エクスチェンジ(前)

     ◇


 ――と、あわてて振り向くも誰もいなかった。


 前を向き直ると、女がナイフをかざして襲いかかってきた。きもを冷やすも、横っ飛びでかわした。しかし、女は脇を通りすぎて、そのまま走り去ろうとした。


 すかさず追撃ついげきの『かまいたち』を放つ。能力無効化を再展開するため、なるべく速い攻撃を心がけた。


 女は飛んだ。物理的に飛んだ。えっ、飛べるの!?


 女は二階の手ぜまな通路に飛び乗った。あんなこともできるのか。ただ、壁に衝突したあげく着地にも失敗し、使い慣れた感じはしない。


「空を飛べるのはあなただけの特権とっけんだと思った?」


 片膝かたひざをついた状態で言われても、格好がついていない。けれど、意表いひょうをつかれたのは事実。今のは新たな能力だろうか。


 このままだと有効範囲からはずれてしまう。再び『かまいたち』を放ってから、後を追って通路へ飛び乗り、能力無効化を展開したまま追いかけた。


 女は近くの扉に逃げ込んだ。


     ◇


 大広間から廊下へ入った。すぐにまがりかどだったので、もう女の姿が見えない。角をまがった先の戸口とぐちから、ナイフが飛びだしてきた。


 とっさに床をころがって回避する。おどろかすことにかけては、本当に天才的だ。


 女は窓から屋敷の外へ飛びだし、崖のほうへまっすぐ走って行くと、迷いなく飛び下りた。〈転送〉トランスポートで逃げる気だ。


 能力無効化の有効範囲からはずさない。自分も後に続いて、重力無効化に切りかえるのをギリギリまでねばった。


 崖下がけしたには森が広がっている。樹木が密集みっしゅうした場所へつっ込むのはためらわれ、空中でワンクッション入れて、少し先の原っぱへ下りた。


 女はどうなった。大急おおいそぎで崖のほうへ戻るも、女の姿は見当たらない。自分のことで手いっぱいで、落ちたかどうかもはっきりしない。


 もう上に戻ったかもしれない。息を整えながら、丘を見上げる。そこから目を戻す途中、岩かげから人の足がのぞいているのに気づいた。


 そこで倒れていたのは女だった。目をそむけたくなるほど姿になり果て、瞳孔どうこうは開ききっている。どう見ても、生きているとは思えなかった。


 おそらく、地面との衝突前に〈転送〉トランスポートで回避するつもりだったものの、それに失敗したのだろう。


 女は死んだ。拍子ひょうしぬけするほどに、あっけない幕切れだ。これで一つの目的を果たせた――のだろうか。イマイチ実感がわかない。


 そうだ。急いで上に戻らないと。クレアとヒューゴがまだ戦っている。


     ◆


 女――サイコは遠く離れた屋敷にいた。彼女は地面に落下した後、戦闘中から送られ続けた『交換こうかん』要求に応じた。


 能力名は〈交換〉エクスチェンジ。その名の通り、リンクをつないだ同質どうしつの物体――例えば、銃と銃が存在する位置を、瞬時に『交換』できる。


 無機物むきぶつでなければならないという制限があるため、人間同士の『交換』はできないが、特異とくいな使い方として、人間の魂や能力の『交換』がある。


 つまり、サイコはあらかじめリンクをつないだ人物と『たましい』の位置を取りかえ、現在他人の体に乗り移った状態にある。


 サイコの『魂』が入る体は、国側の一兵士のもので、マイケルという名だ。サウスポートで働く役人だった彼は、以前からハンプトン商会と持ちつ持たれつの深い関係にあった。


 マイケルはそのえんで内通者として部隊に送り込まれた。しかし、彼は下っぱの下っぱにすぎず、作戦の内容を知らされる立場ではない。


 ならば、なぜ賊軍ぞくぐんは奇襲戦法を成功にみちびけたか。


 カラクリはこうだ。マイケルは主に部隊と部隊をつなぐ連絡役を務め、自由に戦場を移動できた。そのかいあって、味方の動きが手に取るようにわかった。


 伏兵ふくへいを送り込む絶好のポイントを発見次第、サイコに『交換』の要求を送る。『交換』後は、マイケルが国側の動きをデリックに報告している間に、サイコが〈転送〉トランスポートのための座標ざひょうを記録する。


 元の体に戻った後、サイコは屋敷の兵士を記録した座標へ送った。伏兵を回収する場合は、事前に落ち合う場所を決め、サイコとマイケルが再び『交換』を行えば良い。


 これが国側を翻弄ほんろうさせた奇襲作戦の全容ぜんようだ。作戦の立案りつあんはデリックが行った。マイケルは不審感ふしんかんを持たれることなく、それを遂行すいこうしてきた。


 また、この戦法はサイコが〈不可視インビジブル〉を使う必要がない。『魂』を『交換』しただけなので、外見はマイケルのままだ。ウォルターやパトリックでもサイコの識別しきべつは不可能だ。


 サイコの眼前には『相手が交換を要求しています』という表示がくり返しポップアップされていた。


 崖下に横たわるサイコの体は、もはや動かせる状態にない。それにおどろいたマイケルは『交換』要求を送り続けたが、サイコは無視した。


「うるさい男ね。『うつわ』が壊れていても、私の本体はピンピンしているのよ」


 魂の『交換』は有用ゆうように見えるが、この使い方をみ嫌う者は多い。一時的とはいえ、赤の他人に自身の体をあずけるからだ。


 その上、解除にはおたがいの同意が必要なため、自身の意志だけでは、元に戻ることができない。


「さてと。かわいそうだけど、デリックのことは見捨てましょ。なかなか使える男だったけど、もうトリックスターの相手はコリゴリ。もう十分役目は果たしたし、新しい『器』でも見つけて、さっさとここを引き上げましょうか」


 スプーやネクロと同じく、サイコも『エーテルの怪物』だが、その事実は周囲にひた隠しにしていた。


 デリックたちはもちろんのこと、能力の共有を行う仲間にさえ知らせず、普通の人間をよそおっていた。


 サイコがいるのは国側が本拠ほんきょを置く屋敷。今回にかぎれば、『交換』の目的は違った。当初のねらいは奇襲戦法でなく、増援ぞうえんとしてかけつけたメンバーの暗殺だ。


 しかし、敗色はいしょく濃厚のうこうの今となっては、もうどうでもよかった。適当な新しい『器』はないか、できれば若い女性がいい、などと考えながら廊下を進んだ。


 ふと、サイコがある部屋の前で足を止めた。部屋の中にいたのはパトリック。『最初の五人』たるヒプノティストだと、すぐに気づいた。


 サイコはウォルター、パトリックをのぞいた残りの三人と、基本的に友好的な関係をきずいている。ただ、敵陣営じんえいの『最初の五人』がいかにわずらわしいか、身にしみて感じていた。


 かたわらにいるのはローブを着た男――ロイのみ。魔導士の姿は見当たらない。その時、パトリックがサイコの存在に気づき、隣りのロイに小声で話しかけた。


 サイコは発作的ほっさてきに決意した。この場で始末しよう――と。

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