エーテルの怪物(後)

     ◆


 ハッタリにすぎなかった。スプーが虚勢きょせいをはったのも、窮地きゅうちにあるのを自覚しているからこそ。秘策ひさくなど何一つなかった。


 とはいえ、見方を変えれば事実とも言える。『エーテルの怪物』との異名いみょうを持つ彼らは、大気たいきにただようエーテルをエネルギー源とし、無限むげんの再生能力を持つ。


 さらに、実体のかく微生物びせいぶつレベルに小さく、視認しにんがむずかしい上に鋼鉄のようにかたい。消滅させるのは困難をきわめる。周辺にエーテルが存在するかぎり、不死身ふじみと言っても過言かごんではない。


 また、エーテルを体内に取り込んだ段階で別物質へ変換するため、ウォルターの〈悪戯〉トリックスター脅威きょういとならない。それゆえ、みずからを死に追いやれるのは巫女みこのみと自負じふしていた。


 ただし、彼らの実体はひよわで、戦闘能力にとぼしかった。しかも、彼らが共通して持つ〈闇の力〉――原理的に魔法と近く、唯一の攻撃手段であるそれが、この国においては、ほぼ封じられた状態にあった。


 その力をかろうじて使用できるのが〈樹海〉であり、それは彼らが〈樹海〉の近郊から活動範囲を広げられなかった一因いちいんとなった。この国が巫女の能力――〈転覆〉エックスオアーの影響下にあるためだと、スプーは推測している。


 はたして、手負ておいのゾンビごときで、ウォルターを足止めできるだろうか。スプーは疑問を持ち始め、ソっとネクロへ視線を送った。すでに体から脱出したかは不明だが、『器』たるゾンビは馬上から転落して、立ち上がるのにもたついていた。


「この体は気に入っていたんだがな」


 スプーが苦々にがにがしくつぶやいた。そして、最悪この『うつわ』は捨てなければならないと覚悟した。


 この『器』は五年前の〈樹海〉において手に入れた、言わば戦利品せんりひん。相手は辺境守備隊ボーダーガード屈指くっしの魔導士。強敵との死闘のすえだっただけに、格別かくべつな思い入れがあった。


「殺す気で来い、トリックスター! さもなければ、君の勝利は未来みらい永劫えいごうあり得ないぞ!」


 実体の物理的な捕縛ほばくにだけ注意すればよかった。あえて安い挑発をすることで、死にいたりかねないレベルの攻撃を行わせ、それに乗じて『器』から脱出をはかる。


 死を偽装ぎそうすることで、ウォルターの目をあざむけると、スプーはふんだ。


 できればさけたい選択肢だった。実体のままでは、新しい『器』を手に入れるのに、途方もない時間と労力ろうりょくを要する。ゾンビを見つけられないかぎり、〈樹海〉まで戻らなければならない。


 ネクロの乗り捨てたゾンビが、ヨロヨロと起き上がった。スプーがそれを視界のはしでとらえる。よそ見をとがめるように、ウォルターが再度『かまいたち』を放った。


 それを回避したスプーは、ゾンビの姿を死角しかくに追い込もうと、相手の右手に回り込んだ。そして、わずかに距離をつめて、接近戦に持ち込むそぶりを見せた。


 ウォルターは反射的に後ずさったが、背後に人の気配を感じて振り向いた。足を引きずったゾンビが飛びかかってきた。


 ウォルターの判断が遅れた。ガムシャラにつかみかかってきたゾンビを、のけってかわそうとするも、左肩をつかまれた。


 体勢をくずされながらも、ゾンビの顔面目がけて『突風とっぷう』を放った。ゾンビの腕を振りほどくのに成功したが、反動で自身も地面をころがった。


 ウォルターはすぐに起き上がった。ゾンビは片足に重傷を負っている。立ち上がるのにひと苦労の状態で、脅威よりも同情心が芽ばえていた。


 やはり、ゾンビと化しても、相手は知り合いのトレイシー。敵と認識するにはとまどいがあった。痛々しい姿を見ただけで胸が痛み、次の攻撃にふみきれなかった。


 ゾンビに気を取られたウォルターを横目に、スプーが馬のもとへかけ戻った。さっそうと馬へ飛び乗ると、ネクロの所在を確認した後、対峙たいじする二人へ目もくれずに馬を走らせた。


「待て!」


 それを制止しようと、ウォルターは右手をかまえたが、最悪のタイミングでゾンビが動きだした。起き上がるのをあきらめて、四つんばいで地面をはうように襲いかかってきた。


 足首につかみかかってきた相手を、かろやかに空中飛行でかわしたが、気づいた時には、スプーの乗った馬ははるか彼方かなたまで行ってしまっていた。


     ◆


 スプーは街道を南に向かった。追手おってがないのを確認後、心持ちスピードをゆるめた。ふと馬のたてがみにへばりついた黒い生物に目を落とす。


 それがネクロの実体だ。ウォルターが運動公園で発見し、『黒いマリモ』と形容した異形いぎょうの生物とウリ二つの外見をしている。


 巨大な単眼たんがんがあるだけで、鼻、口、耳は見当たらない。手足もなく、ほぼ球体に近いが、体表たいひょうに小さな突起とっきが無数にある。そこから触手しょくしゅをのばすことができるが、体の一部というわけではない。


 体の周囲には絶えず黒煙こくえんを身にまとっている。これは排出はいしゅつした使い古しのエーテルで、身を守るために一定量を滞留たいりゅうさせている。


 慎重に移動を始めたネクロは、上着のすそからスプーのふところへもぐり込んだ。モゾモゾと腹をはい上がり、えり元からひょっこりと顔をだすと、短い触手をそこへかけた。


「やっぱり、魔法はいいね。はたから見ていてもおもしろいよ。ぜひ、次も魔法を使える『器』がいいな」


 のん気な要望を口にしたネクロに、若干じゃっかんイラ立ちをおぼえながらも、心身しんしん共に疲れ果てていたスプーは、無言のまま鼻で笑うにとどめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る