カラスのルー

    ◇


 仕返しや待ちぶせされることが考え、ほとぼりがめるまで、アシュリーの屋敷でかくまってもらった。小一時間後にダイアンと屋敷をぬけだした。


 日々の配達でつちかったダイアンの土地勘を頼りに、人目の少ないぬけ道を駆使くしし、コソコソと逃げ回るようにベーカリーまで帰ってきた。


 屋根裏部屋へ上がるなり、ダイアンは通りに面する窓に張りついて、外の様子をうかがいだした。尾行の有無を心配したのだろう。


 せわしないダイアンをよそに、室内を感慨深く見回す。ここは数時間前に初めて訪れた場所にすぎない。けれど、あれから、めくるめく冒険のような一日をすごしたせいか、ひどくなつかしかった。


 窓枠にへばりつくダイアンの頭ごしに、空の様子を見る。多少暗くなってきたとはいえ、雲一つない空は青々とすみ渡り、まだ日が落ちる気配はない。


 この世界へ来てから、途方もない時間が経過していた。この夢はいつになったら覚めるのか。いつになったら朝が迎えられるのか。そもそも、これは本当に夢なのか。


 このまま、この世界に居続けなければいけないとしたら――。


 エスカレートしていく悲観的な考えが、肩に重くのしかかる。軽い目まいをおぼえ、ベッドに腰かけて、大きなため息をついた。


 その様子を見たダイアンが、目の前で両ひざをついた。わずかにためらう様子を見せた後、僕の顔を心配そうにのぞき込んだ。


「ねえ、ウォルター。あなた……、魔法が使えるの?」


「魔法が何なのかわかりません。魔法と言われれば、魔法なのかもしれませんけど」


「でも、指輪はしてないよね?」


「指輪が何なのかわかりませんし、この世界にいる理由すら、よくわかっていないんです」


 投げやりな態度で本音をもらした。肉体的にも精神的にも疲れはて、ダイアンを気づかう余裕すら、失い始めていた。


 ダイアンは何も言葉を返すことなく、憔悴しょうすいしきった僕の両手を取って、なぐさめるようにさすった。


「そうだ」


 しばしの静寂を、ダイアンの声が切りさく。彼女は再び窓ぎわまで出向いた。そして、かたわらに立てかけた棒を取り上げると、先端に鈴がついたそれを、ひとしきり振った。


「ルーちゃん」


 そして、小声で外に向かって呼びかけた。


 同じ手順をもう一度くり返してから数十秒後。窓枠に一羽のカラスが飛来した。呼び寄せたと思われるカラスに、ダイアンは事もあろうに話しかけ始めた。


 興味津々と耳をかたむける。途切れ途切れに聞こえてくる単語から推測すると、今日の騒動について説明しているようだ。


 不審な行動は長々と続いた。言葉のわからない動物を相手に、一方的に愚痴ぐちをもらしている感じではない。耳をすますと、中年男性のようなしわがれた声で、時おり相づちが差しはさまれる。


「それは災難だったな」


 ダイアンと異なる声が、はっきりと聞こえた。


 声の主がカラスであることは想像にかたくない。疲労困憊こんぱいだった自分も、気が気でなくなった。カラスの様子をうかがおうとしたけど、彼女の体に隠れて見えない。


 しかし、頭を冷やして考え直した。この世界には、魔法を使う魔導士がいるばかりか、ゾンビが街を徘徊はいかいしている。カラスが人の言葉を話しても不思議ではないか。


 急速にカラスへの興味がしぼんでいき、視線を床に投じた。


「不思議な力を使えるみたいなんだけど、悪い子ではないの。それでね、この話をパトリックに伝えてほしいの」


「お嬢ちゃん。もしかして、あのチビ助を頼るつもりかい?」


「でも、他に頼れる人がいないでしょ?」


「気が進まないな。俺はあのチビ助があまり好きじゃないんだ」


 頭をからっぽにしているせいか、会話の内容が頭に入り込んでくる。どうやら、ダイアンとカラスは対等な関係らしい。加えて、彼女は僕のために奔走ほんそうしてくれているようだ。


