえ、旧時代から存在した海上の石油プラットフォームは、その大部分が崩壊しているためだ。
多くの国はいわゆるIHクッキング・ヒーターを常用している。そのせいで、電気系統に故障が起きると調理のための火に困ることになる。
国によっては、一周回って薪木の文化が復活、状況を選ばないことからそこそこの定着率を誇るらしい。
「俺ぜんぜん自炊とかしないんだけど」
「私もよ、普段ここ頼りだから食べ物買ってないし」
「どっか食いに行くしかねぇかなぁ」
スタッフがやれやれと言った感じで会話をしている。
それを聞いて、織火も自分の冷蔵庫の空洞を思い出した。
買い出しに行くことができれば自炊は不可能ではない・・・が。
「んん、困ったな・・・俺ら、待機状態なんだよな」
「そこなんスよねぇ~~~!アタシら動けないンスよぉ!」
『待機状態』とは、基地から出ない範囲での自由時間である。
スクランブルの優先対象ではない研究員系のスタッフなどはこの限りではないが、整備員や一部警備スタッフもこの対象であり、敷地を出ることができないのだ。
そして基地内に大規模なスーパーマーケットなどあるはずがない。売店はあるが、売っているのはせいぜい消耗品や生活必需品。食べ物があっても、ブロックメイトやジェルチャージなどのバランス栄養食、レッドボアなどのエナジードリンクだけ。
つまり、織火たちには今、まともに食べるものがない。
「修理はどのくらいかかるんだ?」
「遅くとも明日の朝食には間に合わせるって言ってたッスけど」
「まぁ、じゃあ、抜くとしても一食か・・・」
一食分とはいえ、今この船は戦うために航行している。
差し迫ってこそいないが、空腹というのは地味に由々しき事態だった。
「とりあえずさっき出前で何とかならないかって言ってたんスよ、アタシら。
そしたら隊長が『エッセに予算関係の相談する』ってどっか行ったッス」
「お、そうなのか。
じゃあ、まぁそのうち何とか―――・・・・・・?」
言いかけて、織火は遠くの廊下、曲がり角の向こう側から、何か音が近付いてくることに気が付いた。
ごろごろという、何かを転がす音。
大きなひとつではなく、小さなものが複数個、規則正しく転がる音だ。
台車を押す音だと理解した瞬間。
それは、織火の、ノエミの、その場の全員の視界に出現した。
———その生物は、一切の異常な性質を持たない。
ほんとうにものすごくでっかいことを除けば、全くもってカジキマグロだった。
「うむ、みな揃っているな」
———その人物は、一切の異常な性質を持たない。
頭に巻いたねじりタオルを除けば、全くもってエセルバート・マクミランだった。
「どうなってんだよ!!!!!!!!!!!」
織火のキャパシティは
もはや率直な感想を叫ぶことしか許されなかった。
「いやなに、火が使えないならば生鮮食品しかないと思ってね。
趣味で所有していた漁船がここで活きるとは思わなかったよ」
「自分で釣ったんスかそれ!?」
「ふふ、さすがにズルはしたがね。
なかなか大変だったよ、横腹に拳をめりこませずに釣り上げるのは」
「うわっこのひと釣ってねぇ!!
シャケを獲るクマちゃんッスかアンタは!!」
ノエミのツッコミをバックに、チャナやレオンが追加の台車に大量の魚を乗せてやってきた。
「お、おはようちゃんだねオルカ。スッキリした?」
「見ての通り混乱してるけど!?」
「あっはっはっは、そりゃそうだ!
いやーごめんごめん、ウチの提案にすごい乗り方しちゃってさ」
「チャナさんの提案?」
「そそ。せっかくこの状況をもうちょっと楽しく解決できないかと思ってね」
チャナはそう言うと、台車のひとつから何かをすくい上げた。
それは薄く、黒く、日本の指の間でぱりっと音を立てた。
「あっ」
それを見ただけで、織火はチャナの意図を完全に理解した。
日本人だからである。
「グランフリート戦隊、スーパーウルトラ手巻き寿司パーリィ。
―——突発開催するぜぃ♪」
≪続≫
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