催眠術師(前)

     ◇


 数分後、少年が部屋へ入ってくるなり、ダイアンと親しげに言葉をかわした。


「あなたが噂のウォルターですか」


 僕の前に進み出た少年が、スッと右手を差し出す。


「パトリックと言います」


「ウォルターです」


 そう言葉をついだ少年と、とまどいながら握手をかわした。


 少年の身長はダイアンとあまり変わらない。物腰はやわらかで大人びているのに、顔立ちが幼いので年下にしか見えない。


 この少年がダイアンと十年来の知り合いで、大出世を果たした人間なのだろうか。若々しい見た目に反して、結構な年齢なのだろうか。


 少年はキレイに折りたたまれた衣服を右手にたずさえている。赤毛の髪はオカッパ頭のように切りそろえられ、几帳面きちょうめんな性格がうかがえた。服装はベレスフォード卿とそっくりだ。これが一般的な貴族の服装なのだろう。


「今朝、ベレスフォード卿の屋敷にうかがったのですが、メイフィールドでの一件を不問ふもんにふすと約束してくださいました。ですから、もう心配にはおよびません」


「よかったー」


「ありがとうございます」


 ダイアンが胸をなで下ろす。自分も丁寧に頭を下げた。


「その足でメイフィールド卿にも詳しい経緯をうかがいに行きました。お待たせしたのはそのためです。申しわけありません」


 恐縮するほど、パトリックは礼儀正しい。語り口や言葉づかいからは知性と品格を感じる。


 それだけに、見た目と中身のギャップがますます気になる。背のびをした中学生という印象がなかなかぬぐえない。


「さっそくで恐縮ですが、あなたの能力を見せてもらえますか?」


 パトリックは部屋の奥へと僕らを案内すると、唐突に改まった調子で言った。落ち着いた態度とは裏腹に、子供のように目を輝かせている。


 ダイアンは気をきかせて、距離を置いた。


「待ってください」


 ところが、話し始めようとすると制止された。


「いい機会なので、余興よきょうもかねて、先に私の能力を披露しましょう」


 予想外の発言だった。この世界に魔法以外の能力があるのなら、なぜ昨日、その可能性を疑われなかったのだろう。彼らの頭には、それが全くなかったとしか思えない。


「あなたの能力について教えてください。いいですか?」


 パトリックはまるでセリフを言うかのように、芝居がかった調子で言った。それが能力を使用するための合い言葉だと、何となく想像はついた。


 けれど、自身の肉体と精神に、特別な変化は見られない。どんな能力なのだろう。余興だと前置きした意味もわからない。


 確かに、能力について話さなければならない気持ちになってきているけど……。


(素直に話せばいいのだろうか)


 助けを求めるように、ダイアンへ目配めくばせする。彼女は僕の対応をあやしんでいた。目を戻すと、パトリックも似たりよったりの顔をしている。


 始めから隠すつもりはなかったけど、尻をたたかれた気分で〈悪戯〉トリックスターの説明をした。この能力は未知数な点が多く、自分自身も把握しきれていない。なので、以前に表示された説明書きを、そのまま伝えた。


「空間内のあらゆる事象を思いのままにできる、ということですか。個人的には夢のような能力に思えますが、何かデメリットはありませんか?」


いて言えば、空間内にいる全ての人間に適用されることでしょうか」


「そうですね。自身に効力がおよぶのなら、下手なことはできませんか」


 パトリックは難しい顔で考え込んだ。


「そういうことですか」


 しばらくして、独り言をつぶやいた。


「では、その力でベレスフォード卿の魔法を打ち消したのですね?」


「無意識に能力を発動したので、断言はできませんけど……、たぶん、そうなんじゃないかと思います」


「おそらくそうでしょう」


 パトリックはあっさり断言した。


「それでは、私の能力についても解説しましょう」


 能力の説明はしても、実際に使用したところは見せていない。パトリックがなぜ説明を鵜呑うのみにしたのか。その理由はすぐに判明した。


「私の能力は〈催眠術ヒプノシス〉と言います。対象に暗示をかけ、特定の記憶を失わせたり、ある物を別の物、例えば、嫌いな物を好きな物と信じ込ませたり、指示した行動の強制さえできます」


 思わず息をのんだ。派手な面はない。けれど、巧妙に使われたら恐ろしい能力だ。パトリックと話す時は、一瞬たりとも気をぬいてはいけないと思った。


「それだけを聞くと、私と言葉をかわすことに拒否感が出るでしょう。ただ、安心してください。私の能力には三つの制約があります。

 一つ目は、確認をうながす『いいですか?』といった言葉を付け加えること。

 二つ目は、相手から否定や不同意の言葉を返されないこと。基本的に、沈黙は同意と見なされます。

 三つ目は、効果を持続できるのは三つに制限され、継続を選択しなければ、三十分で効果は切れます」


 さっきのやり取りには、そういう意味があったのか。パトリックの能力で、知らず知らず自白するように仕向けられていた……ってことか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る