ゾンビ化の原理(前)

     ◆


 ダイアンは東棟ひがしとうの一室で、その時をむかえた。突如発生した地鳴じなりに気づくと、不審ふしんに思って窓へかけ寄った。


 噂に聞く岩の巨人が、ここまで押し寄せてきたのではないか。まっ先にダイアンの頭をよぎったのは、そんな不安だった。


 中庭に変わった様子はなかったが、そこにいた数人は辺りを見回したり、空を見上げている。また、向かい側の窓には、ダイアンのように外をながめる人影が多数あった。


 地鳴りの発生源を探してみるも、方向さえはっきりしない。地面じめんというよりは、空から降りそそいでくるような印象を受けた。


「うわああああ!」


 廊下のほうから、男性のさけび声が聞こえた。ダイアンがビクッと背後を振り向く。表情をこおりつかせて、それに続く声に耳をすました。


 トーマス一家を始めとした同室の住人は、特に反応を見せていない。イスや木箱きばこに腰かけたり、壁に寄りかかったままジッとしている。


 まるで、さけび声が聞こえなかったかのようで、もしかしたら空耳そらみみだったかと、ダイアンが勘違いするほどだった。


 彼らの反応をあやしみながら、ダイアンが戸口へ向かう。そして、廊下へソっと顔を出した瞬間だった。


「きゃああああ!」


 今度は遠くで女性の悲鳴がひびき渡った。けれど、先ほどのさけび声とは別方向から聞こえ、距離もだいぶ離れているように思えた。


「こいつゾンビになってるぞ!」


 次に聞こえた大声はより近い。けれど、声のぬしは廊下に見えず、どうやら、近くの部屋の中からだ。ゾンビ出現の話を伝えようと、ダイアンが部屋の中を振り返る。


 しかし、異変はその部屋でも始まっていた。ポール――トーマスの息子がヌーッと立ち上がる。頭と腕をダラリとたれ下げ、風に吹かれているかのように、ユラユラとゆれ始めた。


 表情はゆるみきっている。ダイアンに肌をなでるような悪寒おかんが走った。ゾンビを見慣れているとは言えない彼女が、即刻そっこくそれと確信できるほどの異様いような雰囲気だ。


 助けを求める声が、たて続けに廊下にひびいた。チラッと後ろを確認してから、父親のトーマスへ目を移す。彼もまた、うつろな表情で焦点しょうてんの合わない目を床に投じている。


 一つ屋根の下で暮らす彼らが、『忘れやすい人々』――ゾンビ化しやすい人々であることを、ダイアンはよく知っている。


 彼らの身に何が起きたかだけでなく、何が彼らの身に変化をもたらしたかまで予想がついた。彼女はそれもよく知っていた。


 ゾンビは非理性的な行動に終始しゅうしするが、ただちに人間へ襲いかかる危険性は低い。空腹くうふくになれば食料を求めるが、基本的に日頃から食べるものを好む。


 そのため、屋内おくないに侵入し、食料を奪うことはあっても、人間に食ってかかることは、よほど追いつめられないかぎりない。


 ただし、理性りせいが働かないため、非常に敏感びんかんになっている。接近してきた人間や動くものに対し、過剰かじょうな防衛行動をとることがある。


 気をつけるのは刺激しげきを与えないこと。足音を立てないよう、ダイアンが慎重に後ずさる。背後に注意を向けなかったため、廊下を歩く誰かとぶつかった。


 振り向くと、うろんな目つきの中年男性と目が合った。ぎこちない愛想あいそ笑いをうかべてから、すり足で少しずつ距離をとる。


 そして、さけび声や悲鳴が飛びかう廊下を、一目散いちもくさんに走りぬけた。


     ◇


 呆然ぼうぜんと『転覆てんぷく』を見守った。『転覆の魔法』が解けたことは疑いようがない。けれど、自分がそれを実行したことを、どうしても受け入れられない。夢でも見ている気分だった。


「そんなわけがない……、そんなわけがないんだ……」


 取り返しのつかないことをした。その考えが重くのしかかってくる。いまだに信じられず、〈催眠術ヒプノシス〉で言葉たくみに誘導されたのではと疑った。


学長がくちょう、だましましたね」


「だましてなどいません」


 パトリックの『暗示あんじ』に不審な点はなかった。しかし、あの時点で別の『暗示』にかかっていたとしたら……。〈悪戯〉トリックスターによる一時的な解除なら、食い止められると考えた。


(止まれ! 止まれ!)


 祈るような気持ちで、『源泉の宝珠ソース』に右手をかざす。しかし、感覚的に使用する〈悪戯〉トリックスターは、効果が目に見えないかぎり、何をしているかわからない。


 逆に効果を持続させていることも考えられ、能力を別の用途ようと――能力なしでは不可能な、風の魔法以外を使用する方法を思いつく。


 ワラにもすがる思いで、巨大な『火球かきゅう』を発現させた。けれど、願いもむなしく、塔が崩落ほうらくしていると錯覚さっかくするほどの地鳴りが、鳴りやむことはなかった。


 さらに、それとは別の大きな音が外から聞こえてきた。窓から身を乗りだし、眼下がんかを見渡す。すると、宮殿から続々ぞくぞくと人が飛びだしきて、何かから逃げまどっていた。


 口々にさけんでいるのはわかったけど、内容は全く聞き取れない。岩の巨人や敵の襲撃を受けているとも考えた。


「おそらく、ゾンビ化が始まったのでしょう」


「……どういうことですか?」


「『転覆』させられていたのは、大地だけではなかったということです」


「はっきり言ってください!」


 パトリックが表情をくもらせた。そして、ためらいがちにうつ向いた後、落ち着いた口調くちょうで語りだした。


「彼らは元々ゾンビだったのです。それを巫女みこが『転覆の魔法』によってゾンビ化を食い止め、さも生者せいじゃのように仕立て上げていた。魔法が解けてしまえば、症状しょうじょうが再発するのは自明じめいです」

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