催眠術師(後)

     ◇


「ウォルターはどこの国からやってきましたか?」


「この世界ではありません」


 返答を考える暇もなく、ひとりでに言葉が口をついて出た。


「〈外の世界〉ということですか? その世界について教えてください」


「〈外の世界〉がどういった場所なのかわかりません。こことは根本的に異なる世界です」


 ここまで話し終えたところで言葉につまる。正確に言えば、言葉につまらされた。


 放課後の部室で味わった、のどをしめつけられる感覚が、またもや襲いかかった。ただし、今回は居る世界と話せないことが、ひっくり返っている。


「……すいません。話せません。話そうとしても、話すことができません」


 のどをさすりながら答えた。当然ながら、パトリックは眉をひそめて僕を見つめた。自分でも理解できなかった。現実との奇妙なリンクに、背筋がこおる思いだった。


「質問を変えましょう。あなたがこの国へ来た理由を教えてください」


「『転覆てんぷく巫女みこ』に会うためです」


「……会ってどうするのですか?」


「彼女を守らなければいけません」


 無意識だった。心にもない言葉――身におぼえのない思いが、口からこぼれ出た。それが〈催眠術ヒプノシス〉の力で引きだされたことは理解できた。けれど、心の奥底に無自覚の感情が眠っていたことは、納得がいかない。


「わかりました。いえ……、よくわからなかったのですが、それがウォルターの本心であることはわかりました」


 パトリックが額に手を当てながら思案に暮れる。しばらくして、人さし指を立てながら、こう言った。


「もう一つだけ質問させてください。あなたはトランスポーターと呼ばれる人物をご存じですか?」


「トランスポーター……ですか?」


「その人物は〈転送〉トランスポートの能力を有し、この国へ〈侵入者〉を送り込んでいる張本人です」


「いえ、知りません。名前すら聞いたことありません」


「質問はこのぐらいにしましょう。ありがとうございました」


 パトリックは回答を全面的に信用した。自身の能力に、絶対的な信頼を置いている証拠だろう。


 最初の質問の時は、イマイチ効果が実感できなかったけど、彼の能力のスゴさ――というより、恐ろしさが身にしみてわかった。


「先ほどの〈侵入者〉の話について、付け加えさせてください。単刀直入に言えば、彼らのねらいは巫女みこの命です。彼らというより、トランスポーターの意思と言ったほうが適切でしょう。所詮、彼らは金で雇われた人間にすぎませんから。

 ある意味、〈侵入者〉は〈外の世界〉の情報をもたらす貴重な存在ですが、年々手口が巧妙になり、正直手を焼かされています。近年は鳴りをひそめているのが不気味で、我々の知らないところで、着々と計画をおし進めている可能性もあります」


 そこでひと息入れたパトリックが、まっすぐにこちらを見すえる。


「ウォルターはその〈侵入者〉と疑われる危険を、常にはらんでいます。能力のことはもちろん、巫女について不用意に深入りするのはさけるべきだと思います。〈侵入者〉の容疑をひとたびかけられれば、私でもかばいきれなくなるかもしれません」


 〈侵入者〉――いや、トランスポーターが巫女に執着する理由は何だろう。忠告されたそばから質問するのは気が引けるけど、気になってしょうがない。


「そのトランスポーターは、どうして『転覆の巫女』の命をねらうんでしょうか」


「理由はわかりません。彼自身はこの国に姿を見せたことがありませんから」


「それなら、『転覆の巫女』について何かご存じですか?」


「巫女はかつてこの国の支配者でした。しかし、現在は行方をくらましています。その理由はもちろんのこと、巫女がどんな姿をしていたのかさえ、我々は忘れてしまいました。今や文献の中でしか、確認できない存在なのです」


 ダイアンから聞いた話と基本的に同じだ。そんなことがあり得るのだろうか。


「身を隠さなければならない事情ができ、我々の記憶から自身の存在を消した。考えられる仮説はそんなところでしょうか。それと『転覆の巫女』という呼び方は控えてください。それは〈外の世界〉の人間が好んで用いる表現ですから」


 話に一段落がつき、張りつめた空気がやわらいだ。パトリックが世間話をする調子で言った。


「今後はどうなさるおつもりですか?」


「特に決めてないんですけど……、どうにかしなければいけませんよね」


 いつまでもダイアンに面倒をかけるわけにはいかない。この世界で暮らし続けるのなら、手に職をつけて、自分で生活のかてを得なければならない。だけど、気楽な学生生活しか経験のない自分にとって、それは試練も同然だ。


「よろしければ、私に一任してもらえませんか? ウォルターの能力をいかせる、うってつけの場所があります」


 無条件で飛びつきたくなる話だけど、パトリックの顔を見たら躊躇ちゅうちょした。それはまるで、新しいオモチャを手に入れた子供のようだった。


 視線をはずすと、窓ガラス越しに動く黒い影を見つけた。よく見ると、カラスのしっぽらしき物体が、ヒョコヒョコと上下に動いていた。例のルーだろうか。


「聞くところによれば、〈外の世界〉では、我々のような能力者がめずらしくないそうです。これまでの〈侵入者〉に該当者はいないものの、将来的に能力者が送り込まれる可能性は十分に考えられます。その点をふまえると、ウォルターのような能力者が味方にいてくれれば、非常に心強いです」


 パトリックは目の届くところに僕を置いておきたいのだろう。話としては悪くない。むしろ、願ったりかなったりだ。


 〈侵入者〉から『転覆の巫女』を守る。それは僕がかかえる本能的な欲求、使命めいたものと、方向性が合致がっちしている。


「じゃあ、よろしくお願いします」


「手頃な住居もこちらで用意できますが?」


 その誘いはきっぱり断った。屋根裏部屋のベッドが、現実とこの世界を結ぶトンネルのような存在かもしれない。そんな考えが頭にあったからだ。

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