エーテルの怪物(前)

     ◆


 絶対に逃がしはしないと、ウォルターはすぐに気持ちを切りかえた。


 門が上がるのをのん気に待っている時間はない。ウォルターは数十メートルかけ戻って、大門おおもんを見上げた。


 高さ三十メートル以上の威容いようを誇る大門も、彼にとってはとるに足らないハードルだ。すみやかに目測もくそくを終えると、軽く助走をつけてから、渾身こんしんの力で地面をけった。


 すかさず『突風とっぷう』でターボをかける。放物線ほうぶつせんをえがいたウォルターは、大門を眼下に見ながら、レイヴンズヒルの空を舞った。


     ◆


 大門をぬけて明るい場所へ出ると、スプーはネクロを馬にまたがらせながら、こう話を向けた。


「それで、どうだったんだ?」


「やっぱり、あいつが能力を使った瞬間にリンクは切れたよ。でも、ゾンビはあいつを襲ったんだろ?」


「ああ」


「だったら、リンクは切れても、命令までは解除されないってことだね」


 今回、二人がレイヴンズヒルを訪れた最大の目的は、〈悪戯〉トリックスターがネクロの能力にどこまで影響をおよぼすかの検証だ。


 ネクロの能力――〈死霊魔術ネクロマンシー〉は間接操作もでき、ゾンビには『ウォルターを殺せ』と、あらかじめ命令を与えておいた。


 リンクの切断によってネクロの手を離れても、ゾンビは忠実に命令を実行した。つまり、ウォルターの能力は命令の解除にまでは効果をおよぼさない。彼らにとっては胸のつかえが下りる結果だ。


「私も〈悪戯〉トリックスターの影響下にいたら、どうなっていたかわからないけどね」


「それなら、『アレ』の運用に支障ししょうはないということだな」


 『アレ』とは、彼らが近日実行に移す作戦のかなめとも言える存在。知性や理性はおろか、意志さえ持たないそれは、ネクロが命令を与えなければ、ただの岩石のかたまりにすぎない。


 大門前にかかる巨大な石造いしづくりの橋を、スプーは速歩はやあしで馬を進ませた。


 まだ大門が開門する様子は見られず、スプーは安心しきっていた。先ほどまで酷使こくしした馬を気づかい、体力を回復させる意図もあった。


 ところが、彼らが橋を渡り終える直前、行く手をさえぎるように、上空からウォルターが舞い下りた。


 あ然としたスプーを、ウォルターはするどい目つきで見すえた。


「ハロー、トリックスター」


 ネクロは能天気のうてんきな態度をくずさなかったが、スプーは苦笑した。これではネクロを笑えないなと、自身のマヌケさにあきれ果てた。


「ギル。あなた達がトレイシーを殺したんですね」


「そうだ。君のおかげで、その名はもう名乗れそうもないけどな」


「彼はスプーっていうんだ」


「よけいなことを言うな」


 スプーは下馬げばする途中、ネクロに向かってこうささやいた。


「私が時間をかせぐ。そのすきに体を捨てて、そいつに足止めさせろ」


「オッケー。でも、またお引っ越しか。まあ、傷物きずものになっちゃったし、しょうがないか」


「私が相手になろう。見ての通り、後ろのやつは手負ておいなものでな。君もケガ人をいたぶるようなマネは嫌だろ?」


 スプーが身ぶりで開けた場所への移動を求めた。ネクロを警戒しながらも、ウォルターはそれに従った。数メートルの間隔をとって二人が対峙たいじする。


「ギル。あなたの目的は何ですか」


「逃がしてくれるなら答えてもいいが、そうもいかないんだろ?」


 ウォルターは沈黙で応じた。


「断言しよう。トリックスター、君は我々に勝てない」


「それはあなたが決めることじゃない」


「もし勝ちたいのなら、『転覆の巫女エックスオアー』を連れてくるといい」


 ウォルターの表情がゆがんだ。トリックスターと呼ばれることにも、巫女みこをエックスオアーと呼ぶことにも、腹立たしさを感じ始めていた。


 スプーが奇襲きしゅうとばかりに先手を奪った。地面から『波しぶき』を上げ、瞬時にそれを氷結ひょうけつさせた。これは目くらまし。ネコだましと言ってもいい。


 不意をつかれながらも、ウォルターの対応は迅速じんそくかつ的確だった。後方に飛びすさって、すかさず『豪炎ごうえん』を放射してそれをかした。


 しかし、自身の魔法で視界をふさがれたウォルターに、たて続けに発動された『水竜すいりゅう』が両サイドから襲いかかる。こちらがスプーの本命だ。


 ウォルターはバクてんのように飛び上がって、それを流れるような動きで回避した。さらに、着地を待たずに相手目がけて『かまいたち』を撃ち放った。


 スプーは一歩も動けないまま、腹部に直撃ちょくげきを食らった。数メートル吹き飛ばされて尻もちをつくと、呆然ぼうぜんと相手に視線を送った。


〈悪戯〉トリックスターだけでも厄介やっかいだというのに……)


 スプーはあせりの色を隠せず、日頃ひごろのポーカーフェイスをたもてなかった。魔法の威力、キレ共にジェネラルに匹敵ひってきするものを感じていた。


 ただ、同時にウォルターの甘さも見ぬいた。『かまいたち』でなく『火球かきゅう』ならば自身をしとめられたはず。人を殺しかねない攻撃に迷いがあるのは確実だ。


 平和な時代に生まれ育った一高校生にとっては、至極しごくとうな感覚だが、食うか食われるかの生死をかけた戦闘においては、命取りになりかねない。


「認めよう。少々君を見くびっていたようだ。現状、我々の力は君に遠くおよばない。だがな、トリックスター。依然いぜんとして、お前に勝ち目はないぞ!」

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