奇妙な契約2

     ◇


 途端に室内が重苦しい沈黙につつまれた。


 冗談が嫌いなタイプなのだろうか。異形いぎょうの生物は、まばたきを忘れてしまったかのように、象徴的な単眼たんがんをこおりつかせた。どこか非難するような視線から、たまらず目をそらした。


「もう少し詳しく説明させていただきます。この能力を用いますと、人の感覚はもちろんのこと、重力や摩擦、慣性といった物理法則の制御、気温や気圧、風といった自然現象さえ操作することが可能となります」


「ん?」


 疑問の声を上げざるを得なかった。不服な点は何一つない。夢のような能力だと思う。仮に、そんな能力を手に入れたら、目立つことが嫌いな自分でも、世界征服をめざしてしまいそうだ。


 けれど、こちらの質問に返答せず、押し売り的なセールストークをかさねられると、重大なデメリットを隠していると勘ぐってしまう。


 こっちの声が相手に届いていない。もしくは、録音された音声を、一方的に流しているだけだろうか。そんな疑問が頭をかすめ、試しに、別の質問をぶつけてみる。


「その異世界というのはどこにあるんですか?」


「その名の通り、この世界と決してまじわることのない、別個べっこの領域に存在しておりますが、物理的には領域を接しております」


 今度は質問にそった返答だ。ただ、中身は理解に苦しむもので、考察するのもバカらしかった。


「明日も学校があるので、今回は遠慮させ……」


 話を切り上げようとすると、言い終わらないうちに言葉をかぶせてきた。


「その点につきましては、ご心配におよびません。異世界へご招待するのは、あなた様が睡眠されている間のみ。明朝には、私が責任をもってこちらの世界へお返しし、日常生活に一切影響をおよぼさないことを、お約束いたします」


 僕の心はゆれていた。『異世界旅行』の招待を受けるかどうかではなく、現在の状況と、どれだけ真剣に向き合うべきかを。


 この生物は見た目からしてあやしい。けれど、自分が喜びそうなツボを、的確に押さえていることはまちがいない。だからこそ、この話を受けるのは、悪徳業者の口車くちぐるまに乗せられるようで、何だかくやしい。


 一方で、この夢をこのまま終わらせるのはもったいないと思った。


 引っかかっている点は、何の見返りもなしに、『異世界旅行』とバーゲンセールのような能力が提供されること。それと、不自然なほど、相手が勧誘にやっきとなっていること。以上の二点があやしさを倍増させている。


 この点を問いただすと、次の回答があった。


「我々が住む世界には、『転覆てんぷく巫女みこ』と呼ばれる高貴な御方がいらっしゃいます。行方の知れない彼女をさがし当て、命をねらう者達から、彼女の身を守ってほしいのです」


 胸がすくほど腑に落ちた。この生物は助けを求めているのだ。能力を用いて戦う勇者を欲していたのだ。ファンタジーっぽい人物名が飛び出し、向こうの動機も判明した。不審な点は残らず払拭ふっしょくされ、ためらう理由がどこにあるのだろう。


「わかりました。招待を受けます、僕にまかせてください」


 物語の主人公になった気分で、すがすがしい笑顔で快諾した。目覚まし時計がいつ水をさしてくるかわからない。いち早く異世界へ出発したかった。


「ありがとうございます。契約の締結にあたり、あなた様には、三つの注意事項に同意していただかなければなりません」


 唐突に相手の声色が変わった。僕は反射的に身がまえた。


「一つ、目的の達成にいたるまで解約することはできません。

 一つ、異世界における事象、出来事はこちらの世界において話すことができません。同様に、こちらの世界における事象、出来事は異世界において話すことができません。

 一つ、機密保持のため、私および契約に関する記憶は全て抹消まっしょうさせていただきます」


 先ほどと打って変わって、事務的で抑揚よくようのない口調。どれをとってもこちらに不利益な内容なので、できることなら、ふせておきたかったのだろう。


 気持ちは理解できた。だけど、急に現実的な話を持ち出され、雰囲気を台無しにされたというのが、いつわらざる思いだ。


「そのぐらいなら……」


 僕は渋々ながら同意した。内容を深く吟味ぎんみすることなく――。少し冷めた気分になって、一瞬相手から視線をはずした。


 その矢先、異形の生物が思惑ありげにスッと目を細めた。あたかもほくそ笑むかのように見え、これまで感情らしい感情を見せなかった相手が、唯一見せた感情表現だったかもしれない。


 そして、ひと際長いまばたきを見せた後、従来の陽気な声を取り戻して、こう述べた。


「契約が成立しました。最後に一つだけ注意点がございます。能力の使いすぎにはご注意ください。身をほろぼす可能性があります」


 おどし文句を残した異形の生物が、前ぶれもなく光を発し始めた。まぶたを開け続けることさえ許さない、肌に突きささるような強烈な光が、全身にあびせかけられる。


 数秒間続いた発光がおさまると、異形の生物はこつ然と姿を消していた。しかし、この時の僕はそれが知覚できていない。


 なぜここにいるのか、今までここで何をしていたのか。それがまるっきり思い出せない。白昼夢でも見ていた気分になり、キツネにつままれたような顔で部屋を見回す。


 部屋にも記憶にもモヤがかかっているようだった。自分の部屋のようで自分の部屋でない。そんな違和感がぬぐえなかった。


 ふと開けはなたれた引き出しに気づく。中では不吉な黒煙がうごめいていた。


「何だこれ」


 黒煙――異形の生物が残した痕跡こんせきをあわてて手ではらいのける。ところが、それは風圧で多少舞い上がる程度。たちまち、元の場所へ沈殿していく。


 これはどう考えても夢だ。バカらしくなってベッドに寝ころぶ。その途端、強烈な眠気におそわれ、抵抗することなく、それに身をまかせた。夢の中で眠るなんて不思議な気分だ。そんなことを考えながら、眠りに落ちた。


 この時の自分は、あまりに軽率だったと思う。僕がとる行動を、彼らはどこまで見越していたのだろう。これは周到しゅうとうに仕組まれた罠だったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る