第4章 -17『VS〈カナロア〉①』


 ―――リネットの心臓には、眼の王アイズに与えられた、オレンジの真珠が埋まっている。

 この真珠はリネットの体組織と完全にひとつになっているため、いかなる検査でも感知されることはない。病によって限界を迎えた心肺機能の大部分を補い、さらに、常人だったリネットにパルスを扱う機能を与えた。


 

 あの日。


 隔離室から連れ出されたとき、医療スタッフと警備員は死んでいた。

 全員、綺麗に額を撃ち抜かれて即死。寸分の狂いもない。


 思い入れのある人間たちではなかったので、悲しみは生まれなかった。

 だが、身体が震えたのを覚えている。恐怖だろうと思った。


「私が殺しました。邪魔でしたので」


 幼いリネットの手を引き、悪びれる様子すらなく眼の王アイズは言う。

 もちろん、それが許されざる行いであることは理解できる。

 私欲で命を奪うことは罪悪だ。


 


 ―――だが。

 リネットは・・・止まらない震えと共に、自らの歪みを自覚した。


 涼やかな美貌に、決然とした輝きをたたえたオレンジの瞳。

 戦いに鍛えられた、しなやかな足腰。機械のように精密な指先。

 

 眼の王アイズは嘘を言わない。何者かに心を取り繕う必要がないから。

 眼の王アイズは止まらない。止めようとする者を射抜く力があるから。


 ひたすらに傲慢で、ひたすらに強く、ひたすらに―――自由。




 長い髪をなびかせる、その殺人者の横顔を。

 リネットは―――どうしても『美しい』と感じていた―――。








 〈カナロア〉が咆哮し、幾度目かの『噴石』が吹きあがった。

 硬質な岩石でありながら、同時に内部には粘性のマグマを孕む破壊の結晶。

 触腕に備えられた噴出孔から、黒い煙をあとに引いて発射される。


 下から上へと迫れば空気を揺らがせ、上へ過ぎれば今度はつぶてと下る。

 熱と質量のサンドイッチの中を、オレンジ色の鳥が縦横無尽に飛んでいた。


 無数の噴石の間を縫うように飛びながら、進路を塞ぐものと、可能であれば陸地に落ちそうなものを撃ち抜いていく。

 

 全てに対応するには手数が足りない。今のリネットには、大型のブラスター以外に武器が存在しなかった。

 だが、意識を自分に向けさせ、可能な限り接近すれば・・・攻撃を低い地点に集めることはできるはずだ。そう考えたリネットが、上層で行われている避難活動の支援を目的として選んだのが、この単独戦闘だった。


(もちろん―――それだけで済ませるつもりはありませんけどね―――!)


 好戦的に〈カナロア〉を睨む。

 今のリネットのボルテージは最高潮だった。

 何ら比喩でなく熱に浮かされているリネットは、可能であれば、単独でこの強大な標的を撃ち殺してやろうと考えている。


 いや―――それは今この場においてだけは、『そうしなければいけない』という、確信めいた感情だった。


 何度噴火を繰り返せどなかなか撃墜されないに、これまで単なる動く火山に過ぎなかった〈カナロア〉が、明確な反応を見せる。

 風船のように頭を膨らませたかと思うと、水に沈んだ口から何か黒い液体を分泌。

これまで使っていなかったパルスを周囲の水面に走らせると、水柱を生み出しそれを自分の周囲まで持ち上げる。


 もう一度パルスが走り―――黒い液体が爆ぜ、霧となって〈カナロア〉を包む。

 だ。


「く―――!」


 リネットは接近を緊急停止、一度大きく距離を取って滞空する。

 

 〈カナロア〉も上位種である以上、どこかに必ず弱点がある。

 接近してそれを探し出す予定だったが・・・この霧の中には入り込めない。

 視界のきかないところで、あの巨大な触腕に直接打たれでもすれば、粉々だ。


(どうする?リネット・ヘイデン)

 

 リネットは、安全にここから標的を狙う手段を考えている。

 



 ―――また同時に、リネットには、




「まったく。これ、実は相当めんどくさい教えですね。

 できるかどうかじゃなく、やる。

 それはつまり―――

 ・・・こういう意味なんですね、先生?」




 




