第5章 -14『ジャッジ』
奪い取ったボールを、織火はじっと見る。
この一球を手にして水上に戻るのに、1週間もかかった。
(プロは、これを一瞬一瞬、何度もやってるんだな)
勝利の余韻よりも、畏敬の念が胸に広がっていく。
たったひとつのボールに命を賭けることは、特別じゃない。
その特別ではないことを、弛まず繰り返すことは、特別だと思った。
港に登ると、アラタが待っていた。
真剣な顔で織火に歩み寄り・・・右手を差し出した。
織火もそれに応じる。
スポーツは、握手で終わるべきなのだから。
がしりと握る手を確かめながら、お互いの目を見る。
これが競争。これが理解だった。
お互いの手が離れ―――スポーツの時間は終わった。
「―――きったねぇよアレ!!あんなん無理じゃん!!」
「ずるいだろ~いいだろ~!!教えてあげませ~ん!!」
スポーツの時間が終わった途端にスポーツマンシップもクソもない応酬を始める、さっきまでスポーツマンだった両名。
もちろん、賞賛の意味での『汚い』である。汚い手をいけしゃあしゃあと実行する精神は、何ら非難されるものではない。ルールの上では全てが有効、それが分かっているからこそ、大っぴらにこうした感想が出る。
「・・・んん!」
男子中学生に戻ろうとしていたふたりを、ジャッジが咳払いで止める。
小突き合いながら離れるふたり。
「ともかく、条件はクリアされた。
日本国筆頭選別官ジャッジが、正式に御神織火の活動を許可しよう」
「あぁ、ありがとう。
・・・正直、いい機会だった。足りないものが少し埋まったよ」
織火は、ジャッジにも握手を促す。
・・・が、ジャッジはこれを体を背けて拒否した。
「それは何よりだが、礼や感謝は不要だ。
俺は・・・基本的には、お前を邪魔することが目的だったんだからな」
「邪魔?試すんじゃなく?」
「そうだ。お前を肯定しないことが目的だった」
織火には、その答えが釈然としない。
ジャッジは、背を向けたまま織火に問い掛ける。
「お前の経歴を、俺は細やかに・・・いや、余さず把握しなければならない。
御神織火だけではなく、取り巻く環境、それを形成した人物。
両親は当然として、友人や教員、果ては利用する店の店員すらも・・・な」
血にまみれた記憶に触れるワードに、織火は静かに表情を曇らせる。
だが今は、苦しいが、思い出したくない記憶ではなくなった。
自分を形成した、大切なファクターのひとつ。幾多の死と喪失。
「お前は周囲に恵まれた。
先天的なパルス能力者は、気味の悪い存在として迫害されることが少なくない。
お前のいた環境は、情操教育の過程ではお前を健やかに育てたと言える」
「ああ・・・今にして思えば、感謝しかない。
誰もが俺を、不思議には思っても、認めてくれた」
「―――そうだ。
誰もがお前を認めた。お前も、それを受け入れた。
だから、」
ジャッジがゆらりと振り向く。
途切れた雲の隙間から、太陽の逆光。
もともと表情のない仮面は、黒い能面のように、一切を写さない。
「だから、大丈夫だと勘違いした。
お前を受け入れ、認めてしかいなかった環境が。
―――結果的に、全てを壊す原因になったんじゃないのか?」
―――普段の織火なら、どうしただろう。
殴ったか、掴み掛かるだろうか。少なくとも、怒鳴り声を上げるかもしれない。
そうしたい気持ちが沸き上がったのは事実だ。
だが・・・織火はできなかった。
ジャッジの言葉の、表現できない説得力。
それと―――ずっと考えないようにしてきた違和感が、織火の身体を凍らせた。
『どうして誰もあのとき』と。
『こうなるならどうしてもっと前に』と。
思った日が、ただの一度もないと言えば・・・それは偽りになるのだから。
「お前は、競技中の誤審がきっかけで暴走したそうだな。
・・・本当に誤審だったのは何だ?どこからだった?
ひとりでも、お前を否定する者がいれば、結果は変わったかもしれない。
変わったかもしれないし―――そうじゃないかもしれない」
「お前は―――何なんだ?俺をどうしたい?」
再び雲が太陽を隠す。
仮面の輪郭がハッキリと浮かび上がる。
表情なき表情が、決然と告げる。
「俺は―――
仮面を深く押さえ直し、織火の横をすれ違う。
「無能なジャッジが、お前を悲劇に導いたなら。
俺は誤りのない審判を下す、冷酷で薄情なジャッジだ。
未来のお前を、同じ暴走に導かないために、正確無比に否定するものだ。
せいぜいそのように覚えておけ」
そう言い残す、去り際の一瞬。
仮面に光が反射し、織火の目は眩んだ。
≪続≫
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