ネクロ追跡

     ◆


 ネクロはウォルターの追跡に気づいていた。スプーと中央広場で落ち合う約束をかわしていたが、遠回りせざるを得なかった。


 人影のまばらな路地ろじに入っては、何度も行き止まりにぶつかった。


 ただ、中央広場にある巨大な記念碑は、突端とったん遠方えんぽうから確認できる。そのため、目的地の方向がわからなくなることはなく、慎重をすためにも、ネクロは回り道を続けた。


 ネクロには優位ゆういに立っている点がある。それは通行人の目を通した姿と、ウォルターの目を通した姿が異なることだ。


 現在ネクロは、辺境守備隊ボーダーガードの制服を身にまとうラッセルの『扮装ふんそう』がほどこされているが、ウォルターにはローブをまとった『うつわ』本来の姿が見えている。


 実際、目撃情報を頼りに追跡していたウォルターは、しだいに先入観せんにゅうかんを色濃くしていた。『扮装』の能力に関しては、頭から消えつつあった。


 とはいえ、ウォルターの勘がするどければ、気づかれる可能性はある。また、通行人と一緒に目撃された場合は、その事実が明るみになってしまう。


 中央広場まであと少しというところで、ネクロはウォルターと鉢合はちあわせそうになった。相手は道の中央で聞き込みを行っていた。


 ネクロはけに出た。『扮装』を解除したのだ。これのデメリットは多い。まず、元の姿に戻るには、スプーにかけ直してもらうしかない。


 さらに、ずっと『扮装』した状態だったため、ネクロは身なりに気を配っていない。衣服はおろか体までうす汚く、見るにたえないさまだ。


 フードを深くかぶったまま、あやしまれないよう、あえてウォルターのそばを通りすぎた。


 屋内おくないならともかく、市街でフードをかぶる人物はめずらしくない。風が強い日や、通り雨が降った日は、よく目にする光景だ。


「止まれ」


 しかし、ネクロの見込みははずれ、ウォルターに呼び止められた。内心あせりながらも、聞こえなかったフリをして、通りすぎようとした。


 けれど、後ろからついてくる足音はやまなかった。しまいには荒々あらあらしい『つむじ風』で包囲するという、強硬きょうこう手段に打って出られた。


 ネクロは逃げ道を絶たれ、観念して足を止めた。そして、振り返ることなく言った。


「……どうして気づいた?」


「におったんだ」


 これは比喩ひゆではない。言葉通り、ウォルターにはクサかった。すれ違いざまに強烈な異臭いしゅうが鼻をかすめた。


「あのゾンビからも似たようなニオイがした」


死臭ししゅうが鼻をついたってところか。まあ、〈扮装〉スプーフィング体臭たいしゅうまで再現するらしいからね。そんなことは、気にもとめなかったよ」


 ネクロは身じろぎ一つせず、だまってその場にたたずんだ。『つむじ風』に巻き上げられた小石が、パラパラと石塀いしべいに打ちつけられ、その音だけが辺りにひびき続けた。


「私は戦ってもいい。しかし、君はどうする?」


 おもむろにフードを脱ぎながら、ネクロが振り返った。懐かしい姿を見て、ウォルターはかたまった。


先刻せんこく述べた通り、君には〈扮装〉スプーフィングが通用しない。凡百ぼんぴゃくをあざむけても、君をあざむくことはできないんだ。これがどういう意味かわかるかい?」


