初めての魔法

     ◇


「この話を聞いてください。『大気たいきにはエーテルが満ちている』。古来こらいより、この世界で言い伝えられている言葉です。長年に渡る研究の結果、そのエーテルこそが魔法発動のための源泉げんせんであると、我々は結論をくだしました」


 パトリックはそこでひと息入れ、周囲に警戒の目をめぐらせた。


「先日の一件についての私の見解です。おそらくウォルターは、能力で周囲の空間からエーテルを消失させた。それが魔法そのものの消滅に結びついたのです。エーテルを消失させられるなら、その増幅ぞうふくもさせられる。理にかなってると思いませんか?」


 エーテルという単語が加わっただけで、一度聞いた見解だ。エーテルを増幅させるのと魔法を使うのは、別問題ではないか。


「たとえそうだとしても、僕は魔法をどう使うかもわから……」


「魔法の原理はいたってシンプルです。小難こむずかしい話は何もありません。火の魔法ならば、燃えさかる炎をシンプルに思いうかべるだけ。それは火打ち石で起こした火と違いはありません。秘けつはどれだけ精緻せいちなイメージを心にえがけるか。たったそれだけです」


 魔法の原理は拍子ぬけするほど単純だ。長たらしい呪文を詠唱する必要もなく、〈悪戯〉トリックスターの発動方法と大差ない。パトリックの押しに根負こんまけするかたちとはいえ、試さずにはいられない。


 おもむろに指輪をはめた右手を前に差し出す。精神を集中させるために大きく息をついてから、手のひらの直上に炎を思いうかべる。


 それは一瞬の出来事だった。


 意思に呼応するように、巨大な炎が勢いよく噴き上がった。それが鼻先をかすめたので、おどろきのあまり、すぐに炎を引っ込めた。


 パトリックが周囲の目をはばかりながら、僕の右腕を押し下げる。大きく見開かれた相手の瞳が、しだいに興奮の色にそまっていった。


「すばらしいです。このレベルの炎を出すまでに、私は指輪の力を借りても一年以上かかりましたから。私の見立て通り、ウォルターの能力は魔法の発動にも影響をおよぼします」


 賛辞さんじの言葉が僕の心をくすぐった。もしかしたら、魔法の才能があるのかもしれない。初めて〈悪戯〉トリックスターを使った時に味わった、心地ここち良い万能感が胸によみがえる。


 自分としてはライターと同程度の火をイメージしていた。そのぐらいのかわいいイメージだったのに、あのすさまじい炎が現れた。まあ、裏を返せば、制御できていないと言えなくもない。


「ただ、くれぐれも気をつけてください。今あなたが身に着けているのは、風の指輪です。使うのは火の魔法でなく風の魔法にしてください」


 初めて魔法を使ったことで酔いしれていた。その油断をつくように、パトリックは試合を受けて立つ流れに、自然と持ち込もうとする。


 こちらが我に返ったのも見逃さず、ダメ押しとばかりにこう言った。


「公式試合は二ヶ月に一度まとめてとり行われ、この種の非公式試合は、決してさかんとは言えません。その上、ウォルターは魔導士としてかけだしの身です。

 実力者とマッチングされる機会はゼロに等しく、見返りがなければ、こちらの申し出に応じる魔導士は見つからないでしょう。つまり、常識的な手段をとっていては、長い下積み生活を送らなければなりません」


 長い下積み生活――その言葉がズシリと肩にのしかかった。手早く一線で活躍できるにこしたことはない。徐々に気持ちがゆれ始めた。


 けれど、責任にこたえるだけの覚悟が、現時点でできているかと問われれば疑問がある。


「これは絶好の機会です。彼はまがりなりにも序列のついた士官しかん。仮に勝利をあげられれば、評価が一気にはね上がり、ウォルターは出世街道まっしぐらです」


 出世街道まっしぐら――甘美かんびなひびきが心の中でこだました。出世を果たせば、地位だけでなく給料も上がるはず。もしそうなれば、ダイアンに恩返しができるどころじゃない。


 バラ色の未来が頭の中をかけめぐった。先刻までの気持ちが嘘のように、骨の髄までその気になっていた。


「でも、序列のついた士官ということは、それだけ相手が手ごわいという証ですよね?」


「ここだけの話ですが、家同士の上下関係や金銭などで、勝ち星を融通ゆうずうする不正が少なからずあります。やっかみもあると思いますが、彼はその手の悪い噂が絶えませんし、幸いなことに、肩書きほどの実力者ではありません」


 パトリックの誘惑の言葉はさらに続いた。


「相手の魔法を無効化できるのなら無敵も同然です。しかも、試合では周囲のエーテル濃度が勝敗を大きく左右しますから、その点でも有利に働きます。どうですか、負けようがないと思いませんか?」


 舞い上がった気持ちにあらがうことはできなかった。コクリとうなずいて、試合を受ける合図を送った。この時のパトリックは会心の笑みをうかべていた。

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