走れウォルター

     ◇


 思った以上にパトリックとの話が長びいた。部屋の外で待っているダイアンのもとへ、急いで向かったけど、その姿は屋敷にも庭にもなかった。


「外に馬車を待たせてあるので、そちらに居るのかもしれません」


 パトリックに別れを告げて、屋敷から飛びだした。外に出てから、まっ先に目に飛び込んだのは、門柱もんちゅうの上にたたずむルーだった。


 警戒しながらも、知らん顔して脇を通りすぎる。ルーも話しかけてこなかったけど、あからさまに僕を目で追い続けていた。


 パトリックの言う『外に待たせてある馬車』は通りに見当たらなかった。困りはてて、屋敷に戻って、もう一度確認しようと考えた矢先だった。


「お嬢ちゃんなら先に帰ったぜ」


 ふいにルーが声をかけてきた。そして、得意げにこう続けた。


「正確には、俺が帰らせたんだけどな。この屋敷に泊まるから、先に帰っていい。そうお前が言っていたと伝えたんだ」


「……どうしてそんな嘘をつくんだ」


 声に怒気をふくませ、ルーを一心ににらみつける。


「俺は善意で言ってるんだ。お嬢ちゃんの部屋は二人で寝起きするにはせますぎる。この屋敷のほうが、はるかに快適な暮らしが送れるはずさ。お前はここに残るべきなんだ。さもなければ、俺はこのクチバシで、お前をつっつかなきゃならなくなる」


 何も言い返さずにルーをにらむ。言い分には一理あった。けれど、こっちにはこっちの事情がある。


「忠告したぞ。金輪際こんりんざい、お嬢ちゃんの前には顔を見せるんじゃねぇ。それがおたがいのためだ。じゃあ、せいぜいあのチビ助と仲良くな!」


 昨日のプレイバックのような悪態をついて、ルーは大空へはばたいた。


 意地でも、あいつの言いなりになるもんか。ふと空を見上げる。昨日、気を失うように眠りについたのは、こんな夕暮れ時だ。


 あの強烈な眠気が、いつ襲ってくるかわからない。路上で倒れる自身の姿が脳裏をかすめ、のんびりしている暇はないと、全速力で走りだした。


 行きの時、馬車は複雑な経路をたどらずに、大通りをほぼ道なりに進んでいた。自力でベーカリーに帰り着く自信は、十二分にあった。


 僕は走った。追い立てられるように走りに走った。けれど、大通りへ出た時点で、早々そうそうに息が上がりだした。


 道のりの三分の一どころか、五分の一もすぎていない。これでは先が思いやられる。そこで〈悪戯〉トリックスターの使用を思いついた。


 巻き起こした風に背中を押させる。重力を軽減して大ジャンプする。頭にパッとうかんだのがこの二案。ただ、どちらも目立ちすぎる。街中での使用はためらわれた。


 考えをめぐらせていると、操作できる対象に人間の感覚が入っていたのを思い出す。それならば、体力の消耗しょうもうを食い止められるかもしれない。


 効果覿面てきめんだった。体から、あらゆる疲労がぬけ落ちていった。荒々しい呼吸が瞬時に整い、くずれていた走りが、スキップのように軽やかになった。


 大通りを風のようにかけぬけ、十分とかからずにベーカリーへ帰り着いた。


「あれ、泊まってくるんじゃなかったの?」


 突然帰ってきた僕に、ダイアンはおどろいた顔で声をかけた。


「いや……」


 そう言いかけた時、気をぬいた拍子に能力を解除してしまった。その瞬間、いまだかつて味わったことのない疲労が、全身をかけめぐった。


 息は絶え絶えとなり、口にしようとした言葉が言葉にならない。足首やひざ――足の関節が例外なく悲鳴を上げ、両足はなまりのように重い。


(そうか……。体にかけた負担までは、なかったことにできないのか)


 それが酸素が欠乏けつぼうした脳で導きだした結論。どこかへ腰かけようと、ベッドに向かって足をふみだす。その瞬間、前日体験した睡魔すいまが、最悪のタイミングで襲ってきた。


 前後不覚におちいり、ただでさえ痙攣けいれんしていた足がもつれにもつれた。泥酔でいすい状態も同然となり、意識まで遠のいていった。その先のことは全くおぼえていない。


     ◆


 ルーの言葉を信じたダイアンは、ウォルターを残して、ひと足先にベーカリーに戻った。


(話し込んでたから、何も言わずに帰ってきちゃったけど、このままお別れなんてことはないよね)


 ウォルターがパトリックの屋敷に残ることに、ダイアンは一抹いちまつのさみしさを感じていたが、この手ぜまな屋根裏部屋において、二人で生活していくのは土台無理な話。


 昨日、ダイアンは仕方なくウォルターと同じベッドで寝た。相手はその日出会ったばかりの若い男。当然、気が気でなく、夜中に何度も目を覚まし、普段の半分も眠ることができなかった。


 パトリックの屋敷はそう遠くないから、会おうと思えばいつでも会える。ウォルターにとっては、より良い選択のはず。これは喜ぶべきことだと、自分に言い聞かせた。


 ところが、部屋着に着替え、夕食の準備を手伝いに、階下へ向かおうとした矢先、ウォルターがフラフラの状態で帰ってきた。


 声をかけた後、呆然と見守っていると、足をふみ出したウォルターがよろめいた。


 ダイアンはかろうじて抱き止めたが、自身よりひと回り大きい男の体重を、支えきれるわけもない。とっさの判断で相手もろともに背中からベッドへ倒れ込んだ。


 はからずも、押し倒される格好となったダイアン。とはいえ、倒れ込んできた相手を、突き飛ばすわけにもいかない。されるがままの状態で、相手が身を起こすのを静かに待った。


 部屋が静寂につつまれ、刻々と時が流れていく。やがて、ダイアンの頬に赤みがさす。


「ウォルター?」


 相手の身を気づかうように呼びかけても反応がない。


 屋根裏に張りめぐらされたはりをながめていると、荒々しい鼻息が耳に届いた。しびれを切らしたダイアンは、おおいかぶさる相手の体を押し上げ、半身をすりぬけさせた。


「このまま寝るの!?」


 ウォルターは寝息を立てていた。しかも、ベッドに立てかけられたかのようなアクロバティックな格好で――。


(こんな体勢でも人は眠れるんだ)


 ダイアンはいた口がふさがらなかったが、このままほうっておくわけにもいかない。苦労して、相手の体をベッドに横たわらせた。


(今日もベッドを占拠せんきょされちゃった……)


 その事実を目の当たりにして嘆息たんそくする。しかし、突然現れた同居人の安らかな寝顔をながめていると、しだいに心がときほぐされていった。


 ベッドに腰かけたダイアンは、手のかかる弟をいつくしむかのように、ウォルターの右目にかかった前髪を、そっと耳の後ろになでつけた。

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