初出仕

     ◇


 晴れてユニバーシティの一員となった翌日。前日と同様、早めに起きた。現実のほうで、夜十時前に寝るようになったので、規則正しい生活になった。


 トーマス家には時計がないので断言できないけど、現実とこっちの世界は時間がきっちり反転しているようだ。つまり、現実で夜九時に寝れば、こっちで朝九時に目覚める。


 もちろん、時計はこっちの世界にも存在している。街を歩けば、鐘のついた時計塔を目にすることができる。けれど、正確な時をきざめる実用的な時計が、まだ存在していない。


 大半の人々が時刻を伝える鐘の音を頼りに生活している。トーマス家ではパンを焼く時に砂時計を活用していた。


 〈資料室〉の始業は午前十一時。終業が午後四時なのでちょうど五時間労働だ。こっちの人は現代人ほど働き者ではないようだ。おかげで、現実で早寝はやねも寝坊もする必要がないので、自分としては助かってる。


 一夜にして自立を果たし、現実よりひと足先に正真しょうしん正銘しょうめいの社会人となった。屋根裏部屋からながめる風景も、今日は心なしか違って見える。


「いってらっしゃーい!」


 笑顔のダイアンに見送られ、レイヴン城へ出発する。何だか夫婦みたいで、朝から舞い上がってしまった。


 急ぎ足でも城へはおよそ三十分。馬車以外の交通手段はなく、それも小走り程度のスピードしか出ない。


 街では馬に乗った人をたまに見かけるけど、ベーカリーに馬を飼育する土地はないし、それ以前に、自分は馬に乗れないから意味がない。


 この間のように能力を使えば、走りっぱなしで大幅に時間を短縮できる。けれど、解除後に猛烈な疲労に襲われるという致命的ちめいてき欠陥けっかんがある。


 自転車でもあれば便利だと思ったけど、大通りまではずっと坂が続くし、道路の舗装ほそうも中途半端だからあっても微妙か。


 道中、行く先々でカラスの視線を感じた。例のルーが尾行しているとしか思えないけど、普通のカラスと見わけがつかないので、思いすごしの可能性もある。


     ◇


 〈資料室〉に到着すると、ケイトの他にもう一人女性の姿があった。彼女は僕に気づくなり近寄ってきて、微笑びしょうをうかべながら言った。


「副室長のマリオン・カーペンターよ」


 上司に当たるマリオンは二十代後半の少しふくよかな女性でおっとりしている。昨日は外回りで不在だったけど、名前はスコットから聞いていた。


 〈資料室〉は実質的に彼女がしきっていて、仕事に関しては、彼女に指示をあおげばいいとも教えられた。マリオンに自己紹介を済ませると、昨日も顔を合わせた男が出勤してきた。


「チーフ、この子が新人のウォルターです」


 そうマリオンが声をかけ、僕は背筋をのばして待った。


「昨日会った」


 けれど、男はぶっきらぼうに答えたきり、さっさと一番奥の席に座った。


「お前に全部任せるよ」


 そして、窓の外をながめながら、投げやりに言った。聞きしにまさる無気力さだ。


 男の名はネイサン・クレイヴン。〈資料室〉の室長なので、みんなからはチーフと呼ばれている。年齢は三十代なかば。髪はボサボサで無精ぶしょうひげを生やしている。


 白色のラインが入る〈氷の家系アイスハウス〉の制服は、同じ物かと目を疑うほど、ヨレッとして色落ちがひどい。ものげに視線を空中にただよわせる様子は、魂がぬけ落ちたかのようだ。


 スコットが一番最後に顔を見せた。〈資料室〉のメンバーは自分をふくめて五名。春先までは、もう一人僕らと同年代の女性がいたけど、今は北部に出向しゅっこうしているそうだ。


    ◇


 記念すべき初仕事は、各地から送られてきた文書を種類ごとに分別し、記載されたデータを集計してから資料を作成するという地道な作業だ。


 しかも、その内容はゾンビ化の犠牲者や行方不明者の人数・年齢・性別といった気がめいりそうなもの。ゾンビ化という不可解な現象によって、この世界が苦しんでいることを実感した。


 筆記用具ははねペン。万年筆すら使ったことがないので、始めは書き味にとまどったけど、机をならべるスコットとケイトから、手とり足とり教えてもらった。


 作業に慣れてくると、合間あいまに雑談する余裕が出てきた。チーフは業務開始から何もしていない。ボーッと考え事すらしていない様子で、時おり小さなため息をつく。


「お前ら楽しそうだな」


 ふいにチーフがトゲトゲしい視線をこちらへ送った。


「どうして君は、こんなはきだめみたいな部署に入ったんだ?」


「……チーフ、自分の部署にもっと誇りを持ちましょう」


 チーフの発言に困惑していると、ケイトが視線を落としたまま、ボソッと反論した。


「ウォルターをあなどらないほうがいいですよ。ゆくゆくはジェネラルの座をねらえる逸材いつざいですから。昨日の試合で、その片鱗へんりんをこの目でしっかり見届けましたし」


 スコットの発言に別の意味で困惑する。チーフがバカにするように鼻で笑った。


「それなら、なおさらこんな部署にいないほうがいい。俺からためになる言葉をさずけよう。ここにいても未来はないぞ。そいつらとは、すぐにでも縁を切れる準備をしておけ」


 スコットがにらみつけると、チーフは顔をそらした。ただ無気力なだけかと思っていたけど、性格にかなり問題のある人だ。


 見るに見かねたマリオンが、話を打ちきるように手をたたいた。


「そうだ。頼まれてたことがあったの。何日か前、市街にゾンビが出現したでしょ。その聞き取り調査に行ってもらいたいのよ。二人は聞き取りやったことあるわよね?」


「もちろん。これでもストロングホールドに半年以上行ってましたから」


「私は一、二度ですけど……」


 スコットが自信満々に言った一方、ケイトは対照的な様子で答えた。


「勉強がてら、ウォルターも一緒に連れて行ってあげて」


「おいおい、聞き取り程度に三人がかりかよ」


「いいんですよ、チーフ。ウォルターは研修けんゆうみたいなものですし、めったにない機会ですから、二人にも経験を積んでもらいたいんです」


 マリオンがなだめすかすように言った。けれど、チーフは耳を貸さなかった。


「お前らが雁首がんくびそろえて出かけたら、ここの仕事は誰がやるんだ。昨日だって、ここにたいしていなかったくせに。またマリオン一人に押しつける気か?」


「この部署には、もうおひと方いらっしゃるように思えますが……」


「チーフが手伝ってくれてもいいですよ」


 ケイトとスコットが、たて続けに小声でツッコむ。


「大丈夫ですよ。最近は私一人でも手が足りるぐらいの仕事しかないんです」


「……さっさと終わらせて帰ってこいよ」


 チーフはふてくされながらもほこをおさめた。チーフの行動原理が理解できない。マリオンを思いやってはいるようだけど……。

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