第5章 -17『踊る仮面の王』
―――彼は、最初の王だった。
きっと自分たちの生命はここで終わるだろうと思っていた暗い水槽に、細く生白い腕が差し伸べられたとき。
初めにその手が届いた者、初めに名を呼ばれた者が、彼だった。
人の姿を初めに与えられたのも、彼だった。
単に、改造における施術の成功率が最も高かったからに過ぎないことは、最初から理解している。
それでも、彼にとってその順序は特別なことに思えた。
『・・・うーん、そうだな。
ヒトとサカナ、両方の長所を得るんだ。
キミには・・・どちらにもなれる名前をあげよう』
そうして、彼は王になった。
世界最初の、ヒトの肉持つ巨魚の王。
―――
王位種は、各個に特化した能力を持つ。
砕けない甲殻。
万里を見透かす眼。
斬っても滅びぬ水の歯牙。
『汎用性』という、兵器として本来優れた、そして求められるべき性能は、王となったとき呪いに姿を変えた。
当然、世のあまねく巨魚と比べれば、圧倒的な力だ。
人間を殺すことに問題などない。強大すぎるパワーを持っている。
だが
本来、
ヒトの肉体を得てからというもの、
性能や習性だけでなく、地理や風土文化、また時にはスポーツやサブカルチャーの流行に至るまで、あらゆる情報を収集した。
中でも強く目を引いたのは、歴史だ。
自分たち以外の兵器を調べる中で、
あるときは野望が、あるときは飽くなき開拓心が、はたまたあるときは個人の強い情念の結実として。人類は幾度も戦い、世界の形を変えてきた。
そして・・・時代の節目、変革の嵐の中。
そこには必ず『王』がいた。
呼び名や立ち位置がどうであれ、時代を中心から動かす存在。
善きにせよ悪しきにせよ、強烈な個性、秀逸な能力でもって、その意を示すもの。
―――では、自分はどうだ?
守っては
自らを『王たらしめるもの』を、持っていない。
壮絶なコンプレックスが、次第に
絶対性、神聖さのようなものを、順序や関係性に求める。
自分が最初であること。その特別さ。たったそれだけを支えにした。
血のつながりなどない恩人を『父』と呼び、自分を息子と定義することで、ほんの少しだけ心を補強することにした。
血のにじむような・・・などという言葉では、到底生ぬるい足掻き。
経験が必要ならば、数えきれないほどの人間を殺し、その方法を覚えた。
能力が必要ならば、数えきれないほどの巨魚を食い、血肉を力に変えた。
考え得る全てを試し、技を編み出し、時間を積んだ。
他者に苛立ちを覚えるようになった。
誰かに苛ついていなければ、自分自身への絶望を思い出して狂いそうだった。
とっくに狂っていることには気付かないフリをして、いつしか本当に忘れた。
100年。
パルスの色を変える方法。
何の役にも立たない、何にも影響しない技術。
100年で固有のものとして得たのは・・・たったそれだけだった。
その色を。
父と同じ銀のパルス。
目立ちも輝きもしない、自分の黒いパルスなんかじゃない。
これこそが繋がりの証明。
これこそが絶対なる王の証。
彼は仮面を得た。
銀に輝く、王の仮面を。
―――そうして、もう何度目かも分からず、地を転げる。
打ち付けられて、跳ねて、ぐるぐると回りながら、転がる。
だいじなものがバラバラにくだけていく。
結局ただの仮面だった。
何のちからも、ひとつの意味もありはしなかった。
王の顔をつけて、滑稽に身振り手振り。
踊ってこけるピエロのよう。
誰かの―――きっと本当は存在しない何者かの―――嘲る笑い声がする。
足りない。
足りない。
特別じゃないものが、どうやって特別なものに対抗すればいい?
・・・無理だ。そんなのはダメに決まってる。
だって、お前は今どうしてる?実際いくらやってもダメだっただろう?
結局、生物として弱いやつは、どうあがいたって弱いのさ。
―――あれ、でも―――確か。
そういうやつらと、ずっと戦ってる連中が―――どこかに。
どこかにいたような―――?
そいつらは―――どうやって戦ってたんだっけ?
なにをつかっているんだっけ?
どうしてだろうか。
人間について調べていたとき、目に付いたものを思い出した。
確か、ものすごく大昔のことが書いてあった。
人間というもののはじまりの方。
人間を人間たらしめている理由、その最大のひとつ。
床板に額をこすりつけたまま、目を見開いて、思考を動かす。
そうだ。
俺をいくら鍛えても無駄なら。
生き物としてのスペックを、やつらはそうやって埋めていた。
だったら。
甲殻の王は、追撃をやめ、静かに立ち止まる。
空気が変わったことを、鋭敏に察知した。
全身から黒い泥が流れ出す。が、今度は様子が違う。
それは暴力的に広がらず・・・
(―――確か―――そうだ、まず体には、こういう―――)
それらは次第に体のシルエットに定着し、そしてわずかな起伏を描く。
手足に抜けるライン。関節のつなぎ目。
(それから―――あぁ、そうだ―――仕組みまでは分からないが―――
脚には―――こんなふうに)
黒い泥が、足を包んで硬化する。
明確な意図を持った形状。
軟質と硬質、直線と曲線が複雑に絡み合った、設計思想のいびつな美。
「・・・その、姿は」
「―――分かったんだよ。
お前は巨魚で、俺がお前より弱いんなら。
俺より弱いやつが、どうやって俺に勝ったかって話だ」
黒いシルエットに、銀のパルスが流れ―――カラーリングが加えられる。
全身を包む白銀のスーツ。
そして、足には―――漆黒のジェットブーツ。
「あァ、そういや―――あいつら、顔にもなんか付けてたな」
ぺたぺたと顔を触り―――少し考えて、
指先が銀色に光り、目元をなぞる。
そこには、道化のような銀の仮面が出現していた。
「だったら立派に踊ってやるよ。人間どものマネゴトでな」
漆黒の圧縮空気が爆裂する。
閉じ込めた苛立ちが漏れ出すように、獰猛なエグゾーストが響いた。
≪続≫
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