「伝えてくれるだけでいいから」


「お嬢ちゃんの頼みなら、聞かないこともないが……」


 カラスは面倒くさそうに引き受けた。


「それで、その不思議な良い子ちゃんはどこにいるんだ?」


「そこにいる」


 ダイアンがこちらを後ろ手に指さして言った。


 全身をあらわにしたカラスと目が合う。


 どこからどう見てもただのカラスだ。クチバシからつま先にいたるまで黒ずくめ。体毛に埋没まいぼつした目は、どこに焦点を合わせているかわからない。


「おいおい、もう部屋に連れ込んでるのかよ。お嬢ちゃんもすみに置けないな」


 言動は酔っぱらいのオッサンそのもの。ペットなんて、話せないほうが愛情をそそげるのかもしれない。


「おい、そこの小僧。俺様はエラいんだ。あいさつしろ」


 当然尊大そんだいな物言いに腹が立ったけど、ダイアンの顔はつぶせない。カラスの前に出向いて、軽く頭を下げながら言った。


「はじめまして、カラスさん」


「俺はカラスさんじゃねぇぇ! ルー………………様だ!」


 カラスは羽をバタつかせ、雄たけびを上げるように名乗った。何がそんなに気にさわったのか、全くわからない。


「ルーちゃんって言うの」


 ダイアンが険悪な雰囲気を取りなすように言った。


 苦笑しながら目を戻すと、カラスは置物のように大人しくなっていた。無言のまま、こちらを見上げている。間を置いて、こんなことを言い放った。


「お前、何かクセェな。こえだめに落ちた時の記憶が、フラッシュバックしたぜ」


 ムッとした表情でにらみつける。しかし、カラスに動じる様子は見られない。そばで見ていたダイアンがオロオロとしだす。


「いいか、小僧。俺が帰ってくるまでに、ここから消えろ。お嬢ちゃんに手を出したら、ぶっ飛ばすからな」


 カラスはありったけの悪態をついて、大空へ飛び立った。


 うろたえるダイアンを横目に、ベッドへ戻った。両手で顔面をおおっていると、ダイアンがとなりに腰を下ろした。


「普段は……、まあ、日頃から口は悪いんだけど、あそこまで憎まれ口はきかないんだけどなあ……」


 そう言ってダイアンは小首をかしげた。フォローになっていないことに気づいたのか、気まずそうに口をつぐむ。


「全然クサくないよ」


 顔を近づけてきた彼女が機嫌を取るように言った。


「そのことは別に気にしていません」


 これは本心だ。というより心外だった。カラスの発言は度がすぎていたけど、嫉妬と見ればかわいいもの。あの程度で腹を立てたり、根に持つほど大人げなくない。


 実は、ちょうどカラスが飛び立った直後、異変が突発的に体をおそった。


 いきなり、頭が石のように重くなったのだ。痛みはなかったけど、激しく頭をゆり動かされるような感覚があり、まっすぐ立つことさえ、つらくなった。


「どうしたの?」


「何だか、急に頭がガンガンしてきて、無性に眠くなってきました」


 朦朧もうろうとしてきた意識は、気をぬいたら、どこかへ飛んで行きそうだ。やがて、ただ座っていることさえキツくなって、ベッドの上へ倒れ込むように横たわった。


「大丈夫? どこか痛むの?」


「大丈夫です」


 やせ我慢を言うのが精いっぱい。頭が回らない。手足に力が入らない。まぶたをあけ続けることさえ困難になった。もう、この体は自分のものではないのかもしれない。


「このまま寝ちゃうの? そこ、私のベッドなんだけど!?」


 地中に引きずり込まれるような感覚の中、最後に耳に届いたのは、ダイアンの悲痛ひつうなさけびだった。

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