ベレスフォード卿(後)

    ◇


 ウォルターに向けて、ベレスフォード卿が右手を突き出した。


 指に光る指輪には、サファイアに似た青い宝石が取りつけられていて、それは〈水の家系ウォーターウェイ〉の証だ。


 それが魔法を発動するぜん動作どうさだと、ウォルターは理解していた。けれど、抵抗する気は毛頭もうとうなかった。


「いくら何でも、魔法は……。あなた様もとがめを受けることになりかねません」


 執事の男がオドオドと止めに入る。


「ためらう理由がどこにある。私は魔法を不法に行使した不届き者に、制裁を加えるだけだ。先に法を犯したのは彼だ。したがって、とがめを受けるのも彼一人だ」


 ベレスフォード卿が、ふとウォルターの両手へ視線を送った。


「指輪はどこへやった。出すのなら今のうちだ。おおかた、緑色に輝いていることだろう」


 〈風の家系ウインドミル〉の証である風の指輪には、エメラルドに似た緑色の宝石が取りつけられている。


 指輪は魔法を行使する上で必須と言っていい。一時的な貸し借りなど例外はあるが、所持する指輪で出身一族の特定が可能だ。


「前もって警告しておこう。水の魔法ならば、耐え忍べるとたかをくくっているようだが、私の魔法を甘く見るなよ。これから私は、一切の手加減を加えることなく、魔法を撃ち放つ。背後の壁へ君をたたきつけるつもりでな」


 文字通り、『水』の魔法は水を発現させる。それは自然界に存在する水と同一の物質で、攻撃力はいちじるしく低い。


 そのため、直接人体にダメージを与えるのは不可能に近い。とはいえ、水圧で吹き飛ばして、間接的にダメージを与えることなら可能だ。


 ベレスフォード卿が魔法を発動した。手元からふき出した水が、腕を中心軸にうずを巻き始める。その水量と回転速度は刻々こくこくと勢いを増していく。


 ウォルターは目を見張った。間近で見る魔法は迫力が違う。やがて、うずは大口をあけた竜のように見えてきて、さしずめ、相手の腕は竜の舌だった。


 普通の水と見分けがつかなくとも、高速に円をえがくさまを見せられると、だんだんと凶器に見えてきた。のど元に刃物を突き立てられた気分になり、ウォルターは生唾を飲み込んだ。


 ところが、ベレスフォード卿はなかなか撃ち放たない。これは猶予ゆうよ。白旗を上げるのなら今のうちだ。彼の眼差しはそう訴えていた。


 口でああ言っても、実力行使はなるべくさけたかった。いくらでも弁解できても、人間に対する魔法の使用は、この国において禁忌きんきに近い。


 ウォルターは能力を使って大暴れすることも考えたが、遠巻きに見つめるダイアンの顔が目に入ると、すぐに思いとどまった。


 観念して顔をふせる。せいぜい、洗濯機に顔を突っ込む程度の威力だ。そう自分に言い聞かせたが、実際にその状況を思いうかべると、かえって恐怖が増大した。


「これが最後通告だ。どこの家の人間か、今すぐ名乗れ!」


 そのおどし文句もウォルターは受け流す。そもそも、彼に名乗る家はなく、指輪も所持していない。始めから、相手が満足する回答を持ち合わせていない。


 一向にを上げない相手を見て、ついにベレスフォード卿が決断した。竜のような水流のうずが解き放たれた。


 歯を食いしばったウォルターが、それから目をそらした――瞬間だった。


 おそい来る『水竜』が、突如はじけるように四方八方へ飛び散った。そして、霧のシャワーとなって、辺り一面に降りそそいだ。


 居合わせたほとんどの人間が、何が起きたのか理解できなかった。


 ウォルターは無傷。壁にたたきつけられるどころか、その場から一歩も動いていない。ベレスフォード卿が直前で思いとどまった。そう考える者も中にはいた。


 しかし、ベレスフォード卿は腰くだけせず、有言実行した。そのため、眼前で起こった現象を、正確に把握したのは彼だけだ。


 ベレスフォード卿の認識は『自身の撃ち放った魔法が謎の力でかき消された』ということ。


 通常、異なる術者が発動した魔法は打ち消し合うため、相手の魔法で相殺そうさいされたと考えるしかない。


 しかし、相手が用いるともくした風の魔法は、無色透明であっても、自然の風と違って薄緑に色づいている。そのため、視認自体は容易だ。


 ただ、ウォルターは魔法を発動するそぶりすら見せず、それ自体も目視できなかった。術者と術者の間に、圧倒的な実力差がないかぎり、魔法が瞬時にかき消されることはあり得ない。


 また、指輪は個数にかぎりがあるため、常時身に着けているのはひと握りの貴族。したがって、指輪の所持は魔法の才に秀でた証であり、貴族としてはほまれだった。


 ベレスフォード卿は見ず知らずの若者によって、プライドが打ちくだかれた。格の違いを見せつけられ、公衆の面前で、もてあそばれるような思いを味わった。


 彼の表情から余裕が消え失せた。半開きの口をワナワナとふるわせ、その顔には屈辱が張りついていた。


「……何をした。いったい、何をした!」


 ベレスフォード卿が声をあららげた。


 ウォルターはわけがわからず、相手の剣幕けんまくにとまどった。ただ、反射的に能力を発動したと、すぐに見当をつけた。それを察知されないため、素知そしらぬ顔で相手を見すえる。


 その余裕綽々とした態度は、ベレスフォード卿の屈辱をいっそう助長させた。やがて、彼は周囲の視線をしきりに気にし始める。


「出直すぞ」


 そして、そう苦々しくはき捨てたベレスフォード卿は、二人組を連れ立って、屋敷を足早あしばやに立ち去った。

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