 くぼんだ目にやせこけたほお。肌は黒ずんで、髪の毛はボサボサだ。生前の精悍せいかんな顔つきは見る影もなかったが、顔立ちはまぎれもなくトレイシーだった。


「つまり、この姿こそが私の本来の姿ということだ。君はこの体を傷つけられるかい? まだ、生きているかもしれないよ?」


 〈催眠術ヒプノシス〉のような能力で洗脳せんのうされている。体を一時的に乗っ取られている。ウォルターの頭の中に様々な可能性がうかんでは消えた。


 その中には、これがトレイシーの本性だという信じたくないものもあった。


 しかし、トレイシーは先日廃村はいそんで命を落とした。これは巧妙こうみょうな心理戦だ。ネクロは一縷いちるの望みをチラつかせ、ウォルターの心をゆさぶりにかかった。


 現実をなかなか受け入れられず、ウォルターの注意が散漫さんまんとなった時だった。


 横合いから『つむじ風』のおりをつきやぶって、大口おおぐちを開けた『水竜すいりゅう』が襲いかかってきた。それに反応できなかったウォルターは、近くの石塀にたたきつけられ、『つむじ風』は瞬時に消失した。


「乗れ! ネクロ!」


 かけつけたスプーが馬上ばじょうから呼びかけた。ネクロがとび乗ると、スプーは拍車はくしゃをかけて馬を走らせた。


 ウォルターは一時的な呼吸困難におちいる程度で済んだ。だが、大きくせき込んでしまい、息を整えるのに時間を要した。顔を上げた時にはもう、馬の姿がだいぶ小さくなっていた。


「残念! こいつはもう手遅れだよ!」


 遠ざかっていくネクロが、せせら笑うように捨てゼリフをはいた。


   ◆


 スプーはレイヴンズヒルの玄関口たる大門おおもんをめざした。一応の目的を果たした彼らに、もはやレイヴンズヒルにとどまる理由はなかった。


 ネクロは馬の背に腹ばいとなって、かろうじてしがみついている状態。片足はあぶみにかかっていたが、もう片方の足は投げだされた状態で、地面や塀に何度も打ちつけられていた。


「片足を引きずられているのだが?」


「少しは辛抱しんぼうしろ」


 苦境くきょうを訴えた相手をスプーは冷たく一蹴いっしゅうした。体は彼らにとって所詮しょせん『器』にすぎない。いつでも交換がきく消耗品しょうもうひんだった。また、痛みをほとんど感じないことから、負傷に対してひどく無頓着むとんちゃくでもあった。


 見通しの悪い通りを選んで進み、何事もなく大門へたどり着いた。スプーは門に隣接りんせつする城壁塔に押し入ると、そばにいた守衛しゅえい鬼気ききせまる表情でつめ寄った。


「〈侵入者〉が市街に侵入した。ただちに、内側の門を下ろせとの命令だ」


 突然のことで守衛は動転した。


「早くしろ!」


 スプーは有無うむを言わせず、一刻いっこくを争うかのようにけしかけた。守衛が作業に取りかかったのを確認後、すぐさま外へ出た。


 ガラガラと鎖と滑車かっしゃのこすれる音が、けたたましくひびき始めたのと同時に、先端せんたんのとがった鉄製の格子門こうしもんが下り始めた。


 ネクロは痛々しいほどに負傷し、片足を引きずっていた。それに肩を貸したスプーは、もう片方の手で馬を引き、格子門をくぐりぬけた。


 ふとスプーがレイヴン城へ一直線にのびる中央通りを振り向く。前に進みながら、警戒の目を送り続けると、半分ほど格子門が下りたところで、ウォルターが横道から中央通りにおどり出てきた。


 大門の異変を数百メートル先から認めると、ウォルターは全速力でかけだした。スプーはヒヤリとする思いで見守ったが、あと十数メートルまで接近した地点で格子門が完全に下りきり、胸をなで下ろした。


 ウォルターが飛びかかるように格子門にはりついた。うす暗い通路に目をこらすと、二人の顔が暗闇にうかんだ。


 ネクロと共にいるのがギルだったことに、ウォルターはおどろきを隠せなかった。行き場のない怒りがこみ上げ、門をつかむ手に力がこめられる。


「さよならだ」


「グッバイ、トリックスター」


 スプーは勝ち誇るように頬をゆるませ、ネクロはからかうように言った。

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