 リネットは、眼の王アイズに連れ出されてからすぐ、頼み込んで戦いの訓練を付けてもらっていた。


 眼の王アイズも『リハビリの代わり』ということでそれを承諾。

 体裁きから銃撃、戦術に至るまで、現在までのリネットに繋がるあらゆる基礎は、このとき眼の王アイズに仕込まれたものだ。

 そして、も。


 それは容赦のない訓練だったが、リネットは嬉しかった。

 どんなに運動して、どんなに苦しくても、それが死に繋がらない喜び。

 リネットはスポンジのように全ての情報と技術を吸収した。




 ―――そして、ある日、突然眼の王アイズはどこかへ消えた。


 行き先も聞いていない。目的も知らない。

 リネットに分かっているのは、ただ『先生が決めたのなら戻ってはこない』という経験から来る事実だけだった。


 それからすぐ新国連軍の兵士がリネットを見つけ―――銃を向けてきた。


 考えてみれば当然のことだ。

 眼の王アイズは関連施設を襲撃し、分かっていてそれに追従した。

 立派に処刑の対象者だ。




 そしてリネットは―――それら全てを撃退し続けた。


 教わったのは、そのための力。

 我を通し、意思を貫き、生存を続けるための技術と知識。


 いかなる思惑か、サイラスが直々に手配を解除し、そしてリネットのもとに現れたのは、白いスーツの男だった。




「私たちは君の力を欲している。その出自も意味も問わない。

 グランフリートに来ないか?」







 そうして。

 リネットという行き場なき流れ弾は、巨魚ヒュージフィッシュへと向いた。


 その標的は、今も黒い霧の中にいる。

 図体がでかいくせに、羽虫を嫌ってびくびくと引きこもっているのだ。




「―――バカバカしい。

 そんなもので、




 姿勢を正す。

 真っ直ぐに、頭からつま先まで、黒い霧を向く。


 背中でパルスが燃えて広がり、翼を成す。

 羽ばたきひとつ。

 弾丸のように、その身は暗黒へと撃ち込まれる。




 霧の最中、〈カナロア〉の目が光る。

 マグマ色の瞳。

 ここは神の創り出す領域。当然、向こうはこちらが見えている。


 飛び込んでくるとは思っていなかったが、それならそれで好都合。

 巨大さを感じさせない静音性で脚を持ち上げ、先端部を突く。


 




 ―――


 




 瞳が、オレンジに燃える。

 

 今のリネットには、〈カナロア〉など見えていない。

 そのかわり、〈カナロア〉という存在の中身が見えていた。


 自分に近付いてくる青い粒子の集まり。

 それは、さかのぼっていけば、いくつかのポイントから生み出されている。

 規則的に並んだ、8つの発生源。


(―――触腕の、付け根―――!)




 片方の翼を思い切りはためかせる。

 自分の横を通り過ぎていく、巨大な粒子の塊。

 ラインを手繰るように飛び―――8つのうちひとつを、至近距離から狙う。

 

 発射、発射、発射―――立て続けに三発。

 命中。急速上昇。


 勢いよく霧から抜けると―――瞳の光が消え、景色が通常に戻る。

 一瞬の静寂に、リネットの声が通る。




「『火葬クリメイション』ッ!!」




 炸裂弾の作動と同時に、霧を自ら吹き飛ばして〈カナロア〉が暴れる。

 痛みに悶え、ぐねぐねとのたうつ8つ―――否、7つの触腕。

 一本の触腕は、内部のマグマを抱えきれずに炎上、崩壊しつつある。


「―――ハァ、ハァッ―――!

 パルスのバリアで、体内にマグマを留めてたんですね・・・!

 わざわざそんなの・・・ハァ・・・食べなきゃいいのに・・・!」


 リネットは息を切らして毒を吐く。

 目が明らかに異常な充血をしていた。




 


 眼の王アイズの因子が肉体に宿ったことで身に着けた、この世でリネットと眼の王アイズのみに許された固有能力。




 そして、リネットは、

 仕込まれたのは、そのための戦い方だった。


 世界の本質を見て、かつ、それを蹴散らす力。


「―――先生。どうせ見てるんでしょう?

 勝手にさせてもらいますからね。

 おかげさまで、今の私にはそれができますから―――!!」


 残り、7つ。

 邪魔する物体の数と形状が、ここに具体化した。


                      ≪続≫